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リファイン ─ 誰でもない男の、意外な選択と、その幸福 ─ そして世界は変わる  作者: かおる。
第二章

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2025年5月2日(金)午後10時 有田勇作(39歳)、金子章平(20歳)

「章平ー、メシ食ったかー?」

 有田は事務所のドアを開けるなり、パソコンに向かっている甥に声をかけた。


「……うん」

 章平は、モニターから視線を動かさないまま、気のない返事をした。


 革ジャンを脱ぎ、椅子の背もたれに投げ掛けると、有田は狭いキッチンに目をやった。


 流しには、食べ終わった食器が洗って立てかけてあった。

 室内には、章平の飲んでいるコーヒーのニオイだけが漂っている。


「片付けもしてあるとは、感心、感心」


 世間では、一度怒らせたら手のつけられない男──などと言われている有田だが、甥のこととなると、つい過保護になってしまう。



「はあー、さすがに素手でエンジンを持ち上げるのはしんどいわ。『あ、アリタサン、いつものグワーってよろしく』とか言ってさ、あそこの社長も無茶をさせる」

 そう言いながら、有田は社長然とした黒い椅子にドサっと腰を下ろした。


「明日はドッバーンと派手にやるぜ。オマエも来るだろ?」

「……そんなヒマがあるなら、ゲームでもしてます。ボクが行ってもすることないし。それに、あそこの雰囲気は好きじゃない」

 章平は、うんざりした様子でそっけなく答えた。


「ンなことねえだろ。キレイなお姉さんもたくさん来るしー。キャって♥言われちゃったりして。ウホ。見てるだけでも楽しいだろう? 80年代の旧車を魔改造してのダウンヒル。まさにエクストリームカーレースだぞ」

 有田は、椅子の上で楽しげに体を揺する。


「叔父さん……、いい加減大人になってください。命がけでカーチェイスをした挙げ句に車を何台も潰して。バカみたいだと思わないんですか?」

「いやいや、命がけだから面白いんだろうが。わかってないなあ。──まあもっともオレの場合は崖から落ちたくらいじゃ死なないから、少々刺激が足りないんだが……」

 そう言いながら、今度はむくれたように唇を尖らせた。


「ボクには一生わかりませんし、そんな意味不明な刺激はいりません。そういえば、一昨日の会議はどうなったんですか? 企業主催の説明会のことです。まだ結果を聞いてませんけど。叔父さんはすぐにダンジョンに行っちゃったし」

「会議? あー、あれね。却下、却下。アホらしい」

 有田は、煙たがるように大きく手を振り、スマホでスポーツニュースを開いた。


「パーティーシステムの説明じゃなかったんですか?」

「そういう名目のスカウトだな……お、村上が今季初完封じゃん」

「スカウトですか。契約金はおいくらで?」

「あー、100億」


「へー……って、──はあ!? 100億って、契約金だけでですか!?」

 数秒遅れて言葉の意味が頭に届いたらしく、章平は勢いよく椅子ごと有田の方を振り返った。


「そんなに驚くような金額じゃないだろう。こっちは命がけなのに、大リーグ選手の契約金より安いんだぜ」

「そのお金で、叔父さんの大好きな旧車が何台も買えるじゃないですか」


 章平は食い下がったが──


「ボクだったら即サイン……いや、叔父さんに企業の専属はムリですね。テレビCMの契約みたいに、品行方正な探索者を求められても、すぐに違約金を払ってクビになる未来しか見えません」


 すぐに言葉を引っ込めた。


「その通り。よくわかってるじゃないか。ハハハ。それに、世の中には金があったって買えない物があるんだぜ。いくら金を持っていようが、現物がなければ手に入らないだろうが」

