2025年5月2日(金)この世で一番恐ろしいこと
何らかのストレスを感じると、スキルは生えやすいのかもしれない。
ただ風呂に入るだけなのに、突然頭の中に吉野さんが現れた。……いや、吉野さんが生えたというべきか。
『じゃあ、目をつぶってくれる?』
「あー……空耳か?」
俺は、手を止めて耳をすませた。
『空耳じゃないわよ、あ、これってアレじゃん。マジで、あなたの心に直接語りかけていますってやつ。ハハハ』
頭の中で誰かが話し始めて、自分の言ったことにウケてる声がした。
「ナニ、ナニコレ?? 何が始まった?」
俺は両耳に手を当てたポーズで、辺りを見回した。
『ハロー、山村さん。やっと通じた』
「えっ? ええ? よ、吉野さん??」
『しばらく前から山村さんの頭の中にいたんだけど、こっちから話しかけても反応がなくて。さっき急に通じるようになったの。これってスキルの効果なのかなあ~』
「は? ナニ、その緊張感の抜けた『スキルの効果なのかなぁ~』って。おま、っていうか、どんなスキルよ!? 人の頭の中で勝手に出てきて喋り出すスキルって」
俺は混乱した。
まったく意味がわからない。
『うーん、変わったスキルだとは思うけどー。さっきまでできなかったことができるようになった。ということは……“派生スキル”なんじゃないかな、これ』
今日の説明会で、スキルは必要に迫られたときに使い勝手が良くなるとか、派生スキルが出てくる、みたいなことは聞いた。
それに、ついさっき、ご先祖様的な何か(もしかして、あれは吉野さんに向かって言ったことになるのか?)に向かって、文句があるなら自分で風呂に入れと言ったが。
だが、それがこういうかたちで実現するとは驚きだ。
っていうか、ここダンジョンの中じゃなくて、普通に俺の家だよ?
地上じゃスキルは弱まるって話だろ。魔力もない場所で、こんなお手軽に派生スキルが生えるって……そんなんでいいの?
「えっと、すみませんが──この勝手に喋ってる誰かって、吉野さんで合ってます?」
俺は、なるべく冷静になろうと努めながら聞いてみた。
『だいたい合ってる感じ? 今しゃべってるアタシは、吉野美玲なんだけど、山村さんのスキルで生まれた存在だから、吉野美玲であっても、吉野美玲じゃない──のかな』
「……意味がわからん」
正直、ここまでの情報が多すぎて、何を聞いても頭が追いつかない。
『だよねー。アタシだってまだよくわかってないんだけど……。えっとね、山村さんがスキルで本物のアタシをコピーしたら、体だけでなく記憶もコピーされて、頭の中に吉野美玲ができちゃったって感じなんだけど……わかった?』
「まあ、なんとなく……。へー、俺のスキルって、人間をコピーするスキルなのか──」
……。
「いや、ちょっと待って。俺のスキルって、人を丸ごとコピーできるの……。え、っていうか、ええええっ?? マジで!?」
人間コピー機。印刷用紙は俺。
「いや、それってすごくない!?」
さっきまで意味不明なスキルだったのが、いきなりすごいスキルになった気がして、俺のテンションは瀑上がりした。まるで宝くじに当たったかのように、頭の中はお祭り騒ぎだ。
たまたま今回コピーしたのは吉野さんだったが、スキルを使えば誰にでもなれる。
その上、その人の記憶も技術も全部手に入るとしたら──どうする?
まずは金だ。
手っ取り早く稼ぐなら、敏腕投資家の記憶をコピーして、株やFXで大儲け。月収は一千万超えがフツーーーな感じ。
これは、別にズルじゃないだろ? インサイダー取引でもない。スキルは個人の技能。何も問題はないはずだ。
ハーハッハッハ。エチゴヤ、オヌシもワルよのう。
いえいえ、オダイカンさまには敵いません。さっすが、目の付け所が違いますね。ホーッホッホ。
……いや、ダメだ。派手に稼いだら税務署に目をつけられそうな気がする。
金があっても、もっと力のあるヤツらにむしり取られるだけだ。
税金とか。税金とか、税金とか──!
年収一億円あっても、税金で半分持っていかれるんだぞ。なんと悪魔のような社会システムだ。
だったら権力か。今の世の中、既得権益を握ったヤツラが勝ち組だ。
ダンジョン資源で儲けてる会社の重役とか。
いやいや、目標がちいせえな。いきなり国のトップになっちゃうのはどうよ?
総理大臣とか。……重圧ばっかりで面倒くさそうだな。
じゃあ物理的な力はどうだ。ベテラン探索者になっちゃうとか。ヒーローじゃん。みんなに一目置かれて、メチャクチャ強くて稼げるし……。
でも、危ない目に遭うのはイヤだ。未知の階層とか入って、探索の最前線に立たされるんだろ? 一番死にそうなポジションじゃん。
はー……バカだな、俺は。
金とか権力なんて、たいして重要じゃないだろ。
俺が、本当に欲しかったのは、たぶん──愛。っていうか、モテ期。
人生で一回くらい、女にモテまくってみたかった。
イケメン俳優をコピーして、みんなにチヤホヤされて、ウハウハな感じ。
……いや、芸能人をコピーしても、事務所とかうるさそうだな。ファンに気を使って、ジャージ姿でコンビニにも行けないとか、超面倒くさい。
それなら、やっぱり夜の帝王だろ。狙うのは、桜木町のホストクラブで、ナンバーワン。
美女をはべらせて、タワマンのてっぺんから夜景を見ながらシャンパン飲んで、金のガウンなんか着ちゃってさ。ガーハハハッ。
「やっべーな。マジでホストになれる気がしてきた……!」
両手に花とか、まいっちまうな。どっちの花からいただいちゃおうかな~?
バカだな、押すなよ。いい子で順番待ってろって。
ちゃんとかわいがってやるