〇八〇
薄暗いことは薄暗いが、暗闇というには明るすぎる。どこからも明かりは漏れていないはずなのに、ここに電灯はないはずなのに、真っ暗というわけではない。実はここには、微量ながらも光が漂っていて、人の目はかろうじてそれを捉えているのかもしれない。だがそれを確かめる術は、今はない。そんなことを考えるのは、無意味だ。
彼女をずっと、抱きしめていくわけにはいかない。そんな分かりきったことを、とやかく考える必要はない。
だがどうにも、離れようにも離れられない。彼女のほうが、きっと離さないつもりだからなのだろう。ずっとそうしていても、餓死するしかないのに。それよりも、外へ行って、なにか食べるものを手に入れるべきなのに。
私も空腹だ。李泰俊という作家の言葉を借りれば、人は生きるために食事をしているのではなく、食事をするために生きているのだ。死なない体となっても、生きているのだから、食欲が絶えることなどない。
ただ、これは現実なのだ。なにも食っていないのなら腹が減る。
それに、これは現実なのだ。ずっと食っていなくても、私は死なない。
薄暗いことは薄暗いのだろうが、そこのドアさえ開ければ、そんなことはどうでもよくなる。今はおそらく夜なのだろうが、月の光というものは、無視できないほどに明るい。
壁に打ち付けられた携帯電話は、あっけなく壊れてしまった。
おそらく、病院から逃げるときに、すりかえられていたのだろう。電源を切っても、機能する。そしてきっと、電波も微弱ながら発していて、私たちが旧鳥取へ向かったことも、なにもかも、手中に収めていたのだろう。
だがこの丸一日、家屋に駆け込んだ私たちになにもしなかったのは。
静寂といったら確かに静寂なのだろうが、無音というわけではない。私たちの鼓動が、生が、どうもまだ静まらない。まだ沈まない。
抱きしめていたって、なにもない。まるで自分自身を抱きしめているような。地球最後の二人というのは、案外、こういう気分なのかもしれない。荒廃した世界そのものが、自分と同化してしまった。
無音でないとしても静寂ではあるのなら、そう、津波を待つ引き潮のような静寂であるのなら、私はここから去るべきなのではないだろうか。津波が来るなら、高台へと逃げるべきなのではないか。でも、どこへ。標高一七一三メートルの山頂にいるというのに。
ここにいる限り、安全だ。そう言い聞かせた数分前の自分が、まるで理解できない。ここにいてもどこにいても危険だ。こと彼女に至っては、こと私に至っては。ここにいるべきではないのだ。だが、ここを出るべきでもないのだ。