 有田は不機嫌そうに言いながら、机の端に足を乗せてふんぞり返った。


「俺の”レディ”を見てみろよ。アレを手に入れるのに、どれだけ苦労したことか……。その程度の金額で、飼い犬に成り下がれるかよ」

「……こっちは一日モニターに張り付いて日銭を稼いでるのに。なんか、100億とか聞くと、自分のやってることがバカらしくなりますね」

 章平はモニターから目を逸らし、肩をすくめた。


「ふふふ。だったら、オマエもダンジョンで稼げばいいじゃないか。一日パソコンいじってて面白いのか? 誰にも会わないで」

 有田はニヤニヤした顔で、章平のほうに身を乗り出した。


「ボクが欲しいものは、全部ここで買えますから」

 章平は、モニターを軽く叩いた。


「わかってねえなあ。何でもネットでできると思うなよ。人間ってのは、誰かと繋がらないと生きていけない生き物なんだよ」

「そういう叔父さんだって、ソロじゃないですか」

「必要なときは、俺だって組むさ。信用できる相手がいればな」

「海老塚さんですか?」

「あー、アイツとは……、まあ探索者になったのが同じ日だからな。そういや、一昨日も──」

 椅子の背にもたれ、有田は天井を仰ぎながら、言いかけた言葉を飲み込んだ。



「……まさか何かやらかしてないでしょうね?」

「オレが何かやったか? そんなことするわけないだろ。ただ、そうだな……」


 有田は、心外だと言わんばかりな顔をしたが──少し目が泳いだ。



 実際には、トラブルがあった。しかもかなりの。



 企業が囲い込もうとしている探索者は、いずれも実力のあるベテランばかりだ。荒くれ者の多い探索者業界で生き残ってきた連中が、お行儀よく座って説明を聞くわけがない。



『スキル』は、ダンジョンでモンスターと戦うときには強力な武器になる。

 魔力のない地上で使う場合は、かなり弱体化するのだが。

 それでも、探索者同士で小競り合いでも起きれば、どんな被害が出るか予想もつかない。



 今回は、提示された待遇に不満を漏らした一部の探索者が暴れた。有田を含むベテラン勢が止めたので、会場全体が瓦礫になる前に騒ぎは収まったが、瓦礫の大半は有田と海老塚が作ったらしい。



 章平は、黙ったまま有田の話を聞いていた。


 誰がその賠償を払うのか。

 請求書がウチに回ってきたら、経費になるのか。

 擬音と形容詞の多い有田の話から要点だけを抜き出し、事務的な手続きの多さを考えて目を閉じた。



「まあ、ちょっとした小競り合いがあった程度だ。自分を高く売り込もうとハメを外すヤツがいるんだよ。それに、どんな大金を提示されても、税金を忘れるなよ。額面通りにもらえるワケじゃないからな。アレは、一旦喜ばせておいて、確定申告で泣くようにデキてんだよ。おお、怖っ……」

 有田は、両手で自分を抱きしめながら震えた。


「それに、俺がダンジョンに潜る目的は金じゃない。札びらで顔を叩いてくるような奴らに、俺は金じゃ動かないってところを見せておく必要がある」

「ポリシーがあるのはわかりましたけど……お金が余ってるなら、もうちょっとマシなビルに引っ越しません?」


 章平が、ダンジョン災害の影響であちこちにヒビが入った築50年の雑居ビルの壁を叩くと、ヒビからパラパラと細かいコンクリートが落ちてきた。


「普通の人ならとっくに引っ越してますよ、ホントに」

 章平は呆れたように眉をひそめた。


「ポリシーっつうか、美学だよ、俺なりの。それに、セキュリティ対策万全のビルなんだぜ。賊が入ってこのビルが崩れても、俺とオマエだけはスキルのお陰で死なないからな。ハハハ」

「歩いただけで床が抜けそうなビルなんて、即死級のワナのかたまりじゃないですか。宗教の勧誘とか、セールスマンが尋ねてきたらどうするんです? それに、もし子どもが遊びで入り込んだりしたら、笑い事じゃ済まなくなりますよ」

 章平は深くため息をついた。



 有田がこのビルを借りたのは、探索者としてはまだ駆け出しの頃で、家賃がほとんど掛からなかったからだ。

 災害時に半壊認定されたビルだが、家主にはビルを修繕したり取り壊す金もなかった。本来は入居することも出来ないはずだが、同じような状態のビルはそれなりに残っていて、行政の指導は災害から5年経った今でも行き届いていなかった。



「昔、香港にあった九龍城もかくやってところだな。俺はほどほどにスリルがあるところが気に入ってるんだが」

「叔父さんの”ほどほど”は、一般人と基準が違いますから」


 章平はヒビの入った壁に手をやり、スキルを使って壁の危険度を確認すると、コーヒーを入れに行った。


「あ、俺にもコーヒーちょうだいー。そういや、晩メシは何食べたんだ?」

「パスタを茹でました。気軽にデリバリーを頼めないのが、このビルの欠点ですね」

 章平は顔をしかめた。


「さようで……。まあ、契約金の話は気にするな。その気になれば稼げる額だ。だが今回の、企業が主体のパーティーシステムとかいうやつに乗る気はないね」

 有田は章平からコーヒーを受け取ると、一口飲んでから言い放った。




 本当のところを言えば、有田が契約を拒んだ一番の理由は、章平のスキルが公になる危険性を考えてのことだ。本気で命のやり取りをしたことがない甥には、いくら言葉を重ねたところで実感が湧かないだろうが──



