〇三八
トラックが動き出した。女は荷台から飛び降りて、開きっぱなしだった助手席側のドアから、運転席に入っていたのだ。キーも、挿したままだ。私たちに気付かないように、寝そべったままの格好でハンドルを握っていた。ニルがドアをそっと開けたと同時に、トラックは動き出したのだ。
呆然と、私もニルも立ち尽くす。一枚上手をいかれた。とっさの行動と適切な判断力。そして、光線を避けるだけの身体能力。
もし、私がなんらかの方法を思いついて、獣を逃がしたとしても、そんなことあの女には関係なかったのだ。あの女にとって、獣はただの道具。使い捨ての、道具。その道具に、自分では手に負えない能力が備わっていたとしても、必要なくなったら無情に捨てる。そんな人間だったのだ。私は、まだどこかに、あの女から母親を感じとっているのかもしれない。敵の心理を侮りすぎた。
獣がまた再生した。ニルはそれにまた光線を放つ。もうすぐエネルギー切れだ。あっけなく倒れた獣を、ニルはナイフで真っ二つに切り割る。そして、そのうちのひとつを遠くへ投げた。
大山で私がとった行動と同じだ。この獣の再生は、新しく細胞が作り直される再生ではなく、散らばったパーツがまたひとつになることのようだ。人間と治癒の種類が違う。ならば、治癒を遅らせるには、物理的にパーツを離せばいい。簡単なことだ。それでも、いつかは元の状態に戻ってしまうのだが。
私とニルは、走った。トラックがないとなれば、移動手段はこの、脚だけである。トラックを追うにしても、脚だけではもはや絶望的である。から、この走行は、もっぱら獣からの避難のためだ。
私たちは走った。走った、走った。一時間ほど休まずに走ると、ほどなくして街に着いた。小さな街である。そこの喫茶店に、私たちは入店する。
「いらっしゃいませ」
感じのよさそうなおじさんが、品表らしきものを持ってくる。水も。私たちは一気に水を飲み干した。その異質な行動にも、おじさんは顔を曲げない。
「ご注文がお決まりになりましたら、気軽にお呼びください」
店の中には、他に客はいなかった。静かだ。
私はレモンスカッシュを、ニルはアイスコーヒーを頼んだ。失礼だが、黒人がコーヒーを飲む様は、思ったよりも滑稽だ。私が、これまで黒人の知り合いがいなかったからかもしれないが、いつの時代になっても、人種の違いはそれだけでなにかしらの興味をひく。
ところで、財布がないのだが。