〇四四
恋人が学校を休んだ。
担任の事務的な話によると、体調が優れないらしい。事務に徹するのならそうすればいいというのに、私の情報開示の要求に、担任は素直に応じた。彼女からの直接の電話であったそうだ。
なんとなく、登校したのが損したような気分になる。実際、彼女がいるのといないのとでは、学校生活の質は全く異なるものであった。損した。
恋人のことを気にかけながらも、私は授業を受けた。今日一日、授業に身が入らなかった。いや、最近はいつもそうだ。慣れれば大丈夫になるのだろうが、付き合いはじめてからまだ数日しか経っていない。そりゃあ、女のことで頭が一杯になるのも頷けるものだ。誰しも、新鮮なことに目がいく。私にとって、恋愛は、素晴らしく新鮮なものであった。色褪せる気がしない。もし色褪せることがあったとしても、その上からペンキを塗ればいいとでもいうような、そんな自信感だ。それに、先ほどもいったとおり、実際に数日しか経っていないのだ。だから、私は授業に身が入らない。
終礼を終え、階段を下りる。講堂へ向かうのだ。一段、一段を大事そうに下りる。死刑台に行く囚人とでもいうのか、私の足取りは重かった。昨日の、現実的でない現実を前にして、今日はとても、現実的な虚像であった。学校に行き、授業を受ける。なんと平凡な、素晴らしい生活なのだろう。
下りる。一段、また一段。一歩、また一歩と。
下りてはいるが、私にとっては、段差を上がっているような感覚だった。乗り越えてでもいるような。これから、あの着物を着こなした女と対峙するのだ。気持ちは、悪くない。なぜだか、自信があった。どうにかできる。そんな自信が。
講堂は一階にある。一階の、校舎の端側だ。校舎を外側から見ると、端っこに半球型の出っ張りがある。それが講堂だ。
それに入って、左。舞台の反対側の壁へ向かう。一見では分かりにくいが、その壁は引き戸になっている。準備室、いわば物置だ。
私は高一のとき、ここの鍵を手に入れた。一日だけ無断拝借して、同じ型のを作ったのだ。私の他にも、一部の生徒はここの鍵を隠し持っている。この前恋人が私をここまで引っ張ったのも、彼女がそれを持っていたからであった。密会には、十分使える。また、その一部の人間の間では、一定のルールが出来上がっている。引き戸が紙を挟んでいたのなら、使用中というメッセージなのだ。
私は壁の隙間を、じっくりと舐め見る。紙のようなものは、挟まれていない。誰もいない。私は鍵を差し込んで、ドアノブ代わりの窪みに手をかけた。