2025年5月3日(土)他人から見たら不審者なんじゃ……
さあ、約束の時間が近づいてきた。
本日のスニークミッションは、不自然に思われないように、出来るだけふみかと心菜に近づくことだ。
一目見て、気が済んだらさっさと退散すればいい。
面会の約束をすっぽかしてしまうことに対して、申し訳ないという思いはあるので、あとで謝っておかなくては。
俺はいつも待ち合わせに使っているベンチの後ろにある、なんらかのモニュメントの影に隠れた。
見るだけ。見るだけ。二人の様子を見届けたら速やかに撤退する。
不審な動きはしない。絶対。
何度も自分に言い聞かせる。
やがて、駅のほうから、ふみかと心菜が歩いてきた。
二人を見た瞬間、バクンと音がして心臓が飛び出しそうになった。
話せなくても、一目だけでも二人の顔が見られれば気が済む──そう、思っていたのに。
二人が楽しげに話している様子を見たら、声が聞きたくてたまらなくなった。
ふみかの落ち着いた話し方。
心菜の甘えるようなかわいらしい声。
かすかに聞こえる二人の話し声に、涙が出そうになった。
本当はあそこに俺が加わって、今日はどこに行くとか何を食べるかみたいなことを、普通に喋っているはずだったのに──。
今の俺は、柱の影から二人の様子を見守るしかない。
「クッソ……、やってらんねえよ」
なんで俺がこんな目に……。
探索者になりに行っただけなのに、人生がめちゃくちゃだ。不条理過ぎるだろ。
「──ダメだ。やっぱり我慢できない。話しかけたい」
『は? さっきは見るだけって言ってたのに?』
「いいじゃん、そんなの。さっきはさっき、今は今だろ」
『……山村さん』
冷たい空気を感じるが、今はそれどころではない。
なんとかこの姿のまま話し掛けるキッカケはないか、頭をフル回転させた。
知らない人に話し掛けるシチュエーションってなんだ?
……どっかの店のティッシュ配りとか、あるいは宗教の勧誘? アナタは神を信じますか、みたいな。
キャッチとか、客引きっぽいのは嫌がられそうだな。
あ、落とし物を拾うフリをするのはどうだろう。一番無難じゃね?
なおも考え続けていると、ふみかはあたりを見回し、カバンからスマホを取り出し画面をチラっと見た。
待ち合わせの時間になっても俺が現れないから、連絡が入っていないか確認しているのだろう。
クッソ。何かないのか……二人に話し掛ける方法は!
思わず天を仰いだ。雲ひとつない青い空。絶好の行楽日和だ。
機転の効く人間であれば、パッとアイデアが出てくるかもしれないが。
俺の想像力はあまりに貧弱だ。焦れば焦るほど、気持ちが乱れていく。
「──ダメだ。なんにも思いつかない」
しばらく、未練たらしくスマホを眺めていたが。
「仕方ない……」
俺はため息をつきながら、ふみかにメッセージを送った。
【遅くなってすまない。今日はどうしても外せない用事が出来て行けなくなった。今度埋め合わせするよ】
ふみかは俺の送ったメッセージを確認すると、肩を落とし、しばらく俯いたままだった。
そして、誰かにメッセージを送りはじめた。
ふみかが心菜に何か言うと、娘は大泣きしてその場に座り込んだ。
しばらく心菜を見つめていたふみかは、娘を立ち上がらせようとするが、娘はテコでも動かない。
心菜は頑固な子で、思った通りにいかないと、ああやって癇癪を起こして駄々をこねるのだ。
「アレには、いつも手を焼いていたな……」
半年間別々に暮らしていただけなのに、ああいう娘の姿が、もう遠い思い出になったような気がした。
ふみかはやってられないという表情で天を仰ぎ、しばらく手で顔を覆っていた。
泣いているのかもしれない。
たまらず飛び出して、ふみかに声を掛けた。
「あの……」
ふみかが驚いた顔でこちらを見た。
知り合いに声をかけられたと思ったのか、一瞬、表情を取り繕うが。
すぐに、笑顔と警戒心が混ざったような微妙な顔になった。
(ヤバい。どうしよう)
『はァ? 考えがあって飛び出したわけじゃないの??』
(えっと──いや、何にも考えてない)
『バッカじゃないの!? ホントに文字通り、考えナシなんだから!』
(出ちまったもんはしょうがないだろ)
俺は細心の注意を払い、なるべく吉野さんの話し方を真似ようとした。
だが、すでにほとんどパニック状態で、しどろもどろになる予感しかしない。
そんな急に、俺に女の子っぽいふるまいを求められても困る。
「あの、アタシ……っ」
裏声がさらにひっくり返ったような声が出た。
そういえば、体は吉野さんなんだから、ムリに高い声を出そうとする必要はなかったのだがなんとなく。
『あああ、もう……っ! ちょっと変わって!』
吉野さんがそういうと、突然スキルが働き出し、体の制御が切り替わった。
車を運転中に急ブレーキを踏んで、運転席から放り出されるような感覚に襲われる。
(うおっと、何だよ。いきなり派生スキルが生えたのか? 何がどうなった??)
