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2025年5月2日(金)個性豊かなパーティーメンバー

 ダンジョンに入っても、女性二人組はのんびりおしゃべりを続ける。

 奥田くんは、“これがダンジョンか”と言いながらマクロモードでそこら中を撮影していた。



 うん、まったく緊張感のないパーティーだ。



「そういえばさ、ダンジョンって、ファン層だったら短時間で行って帰ってこられるけど、ずっと奥まで進む探索者って、トイレどうするんだろう」

 ゆるふわパーマの吉野さんが、実にストレートに、素朴な疑問を投げかけてきた。


「急にトイレに行きたくなる場合だってあるもんね。ダンジョンに入る前に、トイレは済ませておいてくださいって言われたけど」

 長井さんが同意した。


「うーん、男はそのへんでできなくもないけど、女の子の場合は……、どうするんだろう」

 俺も、そのあたりの情報は知らなかった。


 もしかして、うっかり岩陰を覗いたら、おしりを出した女の子を見てしまうような事故が起きたりするんだろうか。



「フフフ……、皆さん、そんな心配は無用です。日用品や化粧品、ケミカル製品を扱う大手化学メーカー藤王からのお知らせです」

 突如、スイッチが入ったように奥田くんが語りだした。


「5月1日、ダンジョン探索用品として、超高吸収熱分解ガーメントが発売されました。探索者は、戦闘機のパイロットや、野戦部隊など、長時間身動きが取れない場合に使用されていた給水ガーメントを使用することが多いのですが、それを更に改良。魔石の触媒反応により、なんと一瞬で水分をゼリー化。しかも、魔石の高い熱伝導率を利用し、吸収物を気化・分解することに成功。蒸れない、臭わない、いつもサラサラ。これを使用すれば、安心で快適な探索ライフを送れることは間違いありません」


「へー、そうなんだ。何かすごそう。でもお高いんでしょう?」

「っ、通販番組かよ」

 吉野さんのツッコミがあまりに絶妙だったので、ついボケを入れてしまった。


「確かに」

 長井さんがツボにハマったらしく、ぷるぷる震えながら小さく笑った。


「とんでもない。こんなに高性能なのに、お値段なんと、たったの1枚2千円!」


 奥田くんも、さっきまでのオドオドした態度はどこへやら、大げさに手を広げて満面の笑みだ。

 どうやら彼は、得意分野のことを喋るときは饒舌になるタイプらしい。


「うーん、軍用とかちゃんとした製品の中だったら安いほうなのかしら。でも、市販のオムツや吸水シートと比べると、ずいぶん高いと思う」

 吉野さんが、渋い顔をした。


「介護用の吸水シートと比べて、性能が段違いです。かさばらないのも利点ですね。ほぼ女性用のナプキンと変わらないサイズですし。あ、ずれないように下着タイプもあります。こちらは男性にオススメです」

「それなら、長期でダンジョン探索をする場合に向いてるな。荷物が減るし」

 俺は、実際にダンジョン内で長期滞在した場合の荷物の量を考えて、同意した。


「そうなんです。今まで、ダンジョン探索の大きな問題のひとつがトイレ事情でした。排泄中は無防備になりがちですし、のんびりしていると、モンスターに襲われるリスクがあります。それに対する保険だと思えば、ボクは安いと思いますよ」

 奥田くんは、ウンウンと頷きながら言った。


「奥田さん、ずいぶん詳しいけど、もしかして──」

「はい、来年、藤王の開発部門にお世話になることが内定してます」

「わ、すごーい。超大手企業じゃん!」



 なんと。“内定まだです”みたいな顔をしていた奥田くんが、すでに超大手の開発部門に決まっていたとは。しかも、内定先の商品情報にも詳しい。

 意外にも、奥田くんは、かなり優秀な人材のようだ。



「ちなみに、大きいほうはどうするんだ?」

「そこは、従来通りにズボンを下ろしてもらうしかないですね。ボクも、藤王の人から聞いた話なんですが。装備によっては簡単に脱げないものもあるので、軍用のアブソーバーを使う場合もあるそうです」

「はー、日用品みたいなモンでも、サバイバルに直結するんだな……」

 俺は、素直に感心した。


「もしズボンを下ろすなら、装備の上からポンチョやブランケットを羽織れば周囲の視線は遮れるので、現状はそれが一番手軽な方法です。携帯トイレを使うこともありますが、これは状況次第です」

