10 「温もり」
春音たちが警察署内に入った後、五十嵐と呼ばれた男性警察官は縄梯子を回収し、四人の方へ向き直る。
キリッとしたつり目と少し長めの黒髪が特徴的で、紺色の制帽を被っていた。
「自己紹介が遅れました。巡査の五十嵐 裕也です」
裕也が自己紹介を終えると、春音たちも各々の自己紹介を済ませた。
「因みに彼は、私の後輩で……門田君の同期よ」
「あれ? 先輩、輝義はどうしたのですか?」
裕也の問いに、春音と唯と広子が表情を曇らせる。
瞬時に裕也は、何かを察した。
「まさか……」
「ええ……私たちを守るために、ゾンビになってしまって……」
「そんな…………クソッ! 何であんなに良い奴が、死ななきゃならないんだ!!」
裕也は悔しさと悲しみの混じった表情を浮かべ、拳を強く握りしめる。
「ごめんなさい……私がもっと早く気づいていれば……」
「……すみません、取り乱してしまいました。先輩は、自分を責めないで下さい」
「五十嵐君……ありがとう」
「とにかく、皆さん今日はお疲れでしょうし、部屋まで自分が案内します」
裕也は踵を返し、廊下を歩き始める。春音たちも、その後に続いた。
蛍光灯で青白く照らされた警察署内は、外と比べて安心感があるものの、どこか物寂しい雰囲気を醸し出している。
歩いて五分経たないうちに、一つの扉の前に着いた。
磨りガラスのついた何の変哲もない鉄製の扉で、上に掲げられた室名札には「女性用仮眠室」と書かれている。
「春音さんと唯さんは、こちらをお使い下さい。清さんは男性用仮眠室まで案内します」
「わかりました。それじゃあ、唯、春ちゃん。また後で」
裕也と清は女性用仮眠室を後にする。
春音と唯、広子の三人は、そのまま扉の前に残った。
「さあ、二人とも中に入って」
広子が仮眠室の扉を開け、春音と唯は中に入った。
仮眠室は春音たちが想像していたよりも遥かに広く、白塗りの壁は清潔感を醸し出している。
クーラーが効いている為、心地よい涼風が微風のように、フワッと春音たちを優しく包み込む。
中には誰もいない。無機質なクーラーの動作音だけが、聞こえるばかりだ。
室内を見渡すと、シングルベッドと二段ベッドが、それぞれ十台ずつ設置されていた。
「へぇ、結構広いんですね!」
「最近は婦警の人数も増えているから、広めにスペースを確保しているのよ」
「広子さん、此処使っていいの?」
「勿論! ベッドは好きな所を使って良いわよ」
「やったー! あ、でも……」
春音は自分の服装に目を向ける。
ここまで辿り着く間に身に着けていたTシャツやジーパンは、汗や雨などで汚れていた。
唯も春音と同じ考えである。
「先にシャワー浴びる?」
二人の様子を見兼ねた広子が提案に対し、春音と唯はコクリと頷く。
「準備が出来たら、声を掛けて。案内するわ」
広子がそう言うと、春音と唯は部屋の隅に荷物を纏める。
春音は金属バットを壁に立て掛け、下ろしたリュックにポケットの中の物と双眼鏡、唯の所持品を入れた。
「あ、これ……返した方がいいのかな?」
春音は後ろポケットから取り出した拳銃を手に取る。
「春音ー、早く行こー!」
拳銃を返すべきか否か迷っている春音の背後から、唯の声が聞こえた。
唯と広子が廊下で、春音が来るのを待っているようだ。
春音は、「あ、待ってー!」と言って拳銃をリュックの中に入れ、廊下へと出た。
三人は仮眠室を後にし、広子の案内で四階へと向かった。
時刻が午後七時を過ぎる頃、日の入りを迎えた街には夜が訪れ始める。
夕日が闇の中に溶け、点いて間もない街灯の明かりが、薄暗い街路を淡く照らした。
ゾンビの姿は見えないが、生者という獲物を求め、今も徘徊していることは確かだ。
(あんな化け物がうろつく中で生き抜けただけでも、私たちは運が良いかもね……)
春音は廊下の窓越しに外の様子を軽く眺めつつ、上階へと続く階段を上がっていった。
やがて四階に辿り着く。案内板を見ると、武道場と講堂の位置が描かれている。
武道場を囲むような形状の廊下を歩いていくと、程無くしてシャワー室に辿り着いた。
淡いクリーム色の壁と天井のシーリングライトが、清潔感を漂わせる。
戸のついた個室シャワーが五つと洗面台、バスタオルが置かれた棚が設けられていた。
部屋の隅には、プラスチック製の白い脱衣籠が重ねて置かれている。
「着替えの服を持ってくるわ。ごゆっくり~」
広子はそう言って、シャワー室を後にした。
「早く浴びよう、唯!」
「うん!」
春音と唯は、服と下着を脱ぎ、脱いだ服と下着を脱衣籠に入れる。
「な、なんだか……恥ずかしいね、唯……」
「う、うん……ほ、ほら!さっさと浴びちゃおう!!」
一糸まとわぬ姿の二人は、それぞれ個室の中に入り、戸を閉めた。
温度を調節するバルブの目盛を「38」に合わせ、流水量を調節するバルブを捻る。
間もなくシャワーヘッドから、人肌より少し高めの温水が流れ始め、二人の頭上に降り注いだ。
「んん~気持ちいい~」
無意識のうちに、春音の口から至福に満ちた声が漏れる。
「はぁ~生き返る~」
隣の個室からも、唯の幸福感に満ちた声が聞こえた。
温水の心地よい温もりによって、溜まっていた不安や疲れが、汗と一緒に洗い流れていく。
そう感じながら、二人はシャワーを浴び続けた。




