〇七〇
私は神社を出た。
涙は流れなかった。悲しすぎて涙が流れないのでも、泣きすぎて涙腺が壊れてしまったわけでもない。ただ、全く悲しくないのだ。人は当然である事実を嘆くことがある。なら、逆も然り。当然でない事実を見ても、なんとも思わないことだってあるはずだ。
なぜ今まで、気付かなかったのだろう。
恋人の両親に、私は二年前、顔を合わせていたのだ。
広間でなにもできずに佇んでいると、防護服を身に着けた集団が、私の目の前に訪れた。その内の一人が、私に言った。「大丈夫か、怪我はしてないか」と。彼らは自分たちを、「人体実験遂行部」と称していた。二つの屍――一つは全身真っ黒で、一つは白い服――を彼らは回収する。
そのすぐ後、私は家に置き手紙を残し、都会へと去った。挽磨高校を選択した。
そして、私は組織の一員となった。別段、証明書のようなものを貰ったわけではない。ただ口頭で、「これから貴下は『情報生成遂行部』である」と。それから仕事が私にやってくるようになった。
私が、「僕」から「私」になったのも、このころのことだった。最初は、なんだか大人になった気分だったのだ。だったら、「私」であるべきだと、そう思ったのだ。
神社を出ても、別段、風の動きが変わることはなかった。
今は何時だろう、そう思って腕を見てみると、腕時計が壊れていることに気付いた。もう秒針は動かない。狂わないはずの動きが、止まったのだ。
なんだ。時間なんて、その程度のものだったのか。
時間は刻々と進むのではない。いつの間にか進んでいるものなのだ。不定期なのだ。常に時計に目を遣ることなんて、できないのだから。
誰もいない道を進む。もう胴の穴も、ほとんど塞がってきていた。痛みはない。
どこへ向かうということもなく、ただ、歩く。そうしていると、橋の上にいた。
川を眺める。ここから落ちたら、どうなるだろう。それほど高くはないから、落ちた衝撃で死ぬということはなさそうだ。だが、おそらく水を多量に肺に入れて、溺れ死ぬことはできるだろう。
縁に足をかけた。縁が私を止めることはない。
平衡感覚は良いほうではないが、うまく立つことはできた。一気に身長が伸びたようで、なんとも面白い。壊れた腕時計を外して、川に放り投げた。むなしい音をたてて、止まった時間は終わりを告げる。
強い風が吹いた。