〇八七
なにが「『俺』になろうか」だ。だいたい私は、いままで嘘をついて「私」を気取っていたわけではない。それが、感情の高ぶりで「俺」になるとでも? 馬鹿言うんじゃない。それに、感情の高ぶりだなんて、ない。私は冷静なのだ。冷めているのだ。だから「私」なのだ。「裏」を知ってから、もう「表」には見切りをつけてしまっていたのだ。そこに「僕」の入る余地など、これっぽっちも残ってはいなかったのだ。だから「俺」? なんて馬鹿げた思考回路だ。分からないのか。私は冷静なのだ。冷めているのだ。米粒ほども、動揺などしていないのだ。私は、私は――
串刺しになった気分はどうだ。このまま炙られて食べられてしまえばいいさ。当初の目的通り、茶髪の彼女は救ったのだ。橋が崩れ、私もニルも串刺しだ。橋の下にあった、橋の「裏」に潜んでいた木に串刺しだ。私の体はなおも治癒し続けるが、ニルはどうせ、もう死んだ。なんだ結局、着物の女と同じじゃないか。ほんの少しアクシデントがあれば、簡単に人は死ぬ。……ああそうか、私は人間ではないのか。アクシデント? これがまさかアクシデントだとでもいうのか。私はこんなにも冷静なのに。私はこんなにも冷静だぞ。
まるでタレでもつけているように、ニルから血が滴り落ちる。串を伝って、火へと落ちていき、火の威力をさらに強くするのだろう。香ばしく焼けそうだ。だが心臓が串の先についてしまっているのは、体から取られてしまったのは残念だ。その分売るときは安くしないといけない。心臓、お客様は食べたかっただろうに。ニーズにこたえられなくて残念だ。いや、串の先についていることはついているのだから、どうにか心臓も落とすことなく焼けば、あるいは大丈夫かもしれない。
私はどうだ。串刺しになった気分を味わっている。要はまだ死んでいない。生きたまま炙れら、食べられるというのか。まあそれもよかろう。地獄の業火よりはいくぶんマシだろう。
月は一体なにをしているのだろう。こうして美味い串刺しが二つもできたというのに、このままでは、太陽にご馳走を奪われてしまうぞ。いや――違った。
ほどなくして奴らはやってきた。全くもって、最後まで迷惑な奴らである。奴らは金銭を払うことなく、串刺しをいただきにくる。一応崩れのとまった橋を、ぎりぎりのところまで忍び寄ってくる。そう慎重にならずとも、どうせ私と同じで、死ぬことなどないくせに。
まずニルを、奴らは食らう。元気のないほうから食う。そのほうが労力が少なくて済む。思考能力など持ち合わせていないわりに、動物は合理的だ。
奴らはニルを残さず食べた。異様な眼球も、食べにくいだろう骨も平らげた。お利巧さんだ。残さずに食べるなんて、偉いぞ。