〇二九
揺籃の中にいるような気がした。その揺籃はまた、馬車の椅子に置かれていて。二重になっている振動が、私を包み込んでいるようだった。
目覚めると、そこは真っ暗だった。揺籃ではなく、まだ胎内にいるのかもしれない。生まれるのはまだかな、世に出るのはいつかな、そうやって母体をさするように。だがそこには羊水がなかった。私のへそにも、なにかが繋がれているというわけでもなかった。
おぼつかない足元で、私は立ち上がる。だがぐらっとした暗闇に足を奪われ、またひょいと座り込んでしまった。
ぼんやりと暗闇を眺めているうちに、少しずつそこは明るくなっていった。いいや、明るくなったのではなく、目が慣れてきたのだ。ここが揺籃でも胎内でもないと、確信する。
おそらく、トラックの荷台の中だ。冷たそうな壁に囲まれている。触ってみてもそれが柔らかいということはなく、跳ね返すこともなく熱を奪っていく壁。母体から流れ込んでくるものなどなく、私はまるで、檻に入れられたモルモットだ。
暗闇が消えて行き、徐々に記憶が蘇ってきた。そして急激に、後頭部の痛みに襲われる。耐え切れず蹲った。頭を抱えて蹲った。その姿はまるで、胎児のようだった。
私の知っていた母親ではなかった。私を育ててくれた母親は、あんな人ではなかった。人体実験遂行部の牛耳を執る人であったとしても、執拗に人を傷つける人ではなかった。母親は歴史愛好家だった。いつも着物を着て、簪を身につけ、草履を履いていた。だがあの母親は、ブーツをしていた。髪を下ろしていた。なのに、なのに着物を着ていた。その、古きを重んじた上で新しきを我が物にする姿は、今まで見たことのない母親だった。それだけじゃない。
彼女が死んだ。AF-117が。私は知っている、精神をリンクしていて、リンク先が死んでしまったとき、本体の脳は自分を死んだと錯覚してしまい、自分の機能を停止させてしまう。腹を蹴られ、背中を蹴られ、首を蹴られ。そして喉を貫かれた痛みが、死に値するその痛みが――本当は受けていないのに、体になんの損傷もないのにその痛みだけが――AF-117とリンクしていた精神をずたずたに引き裂いたに違いない。端から見れば安らかに眠るように、森の奥で口付けを待つ姫のように、死んでいったのだ。
それをしたのが、母親だというのか。今まで私を育てた母親だとでもいうのか。まさか、そんなはずはない。母親は神様のように私を愛してくれていた。科学がその存在を立証しようと躍起になっている、神様のように。
荷台は揺れる。揺籃ではありえない、ごつごつとした揺れだ。凹凸の多い地面を、母親の後ろにあったトラックは進んでいるのだろう。でもどこへ。
暗がりのせいで気付かなかったが、荷台と運転席をつなぐ、黒く塗られた窓があった。