〇〇一
私は死んだ。
毒を飲んだ。コップ一杯のオレンジジュースに、毒の粉を、さも味付けのように入れた。飲んだオレンジジュースは、オレンジジュースの味がした。とても美味しかった。こんなもので死ぬはずがない。だが、毒薬は口に甘し。
次に私は首を切った。オレンジジュースを飲むとき、台所にある包丁が目に映ったのだ。両手でその柄を握って、刃で喉を貫いた。思っていたよりも痛かった。限界を超える痛みというものは、もはや無と等しい。というのに、私は痛みを感じたのだから、つまり包丁で首を切った程度のことは、限界ではなかったのだ。両手が汚らわしい血でまみれた。それが鬱陶しかった。だからもっと包丁を奥に押した。痛みは感じなかった。そうか、これが限界というものなのか。そう私は喜んだ。だが喜びも、結局はただの偽物だった。偽りだった。オレンジジュースの味は思い出せなくなっていた。これは限界の痛みなのではなく、単に私が慣れてしまっただけなのだった。
包丁を持ち続けるというのにも面倒臭くなっていた私は、次に首をくくった。天井の通気口に縄を引っ掛け、私の首をそこに食い込ませた。先ほどの包丁のこともあってか、予想通り苦しかった。苦しみが一頻り過ぎると、今度はそれは快感になってしまっていた。私はつまらなくなって、床に足をつけた。
そういえばおやつを食べ忘れた。一旦死ぬのはやめて、私は戸棚へ向かった。だが、私は忘れていた。その戸棚には、仕掛けが施されていた。私が仕掛けたのだ。戸棚が前のめりになった。中からたくさんの皿と、ナイフと、排泄物が飛び出てくる。私はそれを大袈裟に受け止めた。皿が割れ、欠片が目に刺さった。両目ではなく、右目に。ナイフは役立たずだった。ひとつも私に刺さることなく、私と共に床で横たわっていた。
私の髪の毛には、異臭を放つ糞尿がこびりついていた。私はそれを指先につけて、舐めてみた。美味しくはなかった。オレンジジュースのほうが舌に合う。だが、オレンジジュースの味を、どうしても思い出せなくなっていた。
記憶とは、一体なんなのだろう。デジャブという言葉があるのは、記憶の操作によるものなのだろうか。……だなんて、自分でもよく分からないことを言ってみる。そういえば、正夢というものも世の中にはある。夢が本当になるだなんて、私には到底理解できない。おそらく、これも記憶というものの操作によるのだろう。どこからが虚構で、どこまでが事実であるかなどというのは、どこからが善で、どこまでが偽善であるかと言っているようなものだ。無意味だ。
意識が朦朧としていく。そうか、私はやっと死ねるのか。
私は死んだ――という夢を見た。