07 「父の救出」
春音がトンネルの奥へと進んでいた頃、唯と広子は別の大通りから警察署へと向かっていた。この大通りはオフィスビルが多く立ち並んでおり、通勤時間帯には会社員の姿を頻繁に見かける。
だが今となっては、ゴーストタウンのような静寂さに満ちていた。
途中で数体のゾンビの姿を見かけるが、不用意な戦闘は避けたいため、上手く迂回していく。戦闘を余儀なくされた場合、頼りになるのは広子の所持している拳銃と、伸縮式の特殊警棒のみだ。
(警棒だと大したダメージを与えられない……弾も出来る限り温存しておきたいわ)
弾薬の残りはあと七発。
無闇に使えば、危険な状況に陥りかねない。
そんな事を考えていると、近くに唯の姿が見当たらないことに気づいた。
「あれ? 唯ちゃん?」
広子が後ろを向くと、唯は何かの前で立ち止まっていた。
そこは七階建てのビルであり、大きな鏡のような外装が特徴的である。
「唯ちゃん、どうしたの?」
「広子さん……もしかしたら、此処にパパが居るかもしれません!」
「えっ? 当に!?」
「はい! 昨日は残業で家に帰っていないし、パパは残業の時は大抵会社に泊まっているので、もしかすると……」
「確かに、ニュースがあったのは今日の深夜0時ぐらいだったから、此処に残っているかもしれないわね…………わかったわ。探しに行きましょ」
「広子さん!! ありがとうございます!!」
花弁が開くように表情を綻ばせた唯は、思わず広子にギュッと抱きついた。
「ひゃぁっ!! い、いきないどうしたの?!」
「あっ、ごめんなさい! 私、抱きつき癖があるもんで、つい……」
「き、気にしないで!」
広子は少し戸惑いながらも、優しく微笑んだ。
唯と広子は、ガラス越しにビルの中を確認する。
明かりは点いておらず、見た限りでは血の跡やゾンビ、生きている人の姿等は見当たらない。
入口に近付くと、ガラス製の自動ドアが静かに開いた。
「開いた……」
「まだ電気は通っているようね」
二人は中に入ると、ロビーに掲示されていた案内板を早々に発見した。
一階はロビー、二階は社員食堂、三階から六階は執務スペースやミーティングルーム等、七階は大きな多目的ホール、地下は駐車場、そして屋上は休憩スペースという構造になっている。
ロビーに掛けてある時計を見ると、時計の針は午前11時55分を指していた。
昼とはいえ、鉛色の空に浮かぶ灰色の雲のせいで光は差し込まず、ロビーの中は少々薄暗い。
「私が先頭を歩くわ。唯ちゃんは、後ろの様子をお願い」
「はい!」
「さてと……まずは何処から、調べようか?」
「そうですね……パパが居るとしたら、三階から六階の何処かだと思います」
「範囲を少し絞れるだけでも、十分よ。行きましょう」
二人は階段を使って三階へと移動した。
エレベーターを使用する手もあるが、万が一ゾンビと鉢合せたとき逃げ場が無いため、迂闊に使用するのは危険である。
階段からは、唯と広子以外の足音は聞こえない。
蛍光灯の青白い光と、鮮明に鳴り響く足音が、えも言えぬ緊張感を生み出す。
三階に辿り着くと、広子を先頭に二人は探索を始めた。
執務スペースや会議室等を探すが、清の姿はおろか他の社員の姿も見当たらない。机に残されたパソコンや書類などが、静かに佇んでいるだけである。
「誰も居ないですね……」
「……他を探しましょう」
探索を終えると、二人は再び階段を上がっていった。
その後、四階や五階を探すが、三階同様、人の姿が見当たらない。
残す六階を目指して、二人は再び階段を上がった。
(このままパパが居なかったら、どうしよう……もし、ゾンビになっていたら……)
心の中の不安が大きくなるに連れ、唯の階段を上る足が徐々に遅くなる。
広子は唯の様子を見かねて声を掛けた。
「……唯ちゃん、大丈夫? 少し休む?」
「だ、大丈夫です!」
唯は心配をかけまいと気丈に振る舞い、再び歩き出した。
程無くして六階に辿り着くと、広子と唯は通路で人影を見かけた。
後ろ姿と服装からして、男性の警備員であろう。
「……どうしますか?」
「……私が声をかけるわ」
二人が小声でやり取りを終えると、広子が男性に向かって声をかけた。
「あのっ! 大丈夫ですか?!」
広子の声に反応した男性は、ゆっくりと振り返った。
血色の悪い皮膚に、どろりと白く濁った瞳。
ゾンビである。
左手には電源が入ったままの懐中電灯が、力なく握られていた。
「アァァァッ……ヴァァァァァッ!!」
ゾンビは二人の存在に気づくと、真っ直ぐ向かって来る。
「っ?! やっぱり!! 唯ちゃん、私の後ろに!!」
「は、はいっ!」
広子はホルスターに手を掛け、拳銃を取り出そうとした。
だが、ゾンビが襲い掛かろうと、腕を前に突き出した時である。