『いいから、黙って見てなさいよ』
スイッチを切られたみたいに、意識が後ろに押しやられ──俺じゃない何かに体を使われている感覚。
例えるなら、アシスト機能付きの車が勝手にハンドルを切るように、俺が考えるのとは違うラインを走ろうとする違和感があった。
緊急措置的に、意識の主導権が移動したのだ。
(そういえば、やむを得ず何かをしなくてはならないときは、お互いの意識をどう使ってもいいってルールにしてあったっけ)
「えーっと、私、横浜大学1年の吉野美玲と言います。ほ、保育の仕事に興味があるんです、私。お子さんの様子を見て、何か力になれたらと思ったんですけど……」
(お、なんかスゴいぞ! 俺がごく普通に女子大生してる!)
『いや、喋ってるのも動いてるのもアタシだから。そこんところ間違えないでくれる?』
(まあ、いいじゃん。細かいことは。協力プレイだろ)
う、上手くいったのか?
今の俺は、吉野美玲。吉野美玲。
心の中で何度も唱えた。
ふみかは、ちょっと困ったような表情を浮かべたが、それでも納得したように頷いた。
「わざわざすみません。癇癪を起こすことはよくあるんですが、ここまで聞き分けがないことは滅多にないので……」
(うおお~、すげえ。上手くいったよ)
『まあね。このくらいどうってことないわよ。──ふっ』
「ねえ、おねえちゃんは美玲っていうんだけど、あなたのお名前は?」
娘は、急に知らない人に話しかけられてビックリしたように飛び上がり、ふみかのスカートの後ろに隠れながら言った。
「……心菜」
「心菜ちゃんは何歳ですか?」
「5歳」
「じゃあ、年中さん?」
「そうだよ」
「心菜ちゃんの好きなものは何かな」
吉野さんは、だんだん慣れてきたのか、ごく普通に心菜と話しだした。
心菜も、好きなテレビ番組や保育園での出来事を話しているうちに気持ちが落ち着いたのか、ふみかの後ろから出てきて、吉野さんのほうへ近づいて来た。
そして、恥ずかしそうに笑いながら、ふみかの手をにぎってブラブラさせた。
「ふふ、さっき泣いたカラスがもう笑った」
吉野さんは、ハンカチで心菜の顔を拭いてやった。
心菜は、ふと何かを感じたように表情を変え、首を傾げて吉野さんの顔をじっと見た。
(……え?)
声には出さなかったが、口の動きが「パパ?」と言っているように見えた。
ぎょっとした。
な、何だ──、見破られたのか??
今の俺は、完璧に吉野さんになっているはずなんだが。
どうしよう……。娘に、父親が女子大生になっている姿を見られるのは気まずい。
これ以上ここにいたら、父親の威厳……、いや、もっと何か大事なものを失いそうな──
そういえば、以前勤めていた会社に、どうしても娘のセーラー服を着たくなって、袖を通したところを妻に見つかってしまい、妻にも娘にも口を聞いてもらえなくなった人がいた。
くっ……、なんて恐ろしい──っ!
長居は無用だ。いますぐ立ち去らなくては。
(吉野さん、まずいよ! 娘にバレてる気がする!)
『えー、そんなわけないでしょー』
(いや、絶対バレてるって。もしかして……、なんかスキルでも生えたのかな。ほら、人物鑑定とか)
『一度もダンジョンに入ってない子どもに、どうやってスキルが生えるのよ』
(いや、それは……まあそうなんだけど)
『心配し過ぎよ。それに、まだふみかさんと話してる途中なんだから、大人しく引っ込んでなさい』
「ありがとうございます。子どもの扱いが上手なんですね」
「いいえ、何でもないですよ、このくらい。あの……そのジャケット、素敵ですね。これからどこか、お出かけですか?」
あ? ジャケットがなんだって?
……そういえば、ちょっとよそ行きの上品な感じのジャケットだ。
俺ならそんなところに目が行かないし、褒めるという発想もないんだが。さすが吉野さんだ。
っていうか、何か……こう……空気感と言うか、間合いと言うか……
今、吉野さんとふみかの間に、女子の間でしか伝わらない、お互いの立ち位置を探り合うような、グルーミング的儀式か何かが行われているようだ。
……はっ、そうか。
これが空気を読むというやつか。
空気の読み合いと言えば……、ふみかが、保育園でママ同士のマウントの取り合いに辟易してたっけ。
あからさまな攻撃はないけれど、遠距離からの誘導ミサイルはしょっちゅう飛んでくる、みたいなことを言っていた。
残念ながら、女になってまだ二日の俺には、到底ついていけない世界だ。
もう吉野さんに全て丸投げだ、丸投げ。
女同士でうまくやってくれ。
丸投げすると決めた途端、更に新しいスキルが動き出すのを感じた。
(おっとー、このタイミングで! 新しい派生スキルがキター! イエーイ!)
『はいはい、わかったから。はしゃがない。ジャマしないで。シャラップ』
ノリが悪いぜ、吉野さん。




