2025年5月2日(金)午後2時半 昭和の薫りが……
昭和の薫りが漂ってます。
「もう、サークル活動が始まってる頃か。いいねえ、学生は。気楽に魔法使いになりた~いとか言っちゃってさ」
まあ、そう言いつつも、俺だって魔法が使えるものなら使ってみたいと思う。
いい年して、“ダンジョンで魔法使い”とか、厨二病かよと笑われそうな気がするので誰にも言わないが。
今どきは、どの大学にもダンジョン探索部のようなものがある。
未成年者はダンジョンに入れないので、春休みから5月の連休までは、若年層の探索希望者が殺到する。
おそらく、今日ここに来ている大部分は、そうした学生たちだろう。
探索者なんてものが生まれたそもそもの始まりは、2020年のあの災害だ。
巨大すぎる彗星を核爆弾でぶっ飛ばそうとした結果、世界は大混乱。地表にはいくつも“ダンジョン”が出来た。
……まあ、過ぎたことはどうでもいい。
俺には、その後の世界でどう生きるか、ってことのほうが大問題だ。
ダンジョンで採れる資源のおかげで、資源の性能が跳ね上がったとか、なくなった手足が生えたとか、世の中はめちゃくちゃになった。おかげで、今までの医療や科学の常識までひっくり返された。
大手の企業がすぐに動いて、ダンジョン関連の部門を立ち上げた。
製薬、医療、資源、それに投資会社。あちこちで株価がバンバン跳ねて、ニュースはその話題ばっかり。
金のニオイがすれば、そりゃあ裏社会の人間だって寄ってくる。
一攫千金を狙って、素人さえ探索者を目指すようになった。
とはいっても、ダンジョン内の経済競争は激しく、まさに弱肉強食。素人が付け入る隙なんてありゃしない。せいぜい、波打ち際で探索のマネごとをする程度。
命を掛けて最深部を目指すのは、どっかの国の軍隊か、ごく一部の変わり者くらいだ。
ごくごく普通の一般人が、最高のエンタメとして関心を寄せたのは──
『ダンジョンの中では、まるで映画の登場人物みたいに、魔法が使えるようになる』
ということだ。
とはいっても、スキルの発現率は低く、誰でも魔法スキルが使えるようになる──というわけではない。
せっかくスキルが発現しても、使い道のわからないハズレスキルが多く、一人一回しか回せないガチャみたいなもの、という噂だ。
少なくない死傷者が出ているにも関わらず、テーマパークに行くような気軽さでダンジョンに入り、魔法を使ってみたいという一般人は多い。
俺だって、子どものときは、超能力みたいな不思議な力で戦う変身ヒーローに憧れてたよ。毎日布団の中で腰に変身ベルトを巻いて寝てたし。
魔法が使えたらいいなと、ちょっとくらい思ったっていいじゃん。思うだけなんだから。
……でもまあ、そんなのは子どもの頃の話だ。
実際のところ、今の自分がどんなに妄想を膨らませたところで、魔法を使っている姿は、想像出来ない。昨日まで普通に生きていたのに、今日から“あなたは魔法使いです”って言われても、全然現実感がない。
それに、もし仮に魔法が使えるようになったとしても、宝くじを当てた人が、必ずしも幸せにならないのと同じようになる気がする。
今、現実を生きている俺にとっては、妙に目立つスキルが生えたせいで、“あなたは勇者に選ばれました”みたいな展開に巻き込まれるより、何ごともなく平穏無事に過ごせることのほうが、よっぽど大事だ。
そんなことを考えていると、ポケットに入れたスマホが震えた。
……日中、しかも無職の俺に連絡を入れてくる人間は限られている。
スマホを取り出す手が、重く感じる。
しぶしぶ確認した通知には、「お義母さんに頼まれた件だけど……」と、ふみかの名前があった。
「はあ。またかよ」
小さく息をつく。
どうせ、いつもの伝言ゲームだ。
結婚当初から、母は自分で俺に言わず、ふみか経由で“指示”を出すのが常だった。
なぜか、自分→嫁→俺、というのが、息子夫婦の家庭をうまく回すコツだと思っているらしい。
アレは、昭和の嫁姑のしきたりみたいなものなんだろうか。
たいした用事でもないんだから、直接俺に言えばよくない?
