2025年5月20日(火)配信の用意
事務所に入ると、真司が机に向かい、何やら考え込んでいた。
机の上には、コーヒーカップがふたつ。
「誰か来たのか?」
俺は真司に声を掛けながら、カップを指す。
「ああ、ナンブの向井さんだ。朝っぱらから事務所の前に張り込んで、顔合わせるなり”スマホを売ってくれ”だってさ」
「オークション前に取引したいってことか。よっぽどスマホがお気に召したらしいな」
「まあな。おかげでいい感じに協力体制が作れそうだ。いつでも連絡取れるように、向井さんにも一台渡しておいたよ。ただ……」
真司は言葉を濁す。
「ただ、なんだよ」
そう言いながら、俺は電気ケトルのお湯を沸かし直してコーヒーを入れた。
「ちょっと、スマホのことを軽く考えてたかな──って。オマエみたいな非常識な存在が身近にいるせいか、正直ただの便利グッズくらいの感覚になってた。もっと安全策を取るべきだったかな……」
「さり気なく俺をディスるな。──だったらどうする?」
「社名を出して売り出すつもりだったんだけど、そうするとトラブルは避けられないだろ? なら、匿名でオークションをやるべきか……。だが、そうすると会社の知名度は上げられない」
「嘘みたいな製品を世に出すんだから、匿名じゃ詐欺扱いされるかもしれないぞ。売れなきゃ話にならないんだから、会社名は出したほうがいいんじゃないか?」
「うーん……どっちを取るべきか」
二人でしばらく唸る。
「みんなの安全を優先するなら匿名だな。商品の信頼性はオークションサイトで証明すればいい。販売元がウチだって情報はそのうち漏れるだろうが、時間稼ぎはできる」
「じゃあ、時間を稼いでいる間に、追加のセキュリティ対策を進めておくか」
「よし、決まりっ! となれば、本日の業務開始──」
俺は両手をパンっと叩いて、じっと真司を見る。
「な、なんだよ……ジロジロ見て」
「いや、今朝の新婚さんみたいな雰囲気はどこへ行ったのかと思ってさ。すっかりいつも通りのオマエじゃん」
「ブッ……、ゴホン。朝は昨日の余韻がまだ残ってて……。まあいいだろ。仕事の時間は、ちゃんと仕事をしよう」
真司は真面目ぶった口調になり、強引に話を切り替える。
「まずは、オークションサイトに商品登録だ。商品ページから、実際にダンジョンでスマホを使っているところを見れるようにしたいな」
そう言いながら、真司はノートパソコンでオークションサイトを開く。
「だったら、SNSのリンクを商品ページに貼り付けておこうぜ。そっちでライブ配信すればいいだろ?」
「ただ動画を流すだけじゃなくて、リアルタイムでSNSのコメントに受け答えすれば、ライブなのがわかるな」
「それいいじゃん」
「じゃあ、そうしよう。何か用意したほうがいい機材はあるか?」
「ダンジョンに入ると、魔力の影響で俺たちには周囲が明るく見えるけど、カメラの映像は暗いままだろ? 配信するならライトは必須だな。それと、手ブレがひどい映像は嫌がられるから、三脚を用意したほうがいい」
「手ブレ防止なら、ヘルメットに取り付けるカメラを使う手もあるぞ」
真司がトントンと頭を指さす。
「電波が通じるのはスマホだけなんだし、別の機材を使ったらなにか“仕掛けがある”と疑われるかもしれないぞ。今回はスマホだけで撮ろうぜ」
「なるほどな。だが、スマホを持ちながら戦闘シーンを撮るのは、難しくないか? 荷物も多いし」
「だったら最初から、俺が戦闘、真司は撮影担当に分けよう。三脚がジャマなら、収納式の一脚でもあれば、多少は手ブレせずに済むんじゃないかな」
「なるほど。そうしよう」
真司はオークションの準備に取り掛かる。
俺は、駅前の電気屋へ行き、充電式のLEDライトと、スマホを取り付けられる雲台の付いた伸縮式の一脚を買った。そのあと、ナンブのダンジョンショップで4人分のポンチョを見繕う。
ポンチョというと、薄っぺらいナイロンの雨合羽を想像するかもしれないが、これは自衛隊の深域攻略部御用達のれっきとした探索者用装備だ。
ベースとなったデザインはポーランド軍のレインポンチョで、袖はなく、広い布にフードがついた単純な造りだ。
生地の切れ目から腕を出せるので、武器を振り回したりするときに動きを妨げない。
オプションの支柱を立てれば、そのまま小型のテントにもなる。
表は厚地のキャンバス生地、裏はケブラー繊維が重ねられていて、ゴブリンに噛みつかれても耐えられるくらいの強度がある。
俺としては西部劇っぽい渋めのポンチョがいいのだが、そんなものはここには売っていない。
奥田くんが教えてくれたコスプレ用の通販サイトに売ってるかもしれないので、あとで探してみよう。
ロマンは大事だ。
***
買い物を終えて事務所に戻ると、真司はまだノートパソコンに向かっていた。
「どうだ、商品登録は終わったか?」
「宣伝文句を考えるのが難しかったが、とりあえず3台登録した。これで様子を見よう。いくらで売ったらいいのかわからないと、今後の予定が立てられないからな」
真司はノートパソコンを閉じると、立ち上がって伸びをした。
「了解。んじゃあ、昼を食べに行かないか? 午後はダンジョンに入ろうぜ。奥田くん用の探索着と、ダンジョン産ポンチョを作りたい」
俺が提案する。
「少し早いが昼にするか。そば屋でいいか?」
「すっかりそば屋の常連だな」
「あそこは、そばだけじゃなくて、丼物もあるぞ」
「じゃあカツ丼にする。商売で勝つ……なんてな」
「ゲン担ぎか。まあ、それもいいな」




