〇三三
蝿が群がっている。鼻を曲げるような匂いのなか、ぶんぶんと。電灯はついていない。もう太陽は沈んでいるから、家の中は真っ暗だ……というのに。はっきりと、それがなんであるか分かった。
吐いた。
「もう大丈夫ネ」
ニルが私に声をかける。ニルの精神療法のおかげなのか、幾分かは気が楽になった。ニルが私の背中をさする。
実家の居間には、ふたつの死体が横たわっていた。死後一週間というところだろう。当然のように腐敗していた。たくさんの蝿と共にいたであろうたくさんの微生物が、有機物を分解していた。静脈に沿って、人とは思えないほど変色していた。表皮の細かな水泡は面皰のようだ。面皰ができるような歳ではないはずなのに、ヘモグロビンが、腐敗ガスが、その水泡を作り出してしまったのだろう。
死体のひとりは、私の父親だ。おそらく、四肢を切り落とされたことによるショック死、あるいは大量出血による酸素不足。
もうひとりは――母親だった。死後一週間の、母親だった。
「きみ、騙されてたネ。きみのマザー、リーダー違うネ」
記憶をそのまま、他の人間の脳に吸収させる技術が、つい最近開発された。人体実験が施され、実用可能だと言われている。だが記憶を吸われたほうの人間は、生命維持しかできない、いわゆる記憶喪失になってしまうから、世に出るのはそれが解決されてからのようだが。組織の上司からその話を聞いたとき、私は疑問を抱いていた。この手の話を聞くときは、たいていそうだ。人体実験は、どうやって行ったのだろうか、と。
人体実験遂行部の仕事は、人体実験を行うだけではない。その逆、つまり、自らが実験体になることもあるのだ。ずいぶんと稀なことだが。
その部署のリーダーが、どういうわけだかその役目を引き受けた。どういうわけだか、そう言っても、その答えは既に分かっている。私に接触するためだ。リーダーはなんらかの目的で母親を殺し、母親の記憶を吸った。
ニルと穴を掘り、二人分の墓を拵えた。私は宗教を信じてはいないが、こういうときに限っては、両の手を合わせる。
リーダーへの憎悪は、なぜだか沸きあがらない。それよりも、両親への弔いを。
騙されていたのは私だけではない、たとえばAF-117も、彼女が調べた資料を作った者も、みんな、騙されていた。一週間で、そんなことが。まさか、できるわけがない。
蝿は懲りずに蔓延る。