「事後のブツはスライム任せか」

「いえいえ、とんでもない。放置しておくと悪臭の元になるだけでなく、異生物を呼び寄せる可能性があります。野営地のそばで排泄をすると、事故が起きかねません。そのために藤王が用意したのが、排泄物専用の瞬間乾燥剤です。すでに潜水艦など、ニオイが拡散しづらい環境で効果を発揮しています。特筆すべきは、拡散係数が他社製品の2倍という点。これは、他社に先駆けて、魔石の特性を製品に取り入れることに成功した藤王ならではの強みです。例えば、密閉空間でアンモニア濃度が100ppmから10ppmに下がるまでの時間を比較すると、他社製品は約6分、本製品ならわずか3分。つまり、ニオイが素早く消え、より快適な環境を保てると──」



 その後しばらく、奥田くんによる藤王製品の解説が続いた。



 ***



「そうだ、記念写真を撮ろうよ」と、吉野さんが言いだした。


「初ダンジョン~」と盛り上がりながら、全員で武器を振りかざしてポーズを決めたり、俺がやられ役になって床に倒れたり。

 そんな即席の撮影会が始まり、最後には戦隊モノみたいな決めポーズまで何通りも取らされた。


 つい、若いエネルギー……っていうか、ほぼ吉野さんの勢いに押されて、流されるまま写真に収まってしまった。

 いい年して一緒になってはしゃいじゃって、何やってるんだよ、まったく。



 奥田くんも、恥ずかしそうに小さな声で「イエーイ」と言っていた。

 どうやら、女子大生チームとは少し距離が縮まったようだ。



 ふと見ると、女性たちの奥田くんを見る目が、さっきより柔らかくなっている気がした。

 “外野”から“可”に昇格ってところか? ──いや、空気が読めない俺には確信が持てないが。


 ただ、まだ“優良物件”とまではいってないな。

 今の奥田くんに必要なのは、清潔感だ。たぶん、研究室に24時間寝泊まりしてるんだろう。少し身綺麗にするだけで、ランクアップ出来るのに。


 どうも俺は、こういう恋愛に不器用そうな男を見ると、ちょっかいを出したくなる。

 別にダンジョンで出会いがあってもいいじゃないか。いや、あるべきだ。

 ダンジョンに詳しい人材は、今や引く手あまた。奥田くんの内定先──藤王なんて、まさに勝ち組だ。


 顔を上げろ、奥田。せっかくかわいい女の子が目の前にいるってのに、スライムばかり見てる場合じゃないぞ。


 心の中で奥田くんにエールを送りながら、俺は密かに頷いた。



 吉野さんが、後でAI加工してカッコいい写真に仕上げて送るねと言って、みんなで連絡先を交換した。



 ……っていうか、今日は何しに来たんだっけ? 合コン?


 違う。俺は探索者になるため、安全講習を受けに来たはずだ。

 和気あいあいとして、楽しそうな若者たちに混ざっているだけじゃダメだ。

 気を引き締めなくては。




 実技講習は、スライムとゴブリンをそれぞれ一体ずつ倒せばクリアだ。

 スライムには物理攻撃は効きづらいが、まったく効かないというわけではない。体の中央にある核を破壊することで、スライムを倒すことが出来る。


 ダンジョンの入口に固まっていてもスライムの取り合いになるので、他のパーティーから少し離れたほうがやりやすい。

 俺たちのパーティーも、遠足のようなノリではあるが、スライムを探しながら移動し、見つけ次第ハンマーで叩いてみた。



「やだ、気持ち悪い~。ぶよってした」

「思っていたより硬いわね。見た目はゼリーなのに」

「あ、ちょっと叩いたら弾けた! ヤダ。なんか水っぽいのが飛んできたんだけど~」

「一応今ので倒せたみたいよ。服についたらシミになるかな。ウエットティッシュで拭いておく?」

「うん、ありがと~」



 目を閉じて、会話だけ聞いていたら幼稚園の遠足だな。



「動画サイトで見たときは、簡単に倒せそうだったんですが……。適当に叩くだけでは核に衝撃が届かないとは。凄いなスライムって。単純な構造であるからこそ最強! 素晴らしい!」