ふみかも、いちいち巻き込まれて面倒くさそうだったし、母のよくわからない言い分がふみかを通すとさらにわけがわからなくなり、結局“何が言いたいのか”を、俺が最初から全部推理するハメになる。
そんな感じだから、母との電話はとてつもなく長くなる。
ふみかと別居しても、その関係性は何も変わっていない。
俺は、両親にふみかと別居したことを伝えていない。
ついでに言うなら、会社を辞めたことを、両親にもふみかにも言っていない。
なぜか。
いや、なぜって……言えないでしょー。
だいたい、どう説明すんのよ。みっともないし、カッコ悪いし。
親に、「嫁に逃げられたんで連絡するな」とか、「クビになったんで頼らないでくれ」とか、言えないだろ。そんなことを一言でも漏らそうものなら──
いや、ムリだ。絶対、大騒ぎになる。
以前、一度だけ口を滑らせたことがある。
「もう仕事、やめようかな」って。
そのとき母に言われた一言を、いまだに覚えてる。
「お兄ちゃんが大変なんだから、あんたはしっかりしてくれないと」
もしかしたら、その言葉は、俺が感じたニュアンスと違う意味だったのかもしれない。
だが、俺は昔から空気の読めない人間だ。俺に、何かを察しろというのは不可能に近い。
だから、俺は、その言葉を額面通りに受け取った。
“あんたは支える側”なんだと。俺の存在意義はそれだけだと思った。
ダンジョン災害前とは、家族の力関係がすっかり変わった。
アニキが大怪我をして、優秀で頼れる長男のポジションが無くなった。
代わりに、放置されていた次男である俺に注目が集まる。
だが、根っこの扱いは変わっていない。親が期待するのは、長男を支える“次男”としての俺だ。いつまで経っても、ただのスペア。
ふみかには、何て言ったらいいんだ?
”もう母からの連絡には、返事をしなくていい”、とか。
だが、現状、面倒くさい母とのやり取りを防波堤のように受け止めているのはふみかだ。
「……すまん」
俺は、ふみかに面倒を押し付けることにすまない気持ちになりながらも、スマホをポケットに戻した。着信に気づかなかったフリをするのは、慣れている。
俺に連絡を付けたかったら、着払いで郵便でも送りつけるんだな。XYZでもいいぞ。ハハハ。
「何だってんだよ……今さら。ったく、あっちもこっちも、面倒くさいな。少しくらい俺にも考える時間をくれよ」
なーんて、グチったところで、返事をする相手がいるわけでもないのにな。……ハア。
俺は小さくため息をついた。
ダンジョンで勇者として振る舞えるようなスキルより、色んなことを先送りしても問題が起こらないようにするスキルのほうが、よっぽどいい。『確実に先送り』とか『直前でもスキップ可』とか。
そう思いながら、俺は受付を離れた。
***
玄関ホールの右側にある階段を登ると、通路の左手にセミナールームがいくつかあり、大学の講義で使われるような階段状の座席配置になっていた。
「空いている席に座り、説明会が始まるのをお待ち下さい。本日は大変混み合っておりますので、筆記試験と実技講習は後日でも構いません」
扉の横にいたスタッフが、大きな声で案内していた。
今なら、少しは時間がありそうだが──外へ昼メシを食いにいくと、実技講習に行く時間がなくなる。
ナンブの専用駐車場は狭く、有名企業やトップ探索者の貸し切りだ。一般人は近隣のコインパーキングを使うか、ごった返す市バスに乗り、すし詰め状態でここまで来ることになる。面倒くさがり屋の俺としては、一日で全部終わらせたい。
一旦セミナールームから出て、さっき施設案内図で見つけた地下一階のダンジョンショップに急いだ。
非常食コーナーにあったエナジーバーを種類別に何本か買うと、近くのベンチに腰掛けて、口に放り込む。
「こんなものでも、まったくの空きっ腹よりはマシだよな」
非常時でもないのに非常食を口にする違和感。
……俺の人生という点で見ると、非常時かもしれないが。
晩メシくらい贅沢しちゃってもいいんじゃないか。埋め合わせに。
そうそう。誰が認めてくれなくても、俺だって、頑張ってるんだ。
そうだ、一人焼き肉でもするか。
予算は度外視。
いや、ちょっと待て。さっき受付で大金を払ったばかりだろう。
それに、ダンジョンで生き物を殺したあとに、焼き肉を食べたいか?
