03 「休息と侵食」
小西家を後にした春音と唯は、近所の公園に自転車を止めると、近くのベンチに座り休憩した。
公園を照らすライトの淡い光が、春音と唯を優しく照らす。
春音は必死に自転車を漕いできたため、肩で息をしていた。
「ハァ……ハァ……此処まで来たら……大丈夫そうね……唯、大丈夫?」
「う、うん……」
「……飲み物買ってくるよ。待ってて」
春音はそう言うと、近くの自動販売機に歩み寄る。
財布から百円玉を取り出し、投入口に入れようとした時だった。
「ひゃぁっ!!?」
突然、春音は悲鳴をあげ、百円玉を財布と共に地面に落とす。
「春音!? どうしたの?!」
悲鳴を聞いた唯が駆け寄る。
口を魚のようにパクパクさせながら、春音は自動販売機の方を指さした。
淡く光る自動販売機のディスプレーを背に、一匹の大きな蛾が羽を広げて佇んでいる。
唯は蛾に、軽く息を吹きかけると、蛾は何処かへと飛び去った。
「相変わらず虫が苦手ね、春音」
「あ、ありがとう……唯。カブトムシや蝶とかは平気なんだけど……ああいうのはダメなんだ……」
春音は百円玉と財布を拾い上げ、気を取り直して自動販売機にお金を入れる。
缶コーラを二本買うと、一本を唯に渡した。
二人はベンチに腰掛けると缶を開け、コーラを口にする。
ゾンビから必死に逃げた時に汗を掻いた為か、コーラが何時もよりも美味しく感じる。
唯が落ち着いた頃を見計らって、春音は口を開いた。
「唯……叔母さんに、何があったの?」
「…………わからない。春音に電話するまで一緒にニュース見ていて……いつも通りだったんだけど……」
「何か…変ったところなかった?」
「……そう言えば……買い物から帰る途中に、小さい子に腕を噛まれたって言ってた……」
唯は途中から声が上擦り始め、目から涙がポロポロと流れていた。
春音はそれ以上聞かず、コーラを飲み乾し、一呼吸置く。
「春音……これからどうする?」
「うーん……安全な場所に避難したいところだけど……」
春音と唯が悩んでいた時だった。
公園の側に、一台のパトカーが停まる。
中からは二人の警察官が現れ、二人の方へに近付いてきた。
一人は三十代前半の女性、もう一人は二十代後半ぐらいの男性である。
「そこの二人、何をしているんだ?」
男性警察が、二人に声をかけた。
すると、その隣にいた婦警が、割って入る。
「あれ? 春音ちゃん?」
「あっ、広子さん!!」
春音は広子と呼ばれた女性警察官に面識があった。
婦警の名前は白石 広子。
黒髪のポニーテールと橙色の瞳が特徴的で、春音の住む地域の交番に勤務している、三十四歳の巡査長である。
広子は春音が小学生の時から知り合いであり、一人っ子の春音にとっては、頼れる姉のような存在だ。
「春音ちゃん、そっちの子は?」
「この子は唯。高校の同級生で、友達だよ!唯、この人は白石 広子さん。私の知り合いだよ」
「そうなんだ。えっと……小西 唯です。白石さん、宜しくお願いします」
「広子でいいわよ。宜しくね、唯ちゃん!」
三人が和やかに会話している様子を見た男性警官は、春音と唯が怪しい人物ではないと判断し、警戒心を解いた。
「先輩、お知り合いですか?」
「えぇ。この子は茜屋 春音ちゃん。私が交番に卒配した時からの知り合いよ」
「なるほど。自分は巡査の門田 輝義です!宜しくお願い致します!」
輝義の綺麗なお辞儀に、春音と唯も、
「こ、こちらこそ!」
と畏まってお辞儀する。
輝義は黒髪のスポーツ刈りで黒縁の眼鏡をかけており、生真面目な印象が強い。
「それで、二人ともどうして此処に?」
「実は……」
春音と唯は先程までの出来事を話した。
「なるほど、そんなことが……」
「俄かに信じがたい話ですが……先ほどの中継を観た以上、否定できないですね」
広子と輝義もニュースを見ていたらしく、春音と唯の話を信じてくれた。
「そういえば、広子さんたちは、どうして此処に?」
「少し前に警察署から緊急出動命令が出てから、私たちは避難所の警備を任されたの。それで避難所に向かってたら、途中で二人の姿を見かけて、此処に来たってわけ」
「……先輩、二人も乗せていきましょう」
「ええ、そのつもりよ。女の子二人だけで行動させるのは危険だから」
夜道を女性が一人や二人で行動するのは、危険である。
強姦や暴行事件等のトラブルに巻き込まれる可能性があるからだ。災害や緊急事態の時なら尚更である。
「そんな訳で、春音ちゃん、唯ちゃん。今から私たちと一緒に避難所まで行くけど、いいかな?」
「うんっ! ありがとう広子さん、門田さん!」
「いえいえ。それより急ぎましょう、先輩!」
「そうね。さっ、二人とも乗って!」
広子に促され、春音と唯はパトカーの後部座席に乗る。
自転車を積むことはできない為、やむを得なく置いていくことにした。
間もなく発進すると、パトカーは避難所へと向かうべく公園を後にした。
住宅街の大通りに出てから暫くして、パトカーは進まなくなった。
道路が避難しようとする車で、埋め尽くされていたからである。
クラクションが鳴り響き、怒鳴り声が飛び交い、焦りから多くの人が冷静さを失っていた。
「みんな、考えることは同じってわけね……」
「どうしますか……先輩?」
「とりあえず、一旦下りましょう。それから……」
広子が言いかけた時、パトカーの少し前にいた車で異変が起こった。
車に乗っていた老夫婦が渋滞に痺れを切らして下りると、側道から人らしきものが二人に襲い掛かる。
人数は三人。
口元と両手と服は血で真っ赤に染まっており、瞳は白く濁っている。一体は頭からは頭蓋骨が見え、残りの二体には損傷が見られない。
三体とも、ゾンビである。
老夫婦がゾンビに倒されると、他に車から出てた人たちの悲鳴が上がった。
ゾンビたちは狂気染みた動きで老夫婦の腕を地面に押さえつけ、顔面や首筋に噛みつく。
「ニュースの中継と、一緒……」
春音はポツリと呟いていた。目の前で騒動が起きている以上、現実であると受け入れざる負えない。
気付けば、他の人々も同じようにゾンビの襲撃に遭っていた。
車に籠っていた人はゾンビによってガラスが壊され、地面に引きずり出される。
大人に限らず、幼い子もゾンビの餌食になり、そのまま食い殺されて動かなくなった人もいれば、ゾンビと化して、人を襲う者もいた。
四人が呆然と眺めていると、一体のゾンビが春音たちの乗っているパトカーに向かって来た。
春音の脳裏に中継の時の映像がフラッシュバックする。