 奥田くんがスライムを絶賛している。さすがスライムラバー。



 俺にとって、初めて対峙する異生物とはいえ、相手は最弱のスライムだ。

 言わば、キング・オブ・雑魚。

 緊張することもなく、俺はハンマーを構えた。


 こちらに敵意を向けることもなく、ただ近くを徘徊するだけのスライムの討伐は、蚊を叩く感覚に近い。


「唸れ、俺のなんとか剣!」と、脳内で必殺技を叫びながら、スライムをボコンとハンマーで叩く。

 しかし──、ボムンと芯を外した音がするだけで、スライムはするすると逃げていく。


「あ、待て! こんちくしょう」



 テレビのバラエティ番組で、ダンジョンに入ると童心に返ると言っていたが、確かにそんな気はする。



「なんだかダンジョンってホントにゲームだな。VRゲームってやったことがないけれど、こんな感じでプレイするのかな」

 俺は、ダンジョンの中を見回しながらそう言った。


「うーん、どうでしょう。VRゲームは、ボクもやったことはないです……」

 そう言いながら、奥田くんの目は近くのスライムに吸い寄せられていった。


「この子、動きがかわいいな。それに少し色が薄いみたいだ。意外と個体差があるのかもしれないな」

 ハンマーを持つ手が止まる。


 倒すべきか、愛でるべきか──。

 奥田くんの葛藤が見えるようだ。



 近くにサポートの腕章を巻いたスタッフがいたので、吉野さんがスライムの倒し方を聞いた。


「あのー、すみません。スライムって核だけ叩こうとしてもうまくいかないじゃないですか。スライムの体を手で押さえても大丈夫ですか?」

「素手で触れるのは危険ですが、少しの間なら大丈夫ですよ。ただ、グローブをはめたほうが安全です。スライムにしばらく触れていると、ネバネバする成分が表面に出てきて、長時間肌に触れていると剥がれなくなります」

「げっ、なにそれ。ヤバくない?」

「水で流せば取れますので、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」


 スタッフは軽く言うものの、何となくスライムに触ることを嫌がる空気が出来てしまった。

 女子大生チームは、スライムに触れずに倒す方法を色々と検証をし始めた。



「打撃には強いんだよね。ナタだと切るというより叩きつける感じだから倒せないのかな。もっと鋭利な刃物……、カミソリとかハサミだったら切れそう。誰かハサミ持ってない?」



 モンスターをハサミで切る? それは新発想だ。



 ハサミはないが、奥田くんが実験用に色々と小道具を持ってきていた。カッターがあったので、それを使ってみた。


「体がまっぷたつになったら、プラナリアみたいに増えたりして」と言いながら、吉野さんがスライムの体の端っこをカッターで切り取った。



 へー、スライムってカッターでも切れるんだ。



 しばらくスライムの切れ端を見守っていると、黒い煙になって消えてしまった。


「んー、端っこだけだとダメなのかな。ある程度の大きさがあれば増えるかも?」

「カッターでスライムを2等分にするのは難しいな。もうちょっと刃の長さが欲しい」


 何だか、学校でやった生物の授業みたいになってきた。

 スライムを倒すというミッションが、いつの間にかスライムを増やすミッションに変わっていた。


 スライムを増やす実験に取り組み始めた女子大生チームは置いておいて、俺はスライムの核に向かって真っ直ぐハンマーを振り下ろすことを意識して、一撃必殺を狙う。

 成功率は今のところ、3割程度。動かない標的でこの成績。


 野球だったら3割打てれば強打者だが、ダンジョンじゃ残り7割の確率で死ぬかもしれない。大げさだと思うか?

 だが、ミスったらリセットの利かない世界で、打率より死亡率のほうが高いのは不安でしかない。ひたすら練習あるのみ。



 奥田くんは、アイドルの撮影会のごとく、折りたたみ式のレフ板を広げ、あらゆるアングルからスライムの写真を撮りまくっていた。何やら、イイネ、イイネとかスライムを褒め称える言葉をブツブツ言っているのが聞こえる。


 奥田くんには、ライトに照らされたスライムの半透明のボディは、グラビアアイドルより遥かに神々しく見えているらしい。



「……奥田くん、スライムもいいんだけど、女性陣にもう少し近づいてもいいんじゃない?」

 俺は奥田くんにそっと近寄り、小声で話し掛けた。


「え? 長井さんと吉野さんのことですか?」

 奥田くんが顔を上げた。


「せっかくかわいい女の子がそばにいるんだからさ、しかも連絡先まで交換しちゃって。チャンスだと思わない?」


「そりゃ、かわいいと思いますけど……なんか二人とも手が出せない感じですよね」

「いや、そこはもっと頑張ってさあ……」

「でも、スライムは、つい手が出そうな感じがしませんか? ぎゅっと抱きしめたくなるというか。長井さんたちって、そういう感じはあんまりしないので。その差は埋めがたいと思うんですよね」


