04 「逃走と戦闘と」
春音たちは、迂闊に動けない状態に陥ってしまった。
パトカーの前方からは、ゾンビが向かってきているため、いずれ窓ガラスを割られてしまう。
しかし後方には、後から来た数台の車が並んでいるため、バックすることができない。
「……ここは自分が食い止めます! 先輩たちは早く避難所へ!!」
「門田君!!」
運転席の輝義が突如、パトカーから降りる。
パトカーに向かっていたゾンビは一度足を止めると、
「アァァッ……アァァァァァッ!!」
という声を上げながら、今度は輝義の方に向かい始めた。
輝義は腰のホルスターから、拳銃(リボルバー銃 S&W M37 エアーウェイト 装弾数5発)を抜き出す。
「止まれっ!! 然もないと撃つぞ!!」
輝義は銃口をゾンビに向け、撃鉄を起こし、拳銃を構える。
しかしゾンビは、足を止めようとはしない。
輝義はゾンビの頭を狙い、トリガーを絞った。
ゾンビの襲撃によって周囲が騒がしい中で、一発の銃声が轟く。
発砲音から間髪容れずに、ゾンビは後ろへ倒れる。
頭から大量の血が流して倒れたゾンビは、やがてピクリとも動かなくなった。
「先輩、今のうちに!」
「門田君……頼むわ! 二人とも行くよ!」
春音、唯、広子の三人はパトカーから降りると、ゾンビがいないか見回した。
視界に移る範囲では、ゾンビの数は二、三体。こちらの存在には気づいてないようだ。
他にもゾンビはいる筈だが、先頭車の行列が騒がしいため、おそらくそっちに集まっているのだろう。
パトカーの後方に目を向けると、複数のゾンビに囲まれて車ごと動けなくなった人や、ゾンビの餌食となった人が続出していた。
「広子さん……あの人たちを助けることは、できないんですか?」
「……無理よ、唯ちゃん。今私たちが行けば、彼らと同じ運命を辿ることになるわ……」
「そ、そんな……」
「……辛いかもしれないけど、広子さんの言う通りだよ。今は……生き残ることを考えないと!」
「春音まで……でも、そうだよね……あっ!あの脇道!ゾンビがいないっぽいよ!!」
唯の見つけた脇道に、人影が見られない。
春音たちは周囲を警戒しつつ、脇道へと入っていった。
脇道には放置車や片方だけの子供サイズの靴、血の跡などが残っていた。
軽く見渡すだけでも、その光景が嫌でも目に飛び込んでくる。
此処で何があったのか、口に出さずとも、想像がついた。
懐中電灯を持った広子が先頭に立ち、その後を春音、唯、そして少し距離を置いて輝義が続く。
「痛っ!!」
突然、輝義の大きな叫び声が、春音たちの背後から聞こえた。
先頭にいた三人、は思わずその場で足を止め、振り返る。
「門田君?! どうしたの!!?」
広子が懐中電灯で輝義を照らすと、彼の足元に人影が見えた。
「えっ? あれって……!」
広子の視線の先で、三、四歳くらいの子供が、輝義の脛に深々と噛みついていた。
子供は顔や服が血まみれで、性別が判断できないほど顔が歪んでいる。
ゾンビだ。
「子供の、ゾンビ? でも、そんなの何処に……?!」
春音の疑念は、放置車の下から続く血の跡と、片方だけの子供の靴によって払拭された。
子供ゾンビは、車の下に潜んでいたのだ。
「せ、先輩……早く逃げ……あがぁっっ!!」
追い打ちをかけるように、後ろから大人の体格をしたゾンビが輝義の首元に噛みつく。
輝義は人間の物とは思えないような声を上げ、そのまま倒れた。
「そんな……門田君……」
「門田さんが……死んだ」
春音と広子は思わず立ち尽くし、呆然と目の前の光景を眺めていた。
「うっ……私、もう駄目……うおぇっ……」
あまりの無残な光景に唯は耐え切れず、道路の側で嘔吐してしまった。
吐瀉物の臭いに反応したのか、二体のゾンビが春音たちの方を一斉に向く。
倒れていた輝義も、ゆっくりと起き上がり、春音たちの方に目を向けた。
感染してしまったためか、瞳は白く濁りかけており、褐色の良い肌が少しずつ血色悪いものへと変わっている。
輝義は今、ゾンビに転化しかけているのであった。
春音の脳裏に、中継の映像が再びフラッシュバックする。
(ヤバい……このままじゃ……んっ?)
