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夜明けの記録  作者: 梁井 祝詞
第1章 はじまりの一日
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命名

第9話


「それでは、一つ足りないじゃろう」

「その形状だと、子供がつけたら危ないと思いますっ」

「こ、この部分だけは残して欲しいのじゃ」

「しょうがないですねぇ…」


 暖かい陽光が差し込む廊下に、女性たちの真剣な、それでもどこか楽しそうな声が漏れてくる。


「のぉ…アルトよ」

「はい…なんでしょう」

「わしらは、いつまでここにおるんじゃ?」

「さぁ………」


 二人の男が、目の前の扉をじぃっと眺めて、まるで合わせたかのように、はぁっと溜息を零す。


「平和じゃのぉ」

「ですねぇ」


 空ろな目をした二人をおいて、静かに時は流れていく。


「お二人で何をなさってるんですか」


 そこへ執事服を纏った初老の男が声を掛ける。


「「………」」


 廊下で立ち尽くしていた二人の男は、声のしたほうをゆっくりと振り向いた。覇気を全く感じることが出来ないその姿に、その執事が呆れの混じった眼差しを向ける。


「お二人とも、遠目から見たら、そこそこなんですから、もう少ししっかりしてください」

「そこそことは、なんじゃっ」


 いきなり正気に戻ったファビラに、その執事の男は、はぁっと溜息を一つ零すと、隣の苦笑を浮かべた青年と目を合わせてから、肩を竦め合う。


「バルドメロっ!わしはなぁ、まだまだ―」

「はいはい、わかりましたよぉ」


 まだ文句を言っているファビラを宥めるアルトは、バルドメロと呼ばれた執事の男の視線に気がつき、そちらへと顔を向ける。

 離れた柱の影で、数人の女中が覗いているのが分かると、一礼してみせるアルトに、女中たちは「きゃー」と小さく声を上げながら散っていった。

 アルトの対応に軽く頭を下げて謝意を伝えたバルドメロは、執事服をぱんぱんと整えて姿勢を正す。いつもの表情に戻ったバルドメロは、何事もなかったかのように取り繕ってから、二人に要件を伝えた。


「必要になるかと思いまして、準備してきたのですが、いかがいたしましょう」


 バルドメロの視線が、ついっと脇に佇むワゴンへと向いた。その視線を追いかけた二人の目に、ワゴンの上に載せられた羽根ペン、壷、それに羊皮紙が映りこむ。


「おぉ、そういえば、まだじゃったのぉ」

「…わざわざ、ありがとうございます」


 その意味することに思い至ったファビラが嬉しそうに笑みを浮かべるのをチラリと睨みつけてから、アルトが頭を下げる。「いえいえ」と手を振ってみせたバルドメロは、今度は別の疑問を二人に投げ掛けた。


「御部屋には入られないのですか?」

「あ、ああ、それなんじゃがなぁ」


 煮えきらないファビラの様子に戸惑ったバルドメロは、隣のアルトへと視線を移すが、彼もまた困ったような顔で灰色の髪をわしゃわしゃと握っている。


「私から入ってもよろしいですか?」

「そぉっとなら…」

「そぉっとじゃぞ、そぉっとじゃ」


 二人の挙動に不安を覚えたバルドメロは一瞬躊躇するも、このままでは一緒に立ち尽くすことにすぐに思い至ると、少しだけ気合を入れ、ドアを軽くノックする。


―コンコンコンッ


 控えめなその音に、部屋の中からの反応はなく、相変わらず、室内から女性の楽しそうなお喋りの声だけが聞こえてくる。振り返ったバルドメロであったが、恐縮しきっている二人の様子に戦力にならないと諦め、再び扉をノックするのだった。


―コンコンコンッ

「ひっ」


 後ろから聞こえてきたファビラの悲鳴に、びくっとするバルドメロであったが、やはり扉の反応はなかった。


「失礼します」


 そっと扉を開いた初老の執事長は、部屋へ踏み入れると、ゆったりとした所作で中にいる人物に頭を下げる。やはり何の反応もなく、お喋りに夢中になっている女性陣に、別段恐れるようなことは何もないと感じたバルドメロは、ゆっくりと顔を上げた。


「「「………」」」


 半開きとなっている扉から中の様子を窺っていた戦力外の二人とバルドメロの三人は、一瞬にして言葉を失う。

三人の視界に飛び込んできたのは、ベッドの横にある机の上に、土が山盛りにされた皿と、その土で作られたであろうアクセサリーのようなものが何個も並んでいる光景であった。


「やはり、このほうがええじゃろう」

「でも、ここの部分は、こちらのほうがかわいいと思います」

「いや、しかしのぉ」

「ここは譲れませんっ」


 二人の女性が、アクセサリーのような土の固まりを何個か手に取って、真剣な顔で吟味している。その鬼気迫る表情に…。


「失礼いたしました」


 辛うじて言葉を取り戻した執事長は、頭を下げると、そのままの姿勢で後ろ向きに退室する。そぉっと扉を閉めて振り向くと、自然と中を覗いていた二人と目が合った。三人は、そっと肩を竦め合うとはぁっと長い溜息を零すのであった。




