〇二八
彼女が舌打ちをした。暗い部屋の中に、ひび割れた壁の隙間から光が差し込む。
また地響きがした。それとほぼ同時に、馬鹿でかい音をたてて、壁が崩れる。
外側から一気に光が流れ込んだ。だが考えてみれば、太陽は沈んでいるはずの時間になっていた。
そこには母親が立っていた。いつもの着物姿だが、両手には金属製の手袋をしていた。足には、この前履いていたのと同じブーツ。簪は抜かれていて、母親の長い髪が、皺の目立つ顔を隠していた。
AF-117がまた舌打ちをした。小さく「空間操作が妨害されている」と呟く。
母親の後方には、旧型風のトラックが止まっていた。その車庫が、神々しく光り輝いている。
母親が腰を低くする。するとブーツが奇怪な音を出しながら、オレンジ色の光を出した。見るからに感電しそうな電流が起こり、母親がものすごい速さで私に飛び掛る。
どうすることもなく私はなぎ倒された。後頭部をどこかに打つ。朦朧とする意識。
私の後ろにいたAF-117が、即座にどこからか拳銃を取り出した。すぐさまに引き金を引く。だが弾が私の上を掠めたときは、既に母親は彼女の背中に移動していた。速すぎる攻撃。背中を蹴り腹を殴る。彼女の体がくの字になりへの字になり、波うち。彼女が地につくよりも前に、オレンジに発光するブーツが彼女の首を蹴る。へし折れそうなほどに頭が胴とくっつく。その勢いで、空中で彼女が一回転半。顔と床の衝突。電話線が切れたような音がすると、そのまま彼女の下半身は、彼女の顔を後ろにして床についた。彼女の体が、ひとつの円を描いていた。背中が内側の。その円を母親が蹴り飛ばす。ゴールキーパーが向こう側の仲間にサッカーボールを送るように。円は形を崩し、一本の曲線になり、天井に身を打った。少しの間隔を置いてから、彼女の体は重力に従う。仰向けに倒れた彼女に、止めといわんばかりに、母親が銃を向ける。向けるだけでは足りず、喉元に銃口を押し付け、そして。
血が散乱した。仰向けの私の胴に、脚に、腕に、顔に、彼女の血液が降りかかる。
母親が、私の名前を言った。乱れた髪から除く目が、私を捉えていた。朦朧とするだけで、私の意識が途絶えることはなかった。AF-117の残骸が、血溜まりに横たわっている。不思議と匂いはしなかった。アンドロイドの血液は、匂いがしないのかもしれない。
母親は私から目を逸らして、私の学校鞄を漁った。なかにあるのは、ただひとつ。それを母親は大事そうに取り出した。それを手にして、母親は笑う。
私の口が、強制的に開けられた。顎が外れそうになる。母親の指が口の中に入る。ほのかに錆びた鉄の味がした。母親は自分の手にある粉を、全て私の口に入れた。