記憶の片鱗
翌朝、翔は自分が転生したことを再度確認し、どこか不思議な感覚を抱えながらも新しい一日を始めた。鏡に映る若い顔、軽やかな体、そして広がる未来。ふと笑みがこぼれそうになるが、すぐにそれを引き締める。この新しい世界で、再び何かを築き上げたいという衝動が彼の心に芽生え始めていたからだ。
彼は現在、サイバーラボという小さなITベンチャーでアルバイトとして働いている。もともとITに詳しかったわけではないが、偶然にも会社経営を学ぶにはうってつけの環境だった。サイバーラボは成長過程にあり、まだ経営の基盤も弱く、安定した収益も見込めない。翔はその状況にある種の親しみを感じていた。自分がかつて経営者として挑戦してきたように、この小さな会社もまた、成長のために必死に戦っているのだと。
職場での初日は比較的穏やかだった。先輩社員たちの仕事ぶりを観察しつつ、指示された簡単な作業をこなしていく。しかし、周囲の同僚が行うマーケティングや戦略に対する考えが、どこか物足りなく感じてしまうのだった。かつて経営者として培ってきた知識が、今の仕事に対して「もっと効率的なやり方がある」と囁くように感じられたからだ。
昼休み、翔は昼食を終えてからふとPCに向かい、彼の知識を基にした簡単な売上分析表を作り始めた。特に指示されてはいないが、売上向上に繋がりそうなマーケティング手法や経費の削減方法など、思いつく限りの改善案を数値とともにリストアップしていった。PC画面に向かう指先が自然と動き、無心で作業を続けている自分に気づいたとき、彼は少し驚きさえ覚えた。経営者時代に身に付いた感覚が、体の奥深くに染みついているのだ。
「伊藤くん、何してるんだ?」
突然の声に顔を上げると、上司の藤村が翔の画面を覗き込んでいた。翔は慌てて画面を隠そうとするが、藤村は興味津々の様子で続きを見せてほしいと促した。仕方なく、翔は自分が考えた売上分析や改善提案について説明する。
「えっ、これを君が……?」
驚いた様子の藤村に、翔は内心で少しだけ得意げな気持ちになった。藤村はしばらく画面を見つめた後、「君がこれほどの分析力を持っているとは思わなかったよ」と感心した様子で言い、翔の提案を即採用することにした。
そしてその日、翔が提案した改善案が実施されることとなった。最初はささいな変化だったが、徐々に効果が現れ始める。周囲の社員たちは、若いアルバイトが突然行った改善案の効果に驚きを隠せないようだった。特に、彼のマーケティング手法の提案が売上を支える要となり、サイバーラボは予想以上に順調な成長を見せ始めた。
同僚たちは次第に翔を「ただのアルバイト」以上の存在として認識し始め、彼の発言や提案に耳を傾けるようになる。翔もまた、自分の知識や経験が現代でも役立つと確信し、自信を深めていった。
だが、その一方で、翔は自分がまだこの世界では「伊藤翔」という一個人でしかないことを自覚していた。今の立場を守りつつ、少しずつ自分の影響力を広げていく必要がある。無理に目立つことなく、周囲の信頼を積み重ねながら、自分が本当に信頼できる仲間を見つけることが第一歩だと心に決めるのだった。