戦闘によって、俺の中の狩猟民族的な本能が呼び覚まされ、一時的にものすごく肉食になる可能性もなくはない……が。
やっぱり、アレかね。
ダンジョンみたいなバイオレンスに満ちた環境にいると、段々暴力的な行為に慣れていってさ。そのうち、異生物を殺したナイフで、肉を刺して、そのまま焼いて食うみたいな。そんな、野蛮人みたいな生き方をするようになるんだろうか。
マンガじゃないから、切り身の肉が異生物からポロンと落ちてきたりしないけど。
イメージだよ。あくまでも。
そんなワイルドな生き方が、自分に出来るかどうか……。
そう考えると、座っているだけなのに胸のあたりがジリジリとして落ち着かなくなってきた。
まだダンジョンに入ってもいないのに、緊張して手に汗がにじんでくる。
なんか、結婚式の直前みたいな気分だ。
色んな思いが交錯して、落ち着いて座っていられない感じ。
いやあ、このあと人生で一番ヤバそうな場所に行くんだぜ。
墓場か。ハハハ。そいつはヤバいな。
……自分で言って、自分でツッコむ俺の精神状態。
かなり来てるな。
だが、ダンジョンに危険は付きものだ。昨日もナンブの死者数はゼロではなかった。
俺の想像だと、ダンジョンの危険度(スライムやゴブリンなど、初心者向けの異生物と対峙したとき限定)は、高層ビルのてっぺんで作業するクレーンの操縦者みたいな感じだと思う。高所恐怖症の人間には地獄かもしれないが、安全を守って、手順通りに作業すれば、問題は起きないはずだ。たぶん。
いや、待てよ。
突風が吹いたらどうなるんだ? たまにクレーンが倒れたってニュースがなかったっけ。そうすると、クレーンも危なそうだな。
じゃあ、清掃の仕事はどうだ。
そういえば、子どもの頃は、ゴミの回収車に憧れてたっけ。あの、回転する板で、何でもバリバリと飲み込んでいく勇姿。
たまに作業員が回収車に巻き込まれたとか、ガスボンベに穴を開けなかったヤツがいたせいで、爆発に巻き込まれたりするな……。
かといって、今さらホワイトカラーに戻っても、メンタルが爆発しそうだ。
そう考えると、探索者だろうが、他の業界だろうが、まったく危険がないってことはないんだよな……。
地下から受付のある一階に戻ると、周囲の空気がざわめいていた。
買い取りカウンターのほうから、背の高いラフな格好の男と、ビシっとしたスーツ姿の小太りな男が歩いてくるところだった。
何だ? 誰だか知らないが、有名人か?
180センチを超えていそうな長身。細身だが、弱そうな感じはしない。むしろ、極限まで体を絞ったボクサーのような雰囲気だ。
年季の入った革ジャンの下に着た黒いTシャツが、筋肉を浮かび上がらせる。
クセの強い髪を後ろでひとつに束ねていた。顔立ちは特に目立たないはずなのに、なぜか目が離せない。
全身からにじみ出る”風格”が、周りの人間とは明らかに違っていた。
近くにいる大学生っぽいグループから、サインをもらおうかどうしようかという声が、ヒソヒソと聞こえてきた。
小太りの男が警備員に指示して、男のそばに誰も近寄らないようにガードさせた。
スマホを取り出し、無遠慮に写真を撮ろうとする者もいたが、男は軽く手をヒラヒラと振って通り過ぎた。
男が玄関ホールから外に出ると、ようやく周りの人垣が崩れた。
窓に近づいて外の様子を見ると、さっきの男は、駐車場の最前列に停めてあった車に乗り込むところだった。
あの位置に車を停められるなら、上位の探索者か。
どうせ、乗ってる車も超高級車──、と思いきや。
シブっ。
やけに古い車に乗ってるな。湾岸ミッドナイトの主人公が乗ってたっけ。
まさか、あの年式の車を普段使いしてるのかよ。骨董品だろ、あれ。すんげえ昭和の香り。
しかも、昔のナンバープレートか。あのペラペラな感じ。フォントも違うし。
まさか、一度も廃車してないのか? 50年以上前の車だぞ。
今どきは魔石を素材にしたパーツを使えば、古い車でもどうにでもなるって言うし。中身はバリバリに魔改造してあるのかもな。
どうせ魔改造するなら……俺だったらバットマンとか、ナイトライダーの車みたいなのが欲しい。頼れる相棒的な──
「おっと、イカンイカン。説明会に行く途中だった。車のことより、自分のことを心配しろって」
……にしても、今どき旧車マニアなんているんだな。
ああいうのに夢中になれるってのは、人生がうまくいってる証拠だよな。
うらやましい話だよ。まったく。