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〇一六

 ファーストキスだった。人生で初めての口付けだった。唇の感触というものを、初めてこの身で体験した。

 やわらかかった。体中が針でつつかれているような、ぞくぞくとしたちくちくとした感覚だった。私が動物のように毛深かったのであれば、それらは一気に逆立ったことだろう。不思議なことに、性器が反応することはなかった。ああ、これがキスというものなのか。全く性的なものではなかったのだな。ああ、これがキスというものの味だったのか。なにかに喩えられるほど特徴的なものではなく、抽象的な、青春の味がした。

 この感覚は、科学的にはなんと言えるのだろうか。組織の研究課題に、青春の味というものが、あっただろうか。なかったんじゃないだろうか。研究するべきなのではないだろうか。科学で立証すべきことではないのではないだろうか。

 私は一瞬でオチていた。恋にオチていた。彼女にオチていた。

 周りの騒ぎ声も気にならなかった。AF-117が作り出した空間よりもそこは、私だけの空間になっていた。残念なことに、私の完全なる空間には、彼女はいなかった。それよりも、ただファーストキスを体験したという事実だけが、私を私たらしめていた。それでもなお、私は彼女にオチていた。この空間は彼女に内包されてでもいるように、揺れて揺れる。

 その永遠に続きそうな、言い換えるなら止まってでもいたような時間は、惜しくも過ぎていく。電車での景色もこれほどまでには惜しくはないというのに。電車の景色は明日も見られるが、そうか、ファーストキスは今回限りなのだった。

 恥ずかしそうに彼女は私の腕をつかんで、顔を伏せて教室を飛び出ていった。無論、私は腕をひかれて彼女についていく。ドアを開けても、人が大勢いた。こんなたくさんの人に囲まれたのも、初めてだった。人込みを抜けて、彼女は廊下を走る。昔も今も、廊下は走るべきではないという風潮は変わらない。それでも走った。みんなうるさいから。

 そうして辿りついたのは、講堂の準備室だった。ここに人がくることは、一般の日ではまずありえない。

 彼女の息はあがっていた。私はそれほどまであがってはいなかった。彼女の顔は赤くなっていた。私の顔が何色をしていたのかなんて、自分の顔を見られるわけでもないのだから分からなかった。

「……で、付き合ってくれるの?」

 赤い頬をしていても堂々と、真正面から彼女は訊いてくる。裏の世界を知ってしまっている私にとって、それは到底信じられないものだった……のだが、私は反射的に言った。

「もちろん」

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