「ビビアナ様っ!これっ、これがいい」

「おおっ!これはええのぉ」


 突如、部屋の中から女性たちの声が、はっきりと外まで聞こえてくる。廊下では、その声に反応して扉を見つめる三人の男たち。


「そんなところで何をしておるんじゃ」


 開く扉と一緒に顔を出したビビアナが、呆れた様子で廊下の男たちに声を掛ける。部屋に入るように首だけで促された三人は、そろりそろりと部屋へと戻る。しかし、一番最後にワゴンを押しながら部屋へと入る執事長を見つけると、ビビアナが不機嫌そうに声を掛けた。


「なんじゃ…ぬしもおったんか」

「……なにか?」


 一瞬にして険悪な空気を醸し出す二人に、ファビラはやれやれと項垂れるが、そのままにもしておけず、ばちばちと火花を散らす二人の間に渋々と入るのだった。


「できたのかな?」


 一方、部屋へ入った時から、きらきらと期待に満ちた視線を浴びていたアルトは、その発信源である藍色の瞳の下へと向かう。


「うんっ!あとは、これを基にして、もうちょっと…かなっ」


 一頻り案を出し合い、一つの答えに行き着いて満足な笑みを湛えるカエデの側まで行くと、頭を優しく撫でてやるのであった。嬉しそうに見上げる彼女に、アルトがニコリと笑みを返す。


「ごほんっ」


 仕様もない睨みあいの仲裁をしていたら、片や甘い空気に染まっており、ファビラが不機嫌さを隠すこともなく咳払いをする。しかし、全員の注目を集めた次の瞬間、嬉々とした表情を浮かべた。


「さて、決めるとするかのぉ」


 懐から質の悪い紙の束を取り出したファビラは、御機嫌な様子でニコニコと気持ち悪いほどの笑顔を浮かべながら、カエデの側まで近寄っていく。


「―これを…」


 ファビラからは死角になるちょうど反対側に並んだバルドメロは、こっそりとアルトへと近づくと、舞い上がっている老人に気づかれないように、ひっそりと羊皮紙と筆を渡す。


「いくつか候補を考えて―」

「もう決めてあります」


 被せるようなカエデの即答に、考えてきたのであろう名前が書かれた紙束を握ったままファビラは硬直する。その一瞬を見逃さなかったアルトは、そぉっと一歩下がってから、カエデに視線を送り、一つ頷いてみせるのだった。


「いや、ここは一緒に出し合ってじゃな―」

「決めてありますので」


 すぐに立ち直ったファビラに驚きつつも、ニコリと綺麗に笑顔を作ったままのカエデは、何とか渡そうとされる握り締められた紙束をやんわりと拒絶する。その二人の攻防の後ろでは、さっそくアルトによって、羊皮紙へと名前が書き込まれつつあった。


「……参考までにどう―」

「御館様」


 必死に粘るファビラの横、アルトが抜けた場所を埋めるように、そっと並んだバルドメロは、冷たい微笑みを浮かべて、溜息混じりの声を掛ける。


「いや、しかしじゃな、孫のようなも―」

「御館様は、すでに3人も名付けていますでしょうに」


 その冷たい笑みと呆れたような声音に怯みつつも、直接は聞いてもらえないと判断したファビラは、バルドメロに訴え始める。


「まぁの、じゃが、これとそれ―」

「アイナ様が御生まれになった時、エミディオ様から言われた言葉を覚えていらっしゃいますね?」


 思い出したくない過去と、現領主である息子の名前を出され、為す術もなく跳ね返されたファビラは、思わず黙り込む。


「……」

「エミディオ様やアメリア様がこの姿をお聞きになったら、なんと言うでしょうねぇ」


 ここを勝機と見た執事長が、底冷えするような笑顔で止めを放つ。心なしか晴々としてみえる執事長と、それとは対照的に、がっくりと肩を落として、崩れ落ちる元領主の主従の姿を視界に捉えた二人の女性は、何ともいえない表情を浮かべていた。


「どうかな?」


 我関せずを決め込み、羊皮紙に名前を書き終えたアルトは、わざわざ老人が蹲っているのとは逆側へ回ってから、カエデへとその羊皮紙を渡す。


「この辺りでは、聞かない名前じゃのぉ」


 何も言わずに、ただ嬉しそうに羊皮紙を見ていたカエデであったが、後ろから覗き込んで呟きを零したビビアナを振り返ると、とびっきりの笑顔を見せた。


「私の故郷に咲く小さな花の名前で、花言葉は信じる心…」


 一度、言葉を切ったカエデは、羊皮紙へと視線を落とし、愛おしそうにそこへ書かれた文字を撫でる。


「まだまだ平和とは言えないこの世界を生き抜くために、一番大切で、失いやすいもの……だから」




命名『アオイ・ファーリス』




「ええ名じゃの」


 ファビラの呟きに答えるように身動ぐ産まれたばかりの赤児を、五人の大人たちが優しく見守っていた。




 ある者は素直に喜び、ある者はこれから訪れるであろう戦乱に巻き込まれないことを願い、ある者たちはその持ちたる能力に将来を憂いつつも支えることを密かに誓い、ある者は親として守っていく覚悟を決める。想いは違えど、その場に居合わせた者は皆、スヤスヤと眠るアオイの幸せを切に願うのだった。





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