 俺はスライムを見た。


 確かに、スライムのぷるんとしたボディは、結構そそる。


 ……いや、そそるというとちょっと違う意味になってしまうな。

 あくまでも、思わず触りたくなって、手が出そうになるっていう意味だ。



「スライムって、異生物の中でも異端というか、変わった生態だと思うんですよ。それこそ、一生かけても語り尽くせないくらい……。衝撃を分散できるコロイド構造。柔らかいのに、壊れにくい。あ、コロイドっていうのは、ものすごく小さい粒子が、液体や固体の中に均一に分散している状態のことですけどね。しかも自己再生能力が高いから、ちょっとやそっとじゃ形崩れしない。あんな奇跡的な生物がいるなんて……。ボクは、どうせだったらスライムの生態について熱く語り合える女性と付き合いたいと思うんです。もしそんな人がいたら、その場で跪いてプロポーズします!」


「そ、そうか……。すまなかったな、作業のジャマをして」

 思いがけなく、奥田くんの溢れる熱量に当てられてしまい、俺は引き下がった。



 だが、そんな女性はいるんだろうか……。




 しばらくは何事も起きず、ひたすらスライム狩りが続いた。


 異生物は死ぬと魔石を残すが、スライムの魔石は米粒程度の大きさしかないため、ほとんど放置される。売れば十円程度にはなるそうだが、黒っぽい地面に同じような色をした小さな魔石とくれば、目視ではなかなか見つけられない。コンタクトレンズを床に落としたときみたいなもんだ。


 奥田くんは地面に跪き、拡大鏡とピンセットを使って慎重にスライムの魔石を拾っていた。俺も、記念にひとつくらい持って帰ろうと思い、奥田くんに頼んで拾ってもらった。


 礼を言おうと、奥田くんの顔を見たら──


 奥田くんは、つまみ上げたスライムの魔石をしげしげと見たあと、パクっと食べた。



「ちょ、ちょっと! お、奥田くん!」

 それを見て、俺は思わず叫んだ。


「え、何? どうしたの?」

 女子大生チームも、何事かと、俺と奥田くんの周りに集まってきた。


「うーん、何も変化がないな」

 奥田くんが腹のあたりをさすりながら呟いた。


「そんなモン食べて、腹壊すぞ」

「理論上、魔石が消化器官で分解された場合、ATP合成に影響を与えるかもしれません。でも、消化酵素が魔石の結晶構造を分解できなければ、単に体外に排出されるだけです」

「えー、魔石を食べちゃったの?」

「っていうか、ATP合成って何?」

「ATP合成は、アデノシン三リン酸を細胞内で作り出す仕組みです。簡単に言うと、食べた物を分解してエネルギーを取り出し、それを使ってATPを合成、細胞が活動するためのエネルギーとして利用するシステムの一部ですね」

「ゴメン、不勉強で。全然イメージ出来ない」

 俺は、あっさり白旗を上げた。


 学生時代が遥か昔の俺にはピンと来ないが、女子大生チームは奥田くんの話についていけているようだ。


「魔石が消化できたら、どんな効果があるの?」

「エネルギー生産が加速すれば、疲れにくくなったり、超人的な体力が得られるかもしれません。でも、ATPが増え過ぎると危険ですね。体温が上昇しすぎたり、細胞が制御不能になって暴走状態になる可能性もあります」

 奥田くんは真面目に解説する。


「そんなの、実験もナシに食べたら絶対ダメなやつだろ」

「奥田くんって、マッドサイエンティストの才能アリね」

「自分で実験するあたりが、確かに」


「魔石は、内部に高密度のエネルギー結晶構造があって、特定の触媒反応でエネルギーを放出するんですよ。だから燃料効率が上がるし、熱伝導率も異常に高いんです。だったら人間にも効果があるんじゃないかと思ったんですが。例えば、スキルが発現するような──。でも、何も起こらないみたいです」

 そう言うと、奥田くんは少しシュンとした。


「あー、なるほど、そっか。スキル取得のためか」

「それは、ちょっと残念ね」

「いや、それにしたって、もっと何かやり方があるだろうに」

「最悪の場合、細胞が暴走状態になって、スライムに変身出来るんじゃないかと思ったんですが……」


「「「──それ、絶対食べちゃダメっ!!!」」」



 まったく、スライム愛に取り憑かれたヤツは……。

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