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Legend Of Blue Bird   作者: zeroY
Chapter3 見えない明日
27/27

27 「春音という少女」

 今から遡ること十年。

 当時、まだ巡査であった広子は、先輩である巡査長の指導を受けながら日々の業務に励んでいた。

 苦しいこと、辛いことも多いが、今でも彼女にとって誇れる仕事であることに変わりはない。


 ある夏の日のこと、広子は何時ものように午後のパトロールに出かけていた。

 最近、この付近で不審者を見かけたという情報もあり、この日は普段のパトロールで通らない場所も見回っていた。

 雲ひとつない空を見上げると、そこに浮かぶのは真夏の太陽だ。容赦なく照り付ける陽射しが発汗を促し、広子の足取りを僅かながら重くしていく。

 公園に近づくと、夏休みを楽しむ子供たちの声が耳に入った。蝉の声にも負けない、元気の良い声であることは言うまでもない。


「今日も平和ね……」


 広子は軽く相好を崩し、そのままパトロールを続けた。


 公園の近くを後にしてから十五分近くが経った頃、ふと広子は足を止めた。

 彼女の向けた視線の先には一軒のアパートが建っていた。

 外装はクリーム色に塗装されており、錆一つない階段は二階へと続いている。また扉を見た限りでは、部屋は上下に二戸ずつ設けており、一つの部屋が広いことが推測できる。

 だが、広子の興味を引いたものは別に存在した。


「わぁ……綺麗……」


 彼女を惹き付けたもの。その正体は、アパートの花壇に植えられた二十本近くの向日葵であった。

 花壇自体は煉瓦を長方形に並べただけの簡素な造りではあるが、日当たりの良い場所に植えられているためか、どれも立派に咲き誇っている。


「あら?」


 それらを眺めていると、広子は何処からか姿を現した一匹の揚羽蝶に気づく。

 蝶は空中を彷徨った後、一輪の向日葵で翅を休め、ストロー状の口で蜜を啜り始めた。絵に描いた様なその光景は、どこか懐かしさと美しさを兼ね備えている。


(社会人になってから、こんな光景をじっくりと見るのは久しぶりね……)


 しばらく広子が見惚れていると、やがて満足した蝶は管状花から飛び立つ。

 脆そうな翅で風をつかまえながら羽ばたく姿を追っていくうちに、此方を見つめる一人の少女に気づいた。


「あっ……」


 広子は少女と目が合い、思わず言葉をこぼした。

 藍色のショートヘアと澄んだ青い瞳が特徴的であり、身長や顔つき等からして小学校低学年ぐらいであろう。

 白いマキシワンピースを身に纏った少女の手には、ブリキ製の小さな如雨露が握られていた。

 少女を怖がらせまいと、広子は目線を合わせるように体勢を低くし、


「こんにちは」


と小さく微笑む。


「……こんにちは」


 まだ警戒の色が残っているものの、少女も挨拶を返した。

 少女は花壇の方まで歩を進めると、やや重そうな如雨露の先を傾け、向日葵に水を与えていく。

 ハスの実から流れ出た水の線は、宙で緩やかな弧を描き、土の色を濃く塗り替える。

 その様子を眺めながら、広子は声を掛けた。


「この向日葵、お嬢ちゃんがお世話しているの?」

「……うん、大家さんのおてつだい。大家さん、お花すきだから」

「そっか、偉いね!」

「……ありがとう、おまわりさん」


 花壇に目を向けたまま、二人は言葉を交わした。


「お花は好き?」


 広子の問いに対し、少女は小さく頷いた。

 

「……わたしのお母さんも、お花がすきだったから」


 一瞬の間が空き、少女の口が小さく開く。

 表情は読み取れなかったが、どことない寂しさを少女の言葉から広子は感じた。

 

(この子、何か事情があるのかな……)


