2025年5月3日(土)午前8時 勝手にしやがれ
短いです
約束した時間は午前11時。駅前の広場で待ち合わせだ。
あと3時間で、この事態をどう乗り切るか考えなくてはならない。
俺は、鏡に映る吉野さんの姿を見て、ため息をついた。
「この顔で娘に会えると思う?」
吉野さんに尋ねた。
『ムリでしょ』
「だよなあ……」
仮に、この姿で娘に会いに行ったとする。
待ち合わせ場所に走っていって、心菜に「は~い、パパだよ」って言えるか?
言ったところで、誰アンタって顔されるだけなんじゃ……
それどころか、知らない女が娘に近寄ってきて、どこかに連れて行こうとしてるんですみたいなことになって、ふみかに通報されるんじゃないか?
ムリだ。
だが、娘には会っておきたい。どうしても。
次の機会があるとは限らないのが、探索者だ。
ましてや、この姿で死んだら、俺は誰にも気づかれず、行方不明ってことになる。
今日、たとえどんなかたちであっても、心菜には会っておきたい。
ふみかのことは……
あ、そういえば、まだ離婚届を出してなかったな。
っていうか、この姿でも出せるのか?
まあいい。一旦保留だ。
俺はこの状況を解決する方法を思いつけず、頭の中はああでもないこうでもないと、堂々巡りをしていた。
『そんな、悩んでたってしょうがないでしょ。時間がないんだし。まず、連絡しないと。最低限、奥さんに面会できないって伝えなきゃ。いくらなんでも無責任でしょ』
「でも、面会自体をキャンセルしちゃったら、心菜に会えないじゃん」
『はぁ? それって、黙ってすっぽかすってこと?』
「まあ……そうなるのかなあ」
煮えきらない態度で答えた。
『……まさかホントに連絡しないつもり? もしかしたら、奥さんだって、山村さんに娘さんを預けてどこかに出掛けるとか、何か予定を立ててるかもしれないでしょ? 社会人なら、まず相手の迷惑にならないようにするべきじゃない?』
「まあ……そうなんだけどねえ……」
俺はどっちつかずの声を出した。
『だいたい、前日までに予定を確認しておくべきでしょ。ホントに山村さんってテキトーよね。他人の迷惑を考えたことがある?』
「いや、今さらそんな正論を言われても……そもそも、それって吉野さんの考えじゃん。人の許容範囲は人それぞれだろ? どこからどこまでが迷惑に当たるのかわからないじゃないか。もしかしたら迷惑じゃないかもしれないし……」
モゴモゴと反論する。
『いや、そぉんなの~、何が迷惑かなんて、ちょっと想像すればわかるでしょ!?』
「想像って言われてもねぇ。俺には、他人が考えてることなんてわからないし。擬態スキルの派生で、読心スキルでも生えればいいんだけどねぇ」
苦し紛れの屁理屈を並べる。
『ハァー……、山村さんっていつもそんな感じなの? こりゃ、奥さんが出ていくのも納得だわ』
「えー、何で? っていうか、どのへんが?」
いや、ホントに。
『そういう自分ファーストなところよ』
「いや、誰だって、自分は一番大事だろ?」
俺は自分のことを冷たい人間だとは思っていないが、さりとて博愛主義でもない。
だが、自分の優先順位が……人より“多少”高い気はする。
『……アタシは、夫婦っていうのは価値観の違う者同士が一緒に暮らすために、相手を尊重するとか、相手の意見を聞いたりするものだと思ってたんだけど、山村さんは違うの?』
「相手の意見くらい聞きますよ、そりゃ。でも、ふみかから何か言ってくることってあったか? ──ないな。だいたい何をするとか、どこに行くとか、俺が決めてたし……」
俺はふみかの行動を思い返してみた。
『相手が何にも言わないから、何も考えてなかったことにはならないでしょ』
「そんなこと言ったって。何かあるなら、言ってくれればいいじゃないか」
当然だろ。
『そもそも聞く気がない人には、何も言わないんじゃないの?』
俺からすると、何も言われないなら、何も言うことはないと同じなのだが。
ふみかが何を考えてるのかなんて、俺にわかるわけがない。エスパーじゃないんだから。
言いたいことがあるなら、先に言ってくれよ。
っていうか、……面倒くさいなあ。そこまで他人の気持ちを推し量っていられるか。
「あー、もう。ゴチャゴチャうるさいな。この体の主導権は俺にあるんだから、俺に決めさせてくれよ」
『それはそうだけど……』
吉野さんはまだ不満そうだ。
「影から心菜を見て、帰る。それでいいだろ? だいたい、まだ起こってもいないことをアレコレ気にしたってしょうがないだろ? たいしたことにはならないよ。ふみかが何か予定を組んでても、また別の日にずらしてもらえばいいじゃないか」
俺は会話を切り上げるように手を振った。
『ハハハ……超ポジティブ。──でも、どうなっても知らないからね』
***
散々俺に文句を言っておきながら、いざ外に出ようとすると、今度は吉野さんが口うるさくなった。
『山村さん、ちょっと待って。そのジャージとボロボロのサンダル。ありえないから。一時しのぎであっても、まずその格好をなんとかしてよ』
「そんなこと言ったって、吉野さんの服は、探索者用の装備しか持ってないし。それよりはジャージのほうがマシだろ? 俺は、いつもこの格好でコンビニまで行くぞ」
『このアタシが、そんなクソダサな格好で外に出られるわけがないでしょ。人前に出る以上、それなりの格好がいるの。しかも、スッピンで外に出るなんて、絶対イヤ』
「……じゃあ、シーツでも体に巻いてくか? 古代ローマ人みたいな」
俺は、両手を体に巻き付けるような動作をした。
『コスプレじゃあるまいし。あー、もう。面倒くさいわね、自分の体を思った通りにできないなんて──』
吉野さんは、苛立ち交じりにまくし立てた。
自分で言うのもなんだけど、俺も自分勝手だが、吉野さんも大概……だよなあ。
自分の都合で動くという点では、どっちもどっちじゃねえか。
どこに行くにしても、女物の服がないと始まらない。
午前10時に店が開くまで、ジャージの裾と袖をめくった格好で(サンダルは却下された。探索用の安全靴は、ブーツに見えなくもないので採用)、ジリジリしながら入口前に待機。
オープンと同時に店に飛び込み、吉野さんの指示通り、服やカバンを爆速で選んだ。
レジでタグを外してもらい、その場で着替え。それからダッシュでドラッグストアに直行。
すっぴんで外に出たくないと騒ぐ吉野さんをなだめるため、指示された通りにマスカラだけ──
『マスカラを使うならビューラーもいるでしょ』
……マスカラとビューラーを買って、待ち合わせの公園のトイレでビューラーを使い、丁寧に──
『半目で塗るといいよ』
……半目になって丁寧にマスカラを塗った。
「そんな……、ちょっと何か塗ったぐらいでたいして変わらないだろ!」
吉野さんの横槍にイライラしてきた俺は、強めの口調で文句をつけた。
『そのちょっとが大事なのよ。美は細部に宿るって言うでしょ』
吉野さんは、そんなの当たり前でしょ、って感じで応えた。
そういえば、チラっと見えた吉野さんの記憶に、面相筆でA4ノート一面にギッチリ『へ』の字を書いている場面があった。
何の呪いだよ。デスノートか?
まったく、女ってのは……。まだ18歳だというのに、恐るべき美への執念だ。




