9月3日、月下美人と英国空母と私の胃袋
――2025年9月3日、午後二時十五分。
地域のコミュニティカフェ「ほっとぼりっこ」、窓際の四人掛け。
紅茶の湯気が、夏の残り日にじわりと溶けていく。
智子「ねえねえ、今朝の新聞で見たんだけど~、山口県の小学五年生、小城みおちゃんがイギリスの空母の艦長に切り絵を贈ったの!」
美咲「えっ、空母?あの大きい大きい船?」
私(内心:また智子の“全国愉快ニュース”ネタ回しだ……今日は胃薬飲んで来て正解)
佳代「空母に切り絵?折り紙なら鶴千羽鶴でしょ、ミサイルに乗っかるの?」
智子「違う違う、艦長が日本に寄港したときに、地元の小学生の作品をプレゼントしてるの。みおちゃんの切り絵、『桜とイギリス薔薇』っていうテーマで、見事選ばれちゃった!」
美咲「うちの子も先週切り絵やったけど、犬が猫に進化してたわ。足が八本とか、もはや別生物」
私「八足動物ってアリですらない」
佳代「うちはハサミでソファーまで切った。新作『モケットの傷』」
全員「それは犯罪」
(ウェイトレスが紅茶のお替わりを持ってくる。智子、いちご大福を追加注文)
私「で、どんな切り絵なの?艦長、感動して泣いた?」
智子「記事には『Thank you very much! I’ll put it in my cabin!』って言ってたらしいよ」
美咲「キャビンって、あの狭い船室?私なら押入れにしまう自信ある」
佳代「押入れに空母の艦長いないから」
私「いるとしたら押入れが空母」
(私のスマホが震える。画面に“廊下で靴ひも結べなくて泣いてる”と長女から。
私「ごめん、ちょっと――」と席を立ち、子供に電話で靴ひもの結び方をレクチャー。戻ると)
美咲「さっき話、どこまで?」
佳代「キャビンの押入れ」
美咲「あ、そうそう、艦長さん、日本語で『あざーす』って言ったら面白いのに」
智子「外交上マズいでしょ」
(紅茶こぼしそうになりながら、智子が話題チェンジ)
智子「そういえば岐阜県のプール、78歳のスイマーが世界記録更新したって載ってた!」
佳代「78歳で記録更新?私は40で階段上るのさえしんどいわ。記録更新どころか心拍数更新」
美咲「おばあちゃん、私のおばあちゃんより元気ね。うちの祖母はプールより銭湯派。『水が冷たい』って言って、結局腰掛けてテレビ見てる」
私「テレビ局、『銭湯の祖母』って新ジャンル開拓しそう」
智子「ハツ子さん、50メートル背泳ぎで1分16秒。私、去年の運動会タイムより速い……」
佳代「運動会で背泳ぎ?親の競技に水泳ないでしょ」
私「リレーで親がバタ足やったら面白いけど、他の保護者が溺れる」
美咲「でも78歳って、うちの母親世代。母、昨日は孫の遠足のお弁当で朝四時起き。『海苔が波打ってる』って泣いてた」
佳代「海苔より母が波打ってた」
私「遠足の話で思い出した――今度の行き先、‘福井県の恐竜博物館’なの。恐竜と月下美人が同県って、ロマンありすぎ」
(ふと、店内のBGMが「月の沙漠」に切り替わる)
美咲「月下美人?月見団子の美人かと思った!」
佳代「それは月下見の美人よバカ。月見団子に顔があるとしたら餅肌」
智子「福井県の植物園で、一夜限りで咲いたんだって。朝にはしぼんでるから、見た人だけがラッキー」
私「私なら寝すごす自信ある。‘咲いた夜に限って寝不足’とか、主婦の鉄則」
美咲「月の満ち欠けで咲くの?満月の夜、花が‘ちらり’って顔出す感じ?」
智子「違う違う、植物園の職員が電気を消して観察会やってたらしいよ。懐中電灯一つで‘パッ’と開く瞬間を撮影」
佳代「私なら‘パッ’の前に‘バタ’と倒れる。暗いところで立ちっぱは無理」
(美咲が持ち込んだスイカの種をテーブルに並べ始める)
美咲「種で占いしよ。三角形に並べると願いが叶うってTwitterで見た」
私「願いって『明日の特売品が買えること』?」
佳代「私は『階段昇降無事故』」
智子「私は‘イギリス空母に乗ること’。切り絵持参で」
私「入国審査で‘これは刃物ではありません’って説明するの?」
(種が転がり、店員に注意される。代わりにウェットティッシュで種を包む)
美咲「月下美人、一夜だけなの悲しいね。私も一夜だけダイエット成功とかありそう」
佳代「朝には膨らんでる」
私「花も主婦も、朝にはしぼむってこと?」
智子「でも咲いた分だけ綺麗でしょ。記録も、切り絵も、一夜の花も、全部‘今この瞬間’を大事にしてる」
佳代「急に深い!」
私「智子、紅茶入ってるよ」
(智子、カップを傾けてもう一服)
(時計を見ると三時十分。学校の迎え時間まであと三十分)
美咲「そういえば近所のスーパー、明日は冷凍餃子半額らしい。月下美人見に行くお金ないから、餃子で我慢」
佳代「月下見団子でも焼けばいい」
私「英語で‘gyoza’って書いてあるやつ、イギリス空母の艦長にも食べさせたい」
智子「文化外交」
(レジに立ち、割り勘計算中に長女から再び電話『宿題どこやった?』)
私「さっき靴ひもと同じ引き出し」
美咲「私も電話きそう――」
智子「みんな、また明日もここでお茶しない?」
佳代「階段昇降無事なら」
私「餃子食べて体力つけて」
美咲「月下美人、今夜咲かないかな。咲いたら写真送り合お」
私「スイカの種の願い事、‘明日もこの時間’でいいや」
――外はまだ夏の空。
カフェを出ると、商店街のスピーカーが‘遠足のお知らせ’を流していた。
私たちは四散し、それぞれの“母”へと帰る。
くだらないけど、笑える時間だった。
明日も、明後日も、きっと、こんな午後が続く。