 章平は、有田の姉夫婦の一人息子だ。

 中学時代にいじめを受けてから、家に引きこもるようになっていた。


 ダンジョン災害の発生から一週間。

 有田は、行方のわからなくなった姉夫婦を探し、避難所を飛び回っていた。


 ようやく見つけた章平は、騒がしい避難所の片隅で、ひとり小さくうずくまっていた。家族と再会して涙を流す人たちの声が、無遠慮に飛び交う中で──。


 その姿を見た瞬間、有田は胸の奥をつかまれたように動けなくなった。


 災害前の有田は、定職につかず、興味の向くままフラフラと生活していた。

 いつまでも親に甘える末っ子気分が抜けなかったのかもしれない。

 だが、事あるごとに小言をいっていた両親と姉は、もうこの世にはいない。


 以前なら、他人の人生など責任が取れないと言って逃げ出しただろう。

 だがこのとき、有田は初めて“大人にならなければ”と思った。


 “父親”代わりというのもおこがましいが、一人の大人として。

 この子の人生から──自分自身からも、もう逃げない、と。



 災害からの5年間、有田は章平が一人でも生きていけるよう支えてきた。

 悪意を持った人間から守るだけでなく、自ら危険を嗅ぎ分けられるように。


 どこまで“親らしいこと”が出来ていたか、自信はない。


 それでも、必要なことは教えた。

 いつか、自分がダンジョンから戻れなくなる日が来るかもしれないのだから。




「一番攻略が進んでいる東京・神奈川エリアで、誰も21層を攻略出来ないんですよ。ウチを含めて、もう一年以上足踏み状態です。今までソロやペアで活動していた探索者をまとめて、パーティーで探索しようというアイデアは、悪くないんじゃないですか?」

 戦闘スキルのない章平は、ずっと思っていた疑問を有田にぶつけた。


「……初心者の間はパーティーで活動しているのに、その後ソロで活動するようになるのはなぜだ?」

 有田はゆっくりコーヒーを飲みながら、逆に章平に尋ねてきた。


「最初は“安全のためにパーティーを”って建前がありますけど、命のやり取りしてると本性が出てくるというか……結局、信頼関係の問題ですよね。皆、どこかで一人のほうが安全に稼げるって思うんじゃないですか? まあ、ベテランに限った話になりますけど」

 章平は慎重に答えた。


「その通り。ダンジョンの中の治安は、お世辞にもいいとはいえない。組んだ相手に襲われることだってある。それにナンブは、華僑のはみ出しモンが作った黒虎幇(こっこほう)と、この辺りを仕切っている石川組が縄張り争いの真っ最中だ。俺たちは、モンスターと戦うだけじゃなく、暴力団同士の争いに巻き込まれる可能性だってある」


 有田は、過去に起こったいくつかの事件を思い出し、渋い顔になった。


「ベテラン同士がパーティーを組めば、確かに21層を攻略できるかもしれん。だが、自衛隊でさえ二の足を踏んでるのが現状だ。それに──先を目指してモンスターを狩るより、人間を狩るほうがリスクが少ないと考えるヤツラがいるのは事実だ。パーティーで組んだヤツが裏切らない保証はないのに、誰が今さらパーティプレイをやりたがるよ」


 有田は、飲んでいたコーヒーカップを机に置くと、盛大に鼻をかんで、硬く丸めたティッシュを指で弾いた。


 ティッシュは、まっすぐ飛んで壁に当たると、その真下にあったゴミ箱にストンと落ちた。



「そりゃあ、未知の魔水を待ち望んでる製薬会社か、ダンジョン資源を扱う総合商社でしょ。あるいは――以前テレビCMでやってたじゃないですか。『難病の子どもを救うには、新しい泉の発見が必要です』とか……。もちろんリスクはわかってますけど、ああいうのを見ると、何とかしたいって気持ちになるじゃないですか。助かる命が増えるかもしれないし。ボクには何も出来ないけれど──」


