〇四一
獣は血のスープを舐める。まるで猫が、常温のミルクを舐めるように。獣の舌は、ざらざらとした表面をしていた。ナイフが獣の足元に、空虚な音を立てて崩れ落ちる。
異様な空間の中でも、さらに異彩を放っていたのが、その紫色の眼だった。なんとも形容しがたい。ユートピアの花畑に咲く、一輪の枯れた花のように、それは卑しくも綺麗だ。その眼が、ふと、私を睨みつける。
なぜだかは分からないが、私は冷静であり沈着だった。睨まれても私は目を逸らさずに、視線を突き刺す。サングラスが介入しているが、そんなことはどうでもよかった。だが私の視線は、睨むようなものではなかった。全く異なるものから感じとる、同類であるような錯覚。異質の目撃による、常識との別離。それによる親近感。それに伴う憎悪。
店主の首は、顔色が悪くなっていた。体を失くしたその首は、首としての機能さえも果たせない。思考を止め、命の灯りを吹き消す。
ニルが、二本目のナイフを取り出した。見ていなかったから、それが体のどこに隠されていたのかは分からない。ただ、そのナイフは少々訳が違っていた。先端に、なにやら赤黒い液体がついている。この喫茶店内にできた池のように、活き活きと波を打っている。たった今、ニルがつけたようだ。
毒だ。根拠は無いが、そう確信した。何度殺しても死なないのが、細胞の作用によるものであるなら。今まではナイフや光線で細胞を殺してきたが、そうではなく、細胞の作用、つまり、細胞の機能することそのものを殺してしまえばいいのではないか。と、ニルは考えたのだろう。
毒がそれに適うかどうかは定かではないが、試してみる価値は十分にあるということだ。細胞が、いくら破損しても再生してしまうのなら、破損せずに、成分を換えてしまえばいい。
ニルが、大きくナイフを振りかざした。そして、食事中の獣に飛び掛る。ニルは、痩せ細ってはいるが、筋肉が弱かったり、体が小さかったりということはない。まるで某国の修道僧だ。
獣がニルに噛みかかる前に、ニルはナイフをねじ込めた。獣の顔が、眼と眼の間から、咲く花のように割れる。そのままずぶずぶと深まり、胴が割れる。獣の血肉と共に、食道を通っていたであろう屍が、姿を現した。獣と混ざり合う。
ニルが慌てるように獣から離れる。ナイフは獣の体内に刺さったままだ。毒が、効くか、効かないか。
数秒もすれば、結論は明らかとなった。毒は、効かない。体内のナイフは、獣の再生に合わせて押し上げられ、床にむなしく崩れていった。