左手の懐中電灯の光が、鋭く広子に向けられた。
「うわっ!!」
突き刺さるようなLEDライトの光を直視した広子は、思わず手にした拳銃を落としてしまう。
その隙に、ゾンビは広子との距離を詰めていった。
「広子さん、危ないっ!!」
背後にいた唯が、反射的に広子の前に飛び出す。
「これでもくらえ!!」
唯はポケットからスマホを取り出すと、ゾンビに向かって投げた。
スマホは、ゴンッという鈍い音を立てて、見事にゾンビの額に命中する。
「ウガァッ!!」
「唯ちゃん、ナイスッ!」
頭に感触を覚えたゾンビの注意が額に移った隙を突き、広子は拳銃を拾った。
更にゾンビを蹴り倒し、足で胸の辺りを踏み押さえる。
額に銃口を近づけると、トリガーを二度素早く絞った。いわば、ダブルタップである。
二発の銃声が、通路内に響き渡った。
建物の中ということもあり、鼓膜を大きく揺らす。
二発の空薬莢が落下すると同時に、ゾンビは声を上げる間もなく絶命した。
「ふぅ……危なかった」
「ありがとう、唯ちゃん!」
「い、いえ……」
唯の腕は、若干震えている。その手を、広子はそっと握った。
「よく、勇気を出せたね」
「……はいっ!」
広子の言葉に、唯は照れながらも、ニッコリと微笑んだ。
不意に、力尽きたゾンビの手から滑るように懐中電灯が転がる。
広子が確認すると、血は付いておらず、電池も残っていた。
「まだ使えそうね。これは、唯ちゃんが使って」
「わかりました」
唯は懐中電灯を受け取ると、スカートのポケットに入れた。
スマホも奇跡的に画面が割れていなかったため、手早く回収する。
その時、何処かで物音がした。
思わず二人は、一度顔を見合わせる。
物音は、すぐ近くの部屋からであった。
二人の顔が、一気に警戒の色で染まる。
広子は拳銃を片手に、唯は広子の後ろに隠れるように部屋へと近づき、ゆっくりと扉を開けた。
中は小さめのミーティングルームになっており、テーブルの近くに人影が見える。
「警察よ!! 手を挙げてこちらを向きなさい!!」
「ひいっ!!」
両手を顔の近くまで上げたスーツ姿の男性が、広子の方を向いた。
見た目は四十代後半ぐらいで、ガッチリとした体格と短めの黒髪が特徴的である。
男性の足元には、黒いビジネスバッグがあった。
「パパッ!!」
唯が広子の背後から叫び、男性の下へと駆け寄った。
男性は唯の父親、小西 清である。
「唯? 唯なのか?!」
「パパ!! パパ……生きてて……良かったぁ……」
唯は清に抱きつくと、堪え切れずに泣き出した。
清も、唯を抱き返す。自分の愛娘が無事だったことに、心から安堵した様子だ。
「唯、どうして此処に? 家に居たんじゃないのか?」
「実は……」
唯は今までの経緯を、清に話す。
母親の幸枝がゾンビと化したこと、春音や広子たちと逃げてきたこと、今は警察署へと向かっていること等を話した。
「そんな……幸枝が、ゾンビに……」
「ごめん、パパ……私には、どうしようもなかった……」
「……気にするな。唯の所為じゃない。せめて……お前だけでも守り抜く!例え、父さんの命に代えてでも……」
そう決意した清の手が、唯の頭を優しく撫でる。
暫くして清は、広子に向かって深々と頭を下げた。
「白石さん、娘を守って下さり、ありがとうございます! 何とお礼を申し上げればよいか……」
「いいえ、警察官としての役目を果たしたまでです。これからの事ですが、清さんも、警察署まで御同行お願い致します」
「是非! 娘共々、宜しくお願いします!」
清は感謝の意をこめて、再び頭を下げる。
「ところで、清さん。他に社員の方はどちらに?」
「七階の多目的ホールに居ると思いますが……行かない方が良いですよ」
「えっ? パパ、それってまさか……」
「あそこはもう……ゾンビの巣窟だ」
そう話す清の顔から、血の気が引いていた。
「となると、長居は無用ね。唯ちゃん、清さん。此処から出ましょう」
「それなら、車が地下の駐車場に停めてあります。それで逃げましょう!」
三人は階段を降りると、地下の駐車場に辿り着く。
地下にも数体のゾンビの姿があったが、距離が離れているため、気づかれていない。
清の先導で、三人は白い自動車の近くまで辿り着いた。
鍵を開けると、清は運転席に、唯と広子は後部座席に素早く乗り込む。
だが、ドアを閉めた音が駐車場中に響き渡り、ゾンビたちが三人の存在に気づいてしまった。
「気づかれた!」
「パパ、早く!」
「二人とも、しっかり摑まって!!」
広子と唯に急かされ、シートベルトを着用するのも煩わしいように、清は車を発進させた。
ゾンビを蛇行しながら避け、地下の駐車場を勢い良く出ると、そのままビルを後にする。
鉛色の空は更に煤けたような黒みを帯び、今にも雨が降りそうな雰囲気を醸し出していた。