 章平は、“叔父さんなら”という言葉を飲み込んだ。


「おいおい、確かに難病の子どもたちは気の毒だけどな。見ず知らずの子どものために、命を張れるヤツなんかいるかよ。どうしても攻略を進ませたいなら、パーティープレイを推奨するより、ダンジョン内の暴力団を一掃するほうが有効だと思うね」



 そう言いながら肩を回す有田の言葉は、過去の経験から来ていた。



 駆け出しの頃、有田は同じパーティーメンバーに背後から襲われ、右腕が使い物にならなくなるほどの傷を負った。

 もし、あのとき魔水を持っていなければ、命ごと奪われていたかもしれない。


 とっさの判断で生き延びた有田だが、あとになって、魔水を売ったときの利益と、病院に掛かった場合の費用を比較して、あまりの差額の大きさに泣いた。

 当時は、魔水のためなら命を失っても構わない──そんな本末転倒な願いを抱くほど、金がなかったのだ。


 襲撃を受けた有田の脳裏にあったのは、問題を抱えたままの甥を、一人残して死ぬわけにはいかないという思いだった。


 そして、有田に奇跡が起きた。


 まだ使える探索者も少なかった『スキル』が発現したのだ。

 まるで、絶体絶命のピンチに、誰かが生きろと渡してくれたように──


 もしかしたら、スキルの取得は“偶然”ではないのかもしれない、と有田は思った。



「一般人は知らないだろうが、魔水ってのは、ただ病気や怪我が治すだけじゃない。企業が21層以上の探索を急がせる理由は、その“先”にあるんだ」




 ダンジョンでは、従来の常識ではありえない現象が起きている。

 その最たるものが、ダンジョンから湧き出た『魔水』を飲むだけで、不治の病が治ったり、欠損のある体が元に戻ったりするということだ。ダンジョンの奥へ進むほど、魔水の効果は上がっていく……。


 その現象を目の当たりにした人々は驚愕した。そして、こう考えるようになった。




 もしかしたら、ダンジョンには“若返り”や、“不老不死”の泉もあるのではないか、と──




「病気や怪我がダンジョンで湧いてる水を飲めば治るんだぜ? あそこにいる化け物たちが、倒してもしばらくするとまた現れるのはなぜか。考えたことはないか? アイツらは、魔水のおかげで生き返るんじゃないかって──。あれこそ、不老不死そのものじゃないか」



 不老不死を願う者は大昔から多い。人類不朽の夢だ。

 その夢が叶うかも知れない。



 その夢を前に、人々の欲望は膨れ上がっていく。

 やがて、従来の法律や秩序では、その欲を抑えきれなくなっていった。


 企業は、ダンジョンから得られる資源の可能性から世間の目をそらすかのように、マスコミを動員してダンジョンのエンタメ性を強調する。




 ようこそ、探検と冒険のテーマパークへ──と。




 世の中にダンジョンが現れた当初、探索者は人々を救うヒーローだった。

 大企業が札束を積んで、こぞって探索者を囲おうとしたものだ。

 たった一日で何百万も稼ぎ、誰もが憧れる職業ナンバーワン。


 だが、ダンジョン資源のうまみに気がついた暴力団が出入りするようになると、ダンジョン内の治安は一気に悪化し、大衆の熱狂は冷めていった。



 もはや、まともな人間が行く場所ではない。平日の昼間に大酒を飲みながら、賭け事に興じているような。一攫千金を夢見て、自分の命さえ掛け金に変えてしまう。そんな人間が出入りする場所になった。


 ダンジョンは、強者が決めたルールが支配する世界になった。




 すでに、生活するだけなら十分過ぎるほどの額は稼いだ。危険な探索業など引退して、残りの人生を遊んで暮らすことも出来る。



 有田は、今年で20歳になる章平に目を向けた。


 章平の日常は、毎日同じことの繰り返しだ。誰にも会わず、パソコンの画面を見つめ、どこかに出掛けることも、何かを欲しがることもない。銀行の残高のゼロがいくら増えようが、彼の行動は変わらない。


 まだ先の長い章平には、人と関わることを覚え、信頼できるパートナーを見つけてほしい。

 人に傷つけられ、他者を寄せ付けなくなった今の章平に、普通の人付き合いは難しいかもしれない。



 だが、ダンジョンでなら、章平にも自分を変える可能性があるのでは──と、有田は思っていた。

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