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2025年5月2日(金)有田勇作(39歳)

 見渡す限りの荒野。空気は乾き、岩と砂漠しか見えない。

 そこかしこに、まばらに生えた植物は、何年も日照りが続いたように枯れた色をしている。カリカリに縮んだ葉は、軽く触れるだけで粉々になりそうだ。

 空は砂埃で埋め尽くされたように薄茶色に染まっていたが、風はなく、太陽が見えなくても十分に明るい。


 事情を知らない人間がこの風景を見たら、アフリカの砂漠地帯にでも来たかと思うだろう。

 まさか、この風景が地表の遥か下にあるなど、誰が想像出来るだろうか。



 そんな荒野に、黒っぽい色をした生き物がいた。ウルベアスと呼ばれ、外見は熊のような姿をしているが、その大きさはアフリカゾウに匹敵する。


 その姿を見据える男がいた。

 有田勇作。細身で長身、クセの強い髪を後ろで束ねた外見で、ベテラン探索者らしからぬ、愛想はいいがどこかとぼけた表情をした男だ。



 彼は、遠い砂丘の稜線に、巨体を揺らして歩くウルベアスの姿を捉えた。

 およそ500メートル先。通常の弓では、到底届かない距離だが──


 彼は、腰に下げたクイーバーから一本の矢を抜いた。

 ベルトの小型ケースから、魔石で強化された金属片を取り出す。

 脈動するように鈍い光を放つそれは、下手に扱えば誤爆の可能性もある。

 慎重に鏃に重ねて位置を合わせると、磁力にでも引かれるように、カチリと音を立てて嵌まった。



 静かに矢をつがえ、彼は息を止めた。

 体が青白い光を帯びてくる。音が消え、空気が張り詰めた糸のように静まり返る。


 引き絞った弓から放たれた矢は、風を切り裂くように飛び、鏃から紫電が駆け抜ける。

 距離を無視したかのようにまっすぐ飛んだ矢は、ウルベアスの胸に突き刺さった。


 爆音とともに噴き上がる火柱。砂塵が舞い上がった。



 やがて、ほんの一瞬よろめいたウルベアスが、砂煙の中から姿を現した。


 この程度の攻撃で倒せる異生物ではない。

 何事もなかったかのように体を震わせ、赤黒く濁った目で有田を睨みつけると、咆哮とともに突進してきた。


 だが、標的となった彼は、焦ることもなく、肩をほぐしながら突っ立ったままだ。逃げる様子も、身構える気配すらない。


 地響きを立てながら巨大な戦車のように走ってくるウルベアスが、彼を跳ね飛ばそうとした瞬間──


 ウルベアスの首元に、線状のくぼみが浮かび上がった。

 まるで、細く鋭い何かが喉元をなぞったかのように。


 巨体の勢いを止めきれず、自ら首を差し出す格好になったウルベアス。

 見えない何かが、その首に深々とめり込んでいった。


 ウルベアスはその場で立ち尽くした。巨体がわずかに揺れる。

 次の瞬間、ぐらりと傾き、背中から地面に叩きつけられた。


 土煙が舞い、ドオーンと地響きが走る。

 巨体がピクリ、ピクリと痙攣している。まだ息はある──が、もはや虫の息だ。


「やれやれ──。まさに、飛んで火にいるなんとやら、だな」

 有田は呟き、煙の中の異形に向かって歩き出した。


 腰のホルダーに手を伸ばし、ハンマーを抜いた。その右手に魔力が集まる。

 

「悪いな」


 右腕が青白く光り出すと同時に、有田はハンマーを振り下ろした。

 ウルベアスの頭が、鈍い音とともに砕け散る。



 動きを停止したウルベアスの巨体は、炭が燃え尽きたかのように、体の末端から灰に変わっていった。風もないのに、灰は熱を帯びて舞い上がり、空気をじわりと焦がす。


 有田は、その灰の中に右手を突っ込み、何かを探るように腕を動かした。熱を帯びた灰が肌にまとわりつく。皮膚が焼けそうな感触に眉をしかめたが、やがて指先に硬質な感触が触れる。


 彼はそれを掴むと、必要以上に灰が舞い上がらないよう、ゆっくりと引き上げた。

 黒光りする、大きな石のような塊。表面は滑らかで、内部には赤い脈動のような光がかすかに宿っている。


 まるで、生き物の鼓動のように。


「うーん、この大きさの『魔石』だと……、500万に届くか微妙なところだな」


 有田は、持っていた採集袋に魔石を詰めてカバンにしまうと、最初にウルベアスがいたあたりまで歩いていった。



 そこには、小さな水たまりがあった。


 彼は、カバンから150ml程度の容量のペットボトルと、長いゴム製のチューブを取り出した。しゃがみ込んで、水たまりにチューブの先端を深く差し込み、口を付けて水を吸い上げる。水がチューブの上部近くまで来たら、素早く親指でチューブの端を塞ぐ。親指で塞いでいる端を、ペットボトルの口まで持っていき指を離す。

