2025年5月2日(金)午後2時半 山村ふみか(32歳)
奥さんの気持ちです。
「またか」
スマホに表示された相手先をチラっと見て、ふみかはため息をついた。
「昨日も連絡してきて、また──もう勘弁してよ」
義母からは、週に何度もメッセージが届く。
ふみかはそれを毎回夫に転送しているが、夫が返事をすることはほとんどない。
そのせいで、まるでふみかが返事を止めているかのように、責める口調のメッセージが義母から送られてくる。
「自分の息子なんだから、直接連絡すればいいのに。いちいち取り次ぐこっちの身にもなってよ」
仕事中のため、ふみかは手早くメッセージを追加して夫に転送した。
夫はふみかと別居したことを、まだ義父母に話していない。
時々義母から手伝いを頼まれるのだが、すでに自分の中では離婚の意思は固く、いつまで嫁のふりをしたらいいのか、ふみか自身も迷っていた。
義母は悪い人ではない。子育てに口を挟み過ぎると感じるときもあったが、初孫ならそんなものかと思える。
だが、独りよがりで押しが強く、周りを振り回すタイプだ。一緒にいるとかなり疲れる。
もし義理の家族でなかったとしたら、決して親しくはならないし、少々距離を置いておきたい。
空気を読まないところは夫と同じなので、さすが親子だと何度も思った。
義母は、ふみかの態度から何か感じていたのかもしれない。
「荘太郎のこと、頼むわね」
何度かふみかにそう言った。
ふみかはそれに対して返事をしないまま、曖昧な顔でやり過ごした。
夫はどんなにこちらが忙しくても、食事の用意が出来るまで座って待つタイプだ。
部屋が汚くても自分では片付けない。
ふみかが片付けを手伝って欲しいと言っても、“俺は汚くても気にしないから。小さい子がいる家はこんなものだよ”と、こちらの希望とは違う方向の気遣いを見せるのだ。
他人が大変そうな姿を見ても、どうしたらいいのかまったく想像してくれない。いちいち言わないと動かない人、というのが夫だ。
義両親は、夫に家のことを何もさせずに育てたのだろう。
「私も、長男は大事に育てたんだけど、なんだか気難しい子に育ってね。だから荘太郎は好きにさせておいたのよ」
以前、義母はそう言っていた。
心菜には、あんなふうにはなってほしくない。
小さなことでも“自分のことは自分でやる”経験を積ませたい。
その“願い”は、いつも心のどこかにあるのだが、今のふみかにその余裕はなかった。
保育園の荷物を持ったまま、小さな子どもを連れて買い物をするのは至難の業だ。
心菜はセルフレジのバーコード読み込みが大好きだ。
最近は、どのスーパーにもセルフレジが多くなって助かるが、後ろに人が並ぶと──やっぱり中断させてしまう。
他人の目、世間の常識、義母の価値観。
もっと早く、もっと上手に、手を掛けすぎ──そんな言葉たち。
自分の“願い”とは違うものが、ふみかを縛り付ける。
本当は、もっとゆとりを持って育てたいのに。
夫は、そろそろ二人目の子どもはどうだろうと言った。
ふみかからしたら、せっかく子どもに手がかからなくなってきて、自分の時間が持てそうになったのに。
目の前に見えたゴールが、また遠くへいってしまう話でしかなかった。
今の状態で二人目だなんて。
“この人は、私のことを見ていない。”
ふみかは、そう思った。
ふみかの言葉は、夫に届く前に、全てどこかへ消えていってしまったかのようだった。
まるで二人の間に見えない壁があって、寄り添い合うことが出来ないみたいに。
義母と一緒で、自分の考えが最優先。ふみかの言葉なんて耳に入らない。
他人に対する愛情や思いやりは、何か大事件が起こっていきなり無くなるのではなく、毎日少しずつすり減っていくものだと思った。
夫が何かを後回しにするたび、ふみかの心には、返信されないメッセージと同じような気持ちが積み重なっていく。
投げかけたまま、どこにも届かずに取り残される。まるで無意味な感情。
ふみかは、夫に送った既読にならないメッセージを見ながら、そっと息を吐き出した。