〇五二
「……嘘」
彼女――私の恋人は、まるで目の前に毒虫が群がっているような目で、そう呟いた。毒虫が、彼女に近づく。彼女が必死に退いても、毒虫は群がり続けた。ついには彼女は毒虫に侵される。耳から、目から、口から、鼻から、毒虫たちが彼女の体内に入っていく。そんな、そんな幻想を見ているような「嘘」。
着物の女は嗤う、嗤う。そんなに真実が楽しいのか、女は嗤う。私たちの失望を、至高の娯楽扱いだ。
そして、女は彼女に銃口を突きつけた。一体どこから取り出したのか。そんなこと考える暇もない。銃口を突きつけられても、彼女は表情を変えない。なにせ、真実を知ったことで、既に真っ白になっていたのだから。
「ほら、気分はどうだよ」
女がからかう。からからの空気を、無残にも斬る。
「嘘」
銃声が響いた。恋人がぎゅっと目を瞑る。
着物の女は、咄嗟にそこから飛びのけた。銃声の主は、着物の女ではなかったのだ。私は、銃声の鳴るほうに目を送る。
そこには、サングラスの似合う黒人がいた。
「ちっ。ニル・ブルフォード」
黒人――ニルがまた弾を撃つ。着物の女のブーツを、電流が流れる。今にも見えそうな電気が、静電気のようにばちりと血液を渉る。弾丸がこちらに届くまでには、女は弾の当たらないところへと跳んでいる。足が地に着くまでの間に、女は拳銃に弾を込めた。もとから、私の恋人を殺すつもりはなかったのだ。
だが、結局女は銃を撃てないまま終わる。跳んだ先には――紅い紙があった。担任が来るまで、引き戸に挟まっていた紙、手紙である。彼女はそれを踏み、そして……転んだ。紙が血を滑ったのだ。
突然のことに、驚いてつい女は手を地につけようとする。銃を持っていないほうの手だ。だが手がついたのは床面ではなく、死体に絡まっている――ワイヤーだった。手が半分のあたりから、綺麗に切れる。切り落とされる。死体の上に、女は倒れる。
どうすることもできず、ニルに銃口をつきつけられた。
彼女は嗤う。嗤い、嗤い、そして嗤く。自分に嗤く。嗤いて嗤いて嗤く。自分の死に嗤く。胸の奥から空気を揺らすように、女は嗤いた。
血が混ざる。