 サイフォンの原理を使って、3つのペットボトルをいっぱいにすると、水たまりは半分程度に減ったように見えた。


「このくらいかな」



 このような水たまりは『泉』と呼ばれるが、湧き出ているのはただの水ではない。『魔水』といって、地上に持ち帰れば高額で取引されるダンジョン産の貴重な資源だ。

 ただ、泉の水は、すべて採取してしまうと枯れてしまうため、必ず半分は残しておくのが採取の際のルールだ。



 彼は、ペットボトルに貼り付けたバーコードを、腕に巻いたスマートバンドでスキャンした。サイレントモードにしてあるので音は出ないが、スキャンが終了したことを知らせる振動が腕に伝わった。


 魔水の認証を終えた彼は、ペットボトルをカバンにしまい、立ち上がって体を伸ばした。


「さて、帰るとするか……」



 有田は、帰路につく前、ふと足を止めて後ろを振り返った。

 荒涼とした風景が、風に乱されることなく、広がっている。



 最初、この場所に来たときは、三人組のパーティーだった。

 今も耳に残る、彼らの話し声。

 そして、気まずそうに目を逸らした、あのときの表情──



 今では一人で来ることがほとんどだ。



「あのときから、寸分も変わんねえんだな……、ここの景色は」

 そう言いながら、彼は、地面に生えているカリカリに乾いた花をつまみ上げた。


 花は触れただけで形を崩し、灰のように散っていった。




 有田がその場を離れ、違う階層に移動する頃、灰になったはずの花は、何事もなかったかのように、元の場所に生えていた。



 ***



 地上に戻った有田は、更衣室で私服に着替えたあと、ナンブの買い取りカウンターへ向かった。

 窓口で「換金を頼む」と言って、カバンを無造作に押し出す。


 腕に巻いたスマートバンドをスタッフに表示し、手早く本人認証を済ませると、近くのソファに腰を下ろしてスマホの着信履歴を確認した。

 特に急ぎの要件は入っていない。



 買い取りの担当スタッフが、有田のカバンの中から、魔水の入ったペットボトルと、魔石の詰まった採集袋を取り出していく。

 スタッフが内線呼び出しボタンを押したらしく、奥の部屋からスーツ姿の小太りな男が飛び出してきた。



「これはこれは、有田様。お疲れ様です。さすがですね。また深部層へ行ってらしたのですか? これは査定が楽しみですな」


 有田のようにキャリアの長いベテラン探索者は、日本全国を見てもごくわずかだ。自分の担当外のダンジョンに活動拠点を移動されたら大打撃を受けるため、内藤にとって、有田は常に“最優先事項”だ。


「他のスタッフも呼んで、すぐに査定をして。最速、最短で」

 内藤が小声で脇にいたスタッフに言いつけた。

 言われたほうは、慌てて事務所にいるスタッフに応援を呼びかけた。


「事務所の中で少々お待ちください。すぐに査定いたしますので。大変恐縮ですが、何しろ金額が金額ですので。お待ちの間、コーヒーでもいかがでしょうか。ちょうど良い豆が手に入りましてね」

 内藤はもみ手をしながら、有田を事務所に案内した。


「あ、そう。じゃあブラックで頼むよ」

 有田はあくび混じりに気だるく答え、買い取りカウンター奥へと足を向ける。


 その途中、有田の視線がわずかに動いた。


 カウンター前のベンチに、派手な開襟シャツの男が座っていた。

 喧嘩慣れした目が、有田の隙をうかがう。


 有田は、冷ややかな視線を送った。

 刃物を向けるように、ゆっくりと。


 静寂が落ちる。


 その場の空気が、瞬時に張り詰めた。

 言葉や動作ではなく、本能で──相手に力関係を叩き込む。


 男の肩がぴくりと跳ね、すぐに目を逸らす。

 くわえた煙草が、わずかに揺れた。



 有田のように、戦闘向きのスキルを持った探索者は、ある意味、人の皮を被った怪物も同然だ。もし、この場で有田が本気を出せば、タダでは済まない──誰もが、それを理解していた。


 有田は歩調を緩めることもなく、そのまま事務所の奥へと進んでいった。



 事務所に入ると、有田は内藤に勧められたソファに腰を下ろした。

 背もたれに体を預け、ひとつ、深くあくびをする。


 内藤は棚から目当てのコーヒー豆を取り出し、流れるような手つきでグラインダーを操作し始めた。ダンジョン災害前はコーヒーショップのバリスタだったというだけあって、内藤の動きには無駄がない。


 やがて、挽きたての豆の香りが事務所内にふわりと広がる。


 だが、それを台無しにするかのように、外から下卑た笑い声が響いた。


「ハハッ、300万だよ、300万! 今日一日でよ!」


 わざとらしく、必要以上に大きく、下品な声。

 この場所でそれが許されるのは、バックに誰かいる連中だけだ。


 虎の威を借る狐のように。


「まったく、忌々しい奴らだ」

 ドリッパーに入れたコーヒーに少量のお湯を入れて蒸らしている間、内藤は怒気を含んだ声で呟くと、事務所の外を睨みつけていた。


 有田は、鼻先をくすぐるコーヒーの香りだけを、ゆっくりと吸った。

 騒がしい声も、怒りも、ただの雑音にすぎない。


 目を閉じたまま、有田は何も言わなかった。

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