〇六七
黒スーツの男が、咄嗟に僕を抱きしめた。
え、いきなりなにを――そう思考が届く前に、僕は地面に押し倒される。
その直後に、見たことのない塊が、近くの木にぶつかった。塊は木に食い込み、幹の中で止まる。それはほんの一瞬の出来事で、よく僕は見ることができたなと思う。
「怪我はないか」
男が厳しそうな優しそうな声でそう言う。僕は、ただ彼の瞳を見つめていた。なにが起こったのか、訳が分からない。
「さっきの……音は……」
思ったよりも声が出しづらかった。背中を地面に打たれたせいかもしれない。
「銃声だ」
男が、今度は冷たい声でそう言う。
銃声……。銃の、声。銃から弾丸を発したときに出る音。
そんな。なにを言っているんだ。
焼け焦げた臭いがした。森の空気が、微かに歪む。
日本では、銃を所持しているだけで罪となる。殺人機能の皆無な、単なる飾り物としての銃は市販されてはいるが、本来の機能の備わっている銃は、所持してはいけない。銃が欲しいのなら、日本を出て行かないといけないのだ。海外で銃を手に入れたとしても、それを日本に持ち込むことはできないが。
ああだからそういうことじゃなくて。
木が焼けた臭いなのか、森が焼けた臭いなのか、僕の心が焼けているのか。
また轟音が響いた。それはこちらに届く前に、木が受け止めたようだが。
とても大きな音であるのに、視界に辛うじて入る僕の家からは、誰も出てきはしない。気付いていないのか、気付いた上で、外に出ないようにしているのか。
枝葉から光が漏れていた。
それは僕を男を女を照らす。
されどここは暗かった。
灯火のない迷宮路のように、森の空気は渦を巻く。木々は嗤う。草々も嗤う。ただ花たちが、これからの暗黙を、嘆くように靡いていた。
また銃声が走った。
それは木にぶつかって、あっけなく消えてしまう。
また銃声が走った。
冬に咲く花が裂けた。