「おまわりさん、お花はすき?」


 いつの間にか少女は如雨露の傾きを戻し、広子の方へ顔を向けていた。


「えぇ、勿論よ」


 広子は顔を綻ばせ、穏やかな口調で答える。それに釣られて、少女も頬を緩めた。


「お嬢ちゃん、明日も此処に来ていいかしら?」

「うん!」


 少女は大きく頷く。少し水の残った如雨露を両手で抱え、


「ばいばい、おまわりさん」


と花壇を後にする。


「あっ、待って!」


 建物の角に差し掛かったところで、広子は思わず少女の背中に声を掛けた。

 呼び止められた少女は、不思議そうな面持ちで振り返る。


「私、白石 広子っていうの。お嬢ちゃんの名前は?」


 そう聞かれた少女は、広子の方へ向き直り、満面の笑顔を浮かべた。

 まるでもう一輪、小さな向日葵が咲いたかのように。


「……はるね。 あかねや はるね、だよ!」




「……あれが春音ちゃんとの、最初の出会いだったわ」

「へぇ、なんだか素敵な出会いですね! そこから今の関係になったんですか?」

「ふふっ、そうよ。色々お喋りしたり、休日にはドライブに連れて行ったこともあったり……まるで年の離れた妹ができた気分だったわ」


 楽しそうに話を続ける広子に対し、唯は相槌を打ちながら目を輝かせている。


「そういえば、春音ちゃんと唯ちゃんは高校に入ってから知り合ったのよね?」

「はい! 入学したばかりの時に席が隣だったので、そこから仲良くなりましたよ」

「唯ちゃんから見て、学校での春音ちゃんは、どんな感じかしら?」

「そうですね……授業態度も真面目ですし、誰とでも分け隔てなく話すので、先生とか友達からの評判は凄く良いですよ!」


 先程の広子の如く、唯も嬉しそうに話し始めた。更に唯は、


「私も正直、春音と一緒に居ると楽しいです!」


と付け加えた。それを聞いた広子の表情は、より一層穏やかなものになる。


「良かった……ねぇ、唯ちゃん」

「はい?」


 広子は外へと視線を移し、一呼吸置いて口を開いた。


「もしこの先、私の身に何かあったら……春音ちゃんの支えになってあげてね」

「広子さん……」


 不気味なほどに静かなを街の姿を捉える広子の瞳からは、何処と無く憂慮ゆうりょの色が窺える。

 明日でさえどうなるか分からない不安の表れか、将又いつか訪れる春音との別れを思い浮かべてか。

 唯にはその真実が分からなかった。


(私ったら……何言ってんだろう)


 広子は心の中で呟き、小さく溜め息をつく。


「ごめんね、唯ちゃん。急に変なこと言っちゃって……」

「い、いえ……」

「そろそろ部屋に戻りましょう。昼ご飯の時間まで、思い出話の続きでもする?」

「……はい、是非!」


 二人がその場を後にしようとした時だった。


「んっ?」


 窓から離れようとした広子の視界に、警察署の敷地内へと入ってくる赤い軽自動車の姿を捉えた。

 車は速度を落として走行しており、運転手たちがゾンビを警戒していることが一目で分かる。

 

(見覚えのない車ね……)


 広子が警戒しつつ動向を見守っていると、やがて駐車場の空いたスペースに停まった。

 真っ先に後部座席の扉が開き、一人の少女が姿を現す。

 見慣れた藍色のナチュラルショートヘア、宝石のような青い瞳、腰のホルスターに収められたリボルバー銃。

 間違いない。


「っ! 春音ちゃん!」


 広子は思わず大声で少女の名を呼んだ。広子の声に、春音と唯は同時に反応を示す。

 春音は広子の方に振り向き、唯は少しばかり窓から離れていたため、慌てて窓の方へ戻った。


「はる、ね……春音っ!」


 唯は目を見開き、声を震わせながら春音の姿を視界に捉えた。

 たった一日ぶりの再会であるはずなのに、喜びや安堵などの感情が込み上げてくる。

 不意に一粒の涙が、彼女の頬を流れた。


「広子さん! 唯!」


 春音は満面の笑みを浮かべ、広子と唯に向かって大きく手を振る。

 それに気づいた二人も春音に向かって手を振り返した。


「皆、降りても大丈夫だよ!」


 春音の合図で、陸と纏、香澄も車から降りる。


「んー、やっと着いた……」


 纏は高めの声とともに、大きく伸びをする。


「姉ちゃん、運転ありがとな!」


 陸も伸びをしながら、纏に礼を言った。

 香澄は少し不安そうな面持ちで、春音の近くに寄る。


「春音お姉ちゃん……ここって、おまわりさんがいっぱいいるところ?」

「そうだよ。だから、安心して」

「……うん!」


 一方、広子は縄梯子を下ろそうとしたが、春音たちの荷物が増えていることに気づく。

 そこで清や裕也、他の警察官たちに協力を仰ぎ、玄関のバリケードの一部を解体し始めた。

 程なくして、人ひとりが余裕を持って通れる通路が出来上がる。幅に余裕があるため、車椅子や台車も難無く通れるだろう。

 その通路を歩き、春音たち四人は警察署内へと入った。


「春音!!」


 声の方に視線を移すと、真っ先に唯がこちらへ駆け寄って来た。


「唯!」


 春音も名前を呼ぶが、間髪を容れずに彼女から抱き着かれる。


「ちょ、ちょっと……唯!」

「良かった、無事で……心配したんだよ、もぅ……」


 空色の瞳を涙で滲ませた唯の抱擁は、心なしか何時もより強かった。


「唯……ただいま」


 春音は小さく微笑み、無事に帰れた喜びを噛みしめた。

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