01 「異常事態」
もし、突然が世界中でパンデミックが発生したら…
もし、人に襲い掛かる化け物、ゾンビが現れたら…
もし、今当たり前にある日常が、音もなく崩れたら…
あなたは、どうしますか?
これは、そんな世界で生き延びようとする者たちの物語である……
20XX年 8月 13日 AM 0:03 M県 M市
とあるアパートの一室に電話の着信音が鳴り響く。
茜屋 春音は、寝惚け眼でスマートフォンを手に取った。
藍色のナチュラルショートヘアが月の光に照らされる。
「誰なの……こんな時間に……」
友人の小西 唯からの電話だった。
春音は地元の高等学校に通う十七歳の少女。そして唯は、高校一年生の時からの友人である。
唯は茶色のロングヘアが特徴的で、ざっくばらんな性格でお洒落好きな十六歳の女の子。そんな彼女が、こんな時間に電話をしてくるのは珍しい、と春音は感じた。
「唯? どうしたの……?」
「春音!! テレビのニュース観た?! なんかヤバい感じだよ!!?」
唯の第一声に、春音は困惑する。
聞きなれたはずの親友の声は、何処か焦りと混乱が混じっていた。
「……えっ? どういうこと?」
「暴動ていうか、何て言うか……兎に角、テレビの中継を観てっ!!」
「あっ、ちょっと!! 唯?! いきなりどうしたの?!」
電話を一方的に切られた春音は首を傾げながらも、卓上にあったテレビのリモコンを手に取り、赤色のボタンを押した。
電源が入り、画面にはニュース番組の中継の映像が映し出される。
場所は何処かの大きな総合病院らしい。
病院から距離を置いた場所で、一人の女子アナが真剣な面持ちで、現状を報告していた。彼女の背後には、多くの警察官や野次馬の姿が見られる。画面越しであるが、春音は只事ではない雰囲気を感じ取った。
「……ということです。最新の報告によりますと、暴動とお伝えした今回の騒動は全国に広がっている謎の病原菌の感染に関係しているようです。感染した患者は……」
原稿を読み上げる女子アナの声は、途中で幾つも鳴り響いた銃声に掻き消される。
女子アナは思わず報告を中断し、音の方へ振り向いた。
「只今、後ろで何か動きがあったようです!!」
すると、女子アナに向かって一人の男性警察官が緊迫した表情で、
「おい其処っ! すぐ避難しろ!!」
と叫んだ。警官の形相は鬼のようにひきつっている。
警官の迫力に女子アナは怯えながらも、
「い、一体何があったんですか?!」
と大声で警察官の男性に聞いた。
その時である。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
先ほどの警察官の男性が突然、断末魔の叫びをあげる。
よく見ると、一人の女性が彼の首元に噛みついていた。
女性は三十代前半くらいで、服は血まみれである。
瞳は白く濁り、歯や爪には血や髪の毛がベットリと付き、男性の首の肉を喰い千切った。
正に化け物だ。日本の昔話に出て来る、山姥を連想させる。
画面からは男性の後ろ姿しか見えない。
大量の血しぶきが暗い道路を濡らし、男性は足元にできた血溜まりの中へ、力なく倒れた。
「えっ……嘘……?」
「キャァァァッ!!」
「お、おいっ!! お前、大丈夫か!!」
突然の事態に、周囲にいた警官と野次馬の悲鳴や叫びが、飛び交った。
暫くして、先ほど襲われた男性が、ゆっくりと立ち上がり始めた。
だが、何処か様子がおかしい。皮膚の色が血色の悪いものへと変わり、呼吸も乱れ、足取りが覚束ない。
白く濁った瞳が他の警官の姿を捉えると、
「アァァ……ア……ヴァァァァァッ!!」
という何とも形容しがたい唸り声を発しながら、襲い掛かる。
それを合図に、化け物と化した他の人たちが徐々に姿を現し始め、次々と他の警察官や野次馬を襲っていった。
襲われた人間は、見るも無残な姿へと変わっていく。
ある者は四肢の一部が喰われ、またある者は顔の表皮が喰われて目玉が飛び出している。春音も思わず目を背け、胃から込み上げてくるものを抑える。
そしていつの間にか、化け物の一人が女子アナの背後から、ぬっ、と現れた。
同時に中継が途絶え、テレビの画面には「しばらくお待ちください」というテロップがずっと映し出されていた。
春音は反射的にテレビの電源を切り、拒絶するかのようにリモコンを手放す。
「な、何……今の……? 一体何が起きてるの?」
嫌な予感がし、パソコンを立ち上げてインターネットに接続し、検索サイトの最新ニュース一覧を見た。
そこで知ることになる。
世界が今、異常事態になっていることを。
現在、世界各地で大規模な暴動が発生。死傷者多数。致死率100%。
他の国は日本と時差があるも、既に大きな被害が表れているようだ。
謎の病原菌により感染した人は二十四時間以内に死亡し、再び生き返る。
しかも、攻撃性が極端に増した状態で無差別に人に襲い掛かり、噛まれた人が感染していく。また、感染の進行は個人差があるらしい。直ぐには発生しなくても、いずれは化け物と化す。
ネット上では、この化け物のことを「ゾンビ」と呼んでいた。
「嘘……じゃあ、さっきのは本当ってこと……? ゾンビなんて、映画とかの世界にしか出てこないはずなのに……」
先ほどの中継の光景が、脳裏でフラッシュバックする。
自分も感染したらゾンビになってしまう。
身も毛もよだつ恐怖が、寒気となって春音を襲う。
「どうしよう……どうすればいいの…………お父さん」
春音の父親は現在、仕事の関係で海外に単身赴任している。
母親は春音が二歳の頃に、病気で他界した。
一人暮らしに慣れても、やはり寂しさが込み上げてくる。
春音の目から一粒の涙が流れ始めた時だった。
月光に照らされた春音のスマートフォンから、再び着信音が鳴り響く。
春音は一瞬驚いた様子を見せ、震える手でスマートフォンを手に取った。
唯からである。
「……唯?」
「は、春音! 助けて!!」
「唯!? どうしたの?!」
「ママの様子が……イヤァァァァァァッ!!」
「唯?! ……唯ッ!!」
そこで唯からの着信が途絶えた。