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どーでもいいエッセイ

AIの作品ってなんかムカつく! その理由を書きました。

作者: 鳴海 酒
掲載日:2026/08/01

今回はちょっと真面目な話です。


■はじめに。

 私は先日、『Californian Wager Roll』というお話を完結させました。

 カリフォルニアを舞台にした、囲碁に出会った少年の青春小説です。下にリンク貼っておくので良かったら覗いてみてください。(以上宣伝)


 で、この話を書いた動機を正直に書くと、「えっくすで流れてくるAI論争にイライラしていたから」なんですよね。感情論で殴り合うネガティブな話ばかり見せないで欲しい。

 そして私自身も、反AIとまではいかないのですが、AIの作った作品、創作物ってやつは、あまり好きじゃありません。


 ただし、それはまだ「なんか嫌だ」というぼんやりした状態です。

 感情はあるけど、その理由がはっきりしない。自分の中で言葉にはできていませんでした。


「AIの作品は好きじゃない」とは言ったものの、AI作品と人間作品の境目なんて、どこにあるのでしょう。

 作品だけを見て人間とAIの区別がつかない場合、もしくは人間の作品と全く同じものをAIが作り出した場合、それは芸術と呼べるんだろうか?

 そういった疑問に、答えが出せないのです。


 ということで、小説を書きながら、私なりの基準を探していこうと思ったのです。


 誰が作ろうが、作品は作品です。批判するには理由がいります。

「だからAI作品はダメなんだよ!」と胸をはって言うには、何かしらの理論が必要なのです。


 結果、紆余曲折ありましたが、今ではなんとか自分なりの答えを見つけることができました。ここにエッセイとして書き残しておきます。


 別に他人に押し付けるつもりは毛頭ありません、あくまでも自分の中での基準です。

 ただ、どういう結論にしろ、理由と納得は必要ですからね。


――――――――――


結論からいきましょう。

私は、AI生成作品について(小説、イラスト、音楽など、ジャンル問わずです)、「作品」ではあるけど「芸術」ではないという考えに至りました。

注意して欲しいのは、芸術性が高いことと、作品としての完成度は、イコールではないということです。


AIが作ったとしてもそれが「作品」なのは間違いありません。完成度とか芸術性は置いといて、ともかく完成品の絵や小説が出力されますからね。

私が今回話したいのは、その作品の「芸術性」についてです。



■私にとって芸術ってなにさ?

 芸術について、私は大きく3つの要素があると考えてます。


①受け手の感情が動いたか。

②○○を表現したい、という意思があるか。

③それについて、作り手がどう変換したのか。


 じゃ、順番に説明しますね。


①受け手の感情。

 作品は、それを見た人の感情を動かして(プラスかマイナスかは問いません)、初めて芸術作品だということです。

 誰も見ない、倉庫に眠ってる作品は芸術じゃない!というわけではありません。創作物を見て、受け手の感情が変化して。そのやりとりの中に芸術性がある、と言いたいのです。


②○○を表現したい、③それをどう変換したのか。

 これは二つまとめて説明しますね。

 芸術とは「積み上げられた思考や感情が、音楽や絵画などという別の形で表現されるもの」だと考えてます。

 簡単に言うと、「○○を表現したい」という意思。そして「それをどう表現したか」という部分。

 意思の部分って、例えば「秋のサンマってうまいよなー」でも何でもいいのです。ただ、その美味さをそのまま言葉にするのはただの味の感想で、芸術ではない。

 感動を絵に描いたり、演奏したり、何らかのフィルターを通しての表現をしたときに、芸術になると考えてます。

 そしてそのフィルター部分こそが、まさに芸術の一番の芯の部分だと、私は思うのです。



■じゃAI作品はどうなのさ?

 では、AI生成作品についてみていきましょう。


①作品を見ての感想は、作り手がAIかどうかにはあまり関係ありません。

 AIの作風はニガテだ、嫌いだというのは、AI作品全般への印象であり、単体の作品への感情とは少し違いますからね。

 もちろん「この作品はAI生成特有の無機質さがあり、嫌いだ」という感想も、否定はしません。


 ただ、②と③については、明確に「AI生成作品の芸術度は低い」と言えます。

②どんな細かいプロンプトで指定したとしても、一度AIへの指示を挟むことで、作者の頭の中の完成図との一致度は下がります。

 作者の表現したいものが現れない、とは言いません。ただ、純度が落ちることが問題だと。


③そして、作った人が何を表現したいのか、意思をどう変換したかについてです。

 変換作業をするのは作者ではありません。そしてAIが生成するとき、その表現の知識範囲はAIに依存します。これは一番私が問題だと思っている点ですね。

 作者だけが知っているような個人的なこと、一般的に知られていないようなニッチな知識や表現などは、作品に出てくることはないでしょう。

 逆に、作者の知らない表現が勝手に使われることもあるでしょう。細かい部分の判断なども、基本的にはAIにお任せです。

 このこと自体は、一概に悪いことではないと思います。新しいことを学べるわけですから。ただ、私の中では、そうして作られた作品を芸術品とは扱えない。


 以上のことから、私は今後胸をはって「AI作品は芸術じゃない」と言おうと思います!



■そういえば現代アートもあったよね?

 ついでですが、私って現代アートがよくわかんないんですよね。

 ええ、もちろん現代アートと言っても幅広いですが、特にとっぴなやつですね。

 例えば「コメディアン」って作品があります。バナナをダクトテープで貼り付けた、あれのことです。


 ①あれを見た私の感想は、「これが何なの?」なのです。よく理解できませんでした。強い嫌悪でもあればいいのですが、そもそも感情があまり湧き起らないのです。

 そして、②作者の意図もわかりません。わからないので、③こう表現したのか! という理解もできない。

 まあ、生で見たわけでは無いので、美術館で見るとまた違った感想になるのかもしれませんが。


 現代アートにとっては流れ弾で申し訳ないけれど、以上の理由から、私はあれを芸術とは思えないのです。

 よかった。これで胸をはって「現代アートってわからねえよ」と言えるようになりました!



■あなたにとってはどうですか?

 最後になりましたが。

 作り手と受け手の関係からもわかるように、一つの作品でも人によって受け取る芸術度は違うと思うのです。


 例えば、愛する我が子が、河原で拾った石をテープで画用紙に貼り付けた。親にとっては大変意味があることだと思うけれど、あなたにとっては違うでしょう。


 例えば、作品によっては伝わらないこともある。作者の意図と別のものを受け取ることもある。

 スウィフトの『ガリバー旅行記』なんか典型ですよね。当時の政治への批判を、別の物語に変換した。ただ、そのことを知らなくても作品単独で読むこともできるという点が、大切だと思うのです。


 何が言いたいかと言うと、「私はこの作品に芸術性を感じない」と、「この作品には芸術性はない」はイコールじゃないよってことでした。


 では、ご清聴ありがとうございました。

 議論はこの辺でお開きにして、また創作の旅に出ようと思います。

 創作者の皆、応援してます。AI議論なんかに心を乱されず、良き創作ライフを送ろうね!


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