〇七九
風がドアを叩いた。少女がひっと身を強張らせる。
ここにいる限り、安全だ。そう私は彼女に言い聞かせる。
ここは暗い家の中。誰もいない家の中。されど二人は家の中。
またドアが叩かれた。風よりも強く、確固たる物体を持って――また来た。
私は彼女の肩を寄せた。小刻みに震える肩が、私の腕に収まる。怖いのだ。ドアの外が怖いのだ。私と違って、彼女の命は一度きりなのだから。
ふいに、馬鹿に機械的な、雰囲気を壊してしまうような音が鳴り響いた。彼女の胸からだった。
ボタンを複数一気に押しているような、合成音のようなもの。彼女がじっとしたままにしているので、私は断りを呟いてから、彼女の胸を触った。やわらかい感触が、私の手を支配する。その中に、硬い箱状のものがひとつ。
携帯電話だった。電源は切れているはずの携帯電話だった。
彼女が、震える手で私を抱きしめてきた。震える指先が、私の背を撫でる。
私も、彼女も、体温が欲しかった。人肌が恋しかった。彼女ほどにないにしても、私は怖かった。自分よりもずっと大きな力が怖かった。
私たちは抱きしめ合った。独りではないことを確かめるように。
ずっと、ずっと抱きしめた。それは高校生の恋愛とは全く関連性がなく、いわば、人類愛というものだった。生きている人。互いに支えあう人。
携帯電話は、無神経にも鳴り続ける。
ドアの外は、怖いぐらいに静かになっていた。風も止んでいる。
携帯電話は鳴り続ける。
まるで頭を洗脳していくかのように、一定のリズムが、流れる。音は壁を撥ねることはなく、じんわりと、家屋全体に染み渡っているようだ。
生きないといけない。そう思った。彼女は生きないといけないと。
もう丸一日、なにも口に入れていなかった。このままでは、彼女は飢え死にしてしまう。
図々しくも、携帯電話は鳴り続けていた。
私は彼女の胸ポケットから、それをとった。彼女が私に顔をうずめる。
携帯電話の液晶画面を、指でなぞる。するとサングラスの黒人の顔が映った。
『ハーイ』
陽気な声で、ニルは笑う。
『今、そっちに向かうネ』
私は携帯電話を壁へ投げつけた。