不意に春音は、自分の足元に何かが当たったのを感じた。
「これって……!?」
視線を向けた先にあるのは、重みのある金属製の物体。
先ほど輝義が使用していた拳銃である。
おそらく輝義が襲われた際、こちらに投げたのだろう。
春音は迷わず拳銃を手に取った。
拳銃からは、見た目以上にずっしりとくる重みが手に伝わる。
輝義が使っていたのもあって、それが玩具でないことを、改めて感じ取った。
(こうなったら……やるしかない!!)
春音は銃口を子供ゾンビの方に向け、撃鉄を起こした。
銃の反動を計算し、狙いを子供ゾンビの胸あたりに定める。
「ヴゥァァァッ……アァァァッ……」
子供ゾンビは覚束ない足取りで、唯の方へと向かっている。
血潮に混じって流れる緊張と共に、春音はトリガーに指を掛け、絞った。
直後、大きな銃声が鼓膜を揺らす。
弾は子供ゾンビの額に命中し、大量の血を噴き出して後ろに倒れた。
「春音ちゃん?!!」
「広子さん、前っ!!」
「っ?!」
広子の目の前には、彼女へゆっくりと歩み寄る輝義の姿があった。
広子も腰のホルスターから拳銃(自動拳銃 SIG SAUER P230 装弾数8+1発)を取り出す。
弾丸を装填すると、銃口を輝義に向けた。
しかし、トリガーに掛けた指が、なかなか動かない。
広子の躊躇とは裏腹に、輝義は止まることなく近づく。
「せん……ぱい……殺し……て、くだ……さい」
病原菌によってゾンビへと変わりゆく輝義は、最後の力と理性を振り絞り、擦れた声で広子に呼びかける。
広子は涙を堪え、
「門田君……ごめんなさい!!」
ついに、トリガーを絞った。
乾いた銃声は、彼の最後を告げるように響き渡り、輝義の身体は膝から崩れ落ちる。
彼が最後に聞いた音は、小さな鈴の音のような、空薬莢の落下音であった。
「広子さん、後は任せてっ!」
春音は残りの一体となった大人ゾンビに向けて、発砲した。
一発目は、大人ゾンビの左肩を掠める。
二発目で、頭部の右側を撃ち抜いた。
ゾンビは右に回転しながら吹っ飛び、仰向けのまま、ピクリとも動かなくなった。
「ふぅ……なんとか、なった……」
春音は銃の安全装置を作動させて、ジーパンの後ろポケットに突っ込む。
「唯、大丈夫……? 気持ち悪くない?」
「うん……なんとか……」
「二人とも、大丈夫?!」
「私は何とか。でも、唯を何処かで休ませた方が良いよ」
「ううっ……すみません、広子さん。ご迷惑をおかけします」
「気にしないで! 襲われなくて、何よりよ!」
広子は拳銃をホルスターに仕舞うと、輝義の遺体に目を向けた。
彼の前まで行くと、しばらく黙祷し、手を合わせる。
春音は唯の手を引いて立たせると、広子の近くまで行き、同じく黙祷した。
「門田君は……とても良い後輩だったわ。彼のような人の先輩でいられて、私は嬉しかった」
「……行こう、広子さん。さっきの銃声で、他のゾンビが来そうだから……」
「……そうね。彼の分まで、私たちは生きなきゃ」
広子は力なく呟くと、春音と唯と共に、その場を後にする。
二体のゾンビと共に倒れている輝義の顔は、心なしか安堵の表情を浮かべているようにも感じ取れた。