〇一二
私は親というものに詳しくない。まだ親になったことがないからだ。片方からの視点ででしか、親というものを識別できない。だからこれは曖昧な表現になってしまうのだが、私は母親が、いつもと変わっていないと同時に、いつもは隠れていたなにかが、ひょっこりと顔を出しているような気がした。いつも変わっていないがゆえに、とも言える。なにかが違うのではなく、なにかが同じというわけでももちろんなく、とにかく違和感らしからぬなにかがあったのだ。
気付くのに時間がかかったのか、それとも目覚めてすぐに気付いたのかは、よく分からない。一年半のブランクのせいなのか、親というものに、私はなかなか疎くなっていた。運動していなければ体が鈍るように。
腕時計を見ると、夜の一時になっていた。
母親は依然として正座をしていた。さすがの母親でも、足は痺れるはずだ。私はふと「いつまで正座してるの」と訊いた。暗にそれは、崩してくださいと言っているのだった。だが母親は返事を口にせず、なにか考え事をしていた。両目の焦点が合っていない。
月の光は、苦痛にしかならなかった。たまに窓を開けて縁に腰をかけて、月を眺めることがある。だがあのときの月とは違って、今日の月は、なにかが。
そういえば、なぜ母親は、私の家に侵入することができたのだろう。曲りなりにも、この家には施錠の機能がある。施錠のない家だなんて、ありえない。いくら情報屋といえど、鍵の手配まで施すとは考えにくい。組織の仕事で一度、情報屋と会ったことがあるが、その人はただ情報を伝えるというだけで、他にはなにもしなかった。彼らは謎の方法で情報を仕入れ、金に換える。それしか能のない人間のはずだ。だとしたら、他にも、母親に侵入の手助けをした人がいるのだろうか。はたして、母親は私に会うために、いくらの金を使い、何人の人を雇ったのだろう。
そこまでして、なにをしに来たというのだろう。
私は親というものに詳しくない。だがふと思ってみると、母親なしで、父親はどうやって食事をするのだろうと思った。古風な二人だ。父親は料理なんてしたことないし、最近流行りの五秒で終わる食事にも、興味はないはずである。あるいは知らないか。ああ、そういえば行き着けの酒屋があったと思う。成人したら一緒に行こうと、約束した覚えがある。父親への心配は無用ということで、話を戻すと、なぜ母親は私のところに来たのだろう。ただ会いたくなったから、なのだろうか。
夜の二時になったところで、母親が口を開いた。実に、一時間の沈黙だった。
「ちょっと、散歩しに行こうか」
正座が崩れた。だがそれ以前に、もう母親は座ってはいなかった。