〇〇二
どうにもこうにも、私は根暗なやつだ。友達が少ないというわけではない。断じてない。友達などという表面状の関係なら、誰にだって、簡単につくれる。友達が少ない人というのは、たいてい、表面以外も、要は内側も見てしまおうとする人のことだ。そんな醜態を犯す人に、利益もなしに近づく人は少ない。
今朝は頭痛が酷い。変な夢を見たせいだ。排泄物の味が、まだ脳裏を漂う。
こんな話を聞いたことがある。夢の中でなにかを食べてしまったときは、実は実際になにかを食べているのだそうだ。夢を見ているそのとき、つまり寝ているときに。食べる夢、というと語弊が生じそうだが、料理が並べられることではない。本当に、しっかりと、口に入れて噛んで飲んだことだ。そんな自分の行動を夢で見たのなら、そのとき、実際になにかを口にしているのだ。たとえば、口内の湿気に近づいた、蜘蛛だとかを。美味しそうな料理を、あと少しで口に入れるというところで目が覚めてしまったということは、誰にでもあることだろう。もしこのとき夢から覚めずに料理を食べていたのなら、それはつまり……ということである。
ふと不安になって、口の中に指を入れてみた。特になにかがあるというわけではなかった。もう飲み込んで、消化されているのかもしれない。だが自分で気付かないのなら、それは偽りと同等である。自分で気付かない、それを偽りというのなら。自分の思考を遡ってみる。つまり友達は偽り。とでも、私は。
頭が痛い。もしかしたら、頭痛の作用のあるものを食べたのかもしれない。それを確かめる術はない。
今日も学校に行かなくてはならない。そう考えると楽しくなってくる。頭痛は身体的なものなので、楽しいからといってなくなるものではないが、少々は軽くなるものだ。笑ったら病気が治るという研究結果があったと思う。今はつまり、そんな状態だ。と、ここまで考えてみて、私に、学校を楽しみにする必要なんてないじゃないかと、そんな声が聞こえてきた。だが家には私しかいない。空耳、というのだろうか。はっきり聞こえた。だが、空耳であるのならこれもまた偽り。楽しむ必要性がないといっても、楽しまない必要性もないのだから、どちらにしたって問題はないはずである。あるいは、両方に問題があるか。
私は布団から這い出て、たった六畳の家を、そっと眺めた。