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〇四八

「服を着ろ」

 軽々しく、女は言う。私の母親とは、全く似ていない言い方だった。これが、隠さない彼女であるのか。やはりこれまでは、全て演技だった。そう確認せざるをえない。

 私たちはだが、服を着ようとはしなかった。いや、本心では服を着たい。身の穢れを隠したい。だが、この女のように偽るのが怖かった。それだけでなく、恐怖で身が動かなかった。

「着せてやろうか」

 私たちの様子を見下して、さも楽しそうで楽しくなさそうな声で言う。紅く染まった着物は、されど乱れることはない。彼女の足元は、既に沼と化していた。講堂に穴が空いたように。

 どうにか体を動かす。心と、体も、悲鳴を上げていた。動きたくない。動けない。いやだ。いやだ――そんな叫び声を。それでも懸命に体を動かした。脱ぎ散らかされた服には、大量の血液がついている。それを見て、またゾッとした。

「着ろよ」

 サディストなのか。裸の私たちを見下ろし、血まみれの布を着せる。

 だがよくよく考えてみれば、服を脱いで裸になったのは自分の意思によるものだ。恋人と性行為をするうえで、罪のようなものを犯すうえで、自分自身で脱いだのだ。脱いだ服を、血がふりかかるようなところに置いたのも自分だ。それでいて、換えの服なんて持っていない。それを着ろ、と言われるのは当たり前のこと。

 自己批判。普通こんな状況に陥ったときは、人間は自己を正当化するはずである。自己を愛護し、他者を非難する。自分にとって具合のいい倫理観を形成し、それを実践に移す。だが今の私は、こうやって自己を批判していた。案外、思考はしっかりしている。手紙を目にした瞬間から、こうなることを薄々考えていたとでもいうのか。誰かが死んで、女が私に、身の穢れを拭わせる。

 それは恋人のほうも同じことだった。同じことではないはずなのに、彼女もまた、冷静を保っていれた。私を見つめるか弱い目に、これからどうしようかという思案が映っている。恋人が私よりも先に、自分の服を手に取った。そのパーカーは、血まみれの鼠のように皺が寄っている。

「反組織団体。まさかこんな小娘まで、命に関わる任務をこなさせるとはな」

 私たちが少しずつ服を着ていくのを見下しながら、着物の女は言う。紅い沼に浮かぶ、引き戸に挟まっていた手紙は、形を崩すことなく、内臓のように床に張り付いていた。恋人の文字は、もう読めない。

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