〇一八
「……」
母親は気付いていた。いや違う。最近になって気付いたのだ。
私は気付いていなかった。私と母親の気付く対象は違うが、母親は気付いていたというのに、私は気付いていなかった。
疑ってはいた。後になって屁理屈を述べてみると、そう言うことはできる。
気付くべきだったのだ。母親が履いていたブーツが、発売されているものではなく、試作段階のときのものだったということを。
母親は、組織の人間だったのだ。
皺ができた顔には疲労と呼べるものがあった。その顔を曲げて、母親は言う。
「自分の息子のことだからって、組織が私に任務をくれた。その任務がなにかはいえない」
腐った水を無理矢理飲まされているような感じだった。私が中学三年生のとき、あんな目に遭ったときも、母親は知らんふりをしていたのだ。
母親は私の両目をじっと見つめて、なにやらよく分からない言葉を発していた。組織と交信しているのかもしれない。会員ごとに連絡方法が違うとも言われるほど、組織の手口は多種多様なのだ。
私の家は、今住んでいるここは、なにもない。家具と呼べるのは机くらいだ。だがその机さえも、今はこの空間から排除されていた。私の目の前の人間が次第にぼやけていき、消えてなくなる。唐突なことだった。
「危ないところだったわね」
私の仕事のパートナーが、母親のいたはずの位置に現れた。AF-117だ。
「私の緊急システムが作動したのよ。主人の身に危険が及びそうになったとき、一時的に空間に歪みをつくり、主人をその空間に非難させる」
私は声を出さない。それが決まりだ。
「あなたのお母さんは……組織の人間科学班に属する、人体実験遂行部長よ。部長がこうも積極的に動いてくるとは想定外だわ……。とりあえず、実験体にされる前に逃げましょう」
私は彼女の言葉に疑問を感じずにはいられなかった。おかしいだろう。私が実験体として扱われるのは、以前の毒もどきのときもそうで、組織のためのことだ。それなのに、組織が製造したアンドロイドが組織の活動を阻害するなんて。
「不可解そうな顔をしてるわね。理由は後で教えてあげるわ。今は駄目。あなたのお母さんが、早速この空間に穴を空けようとしているから」
私と彼女は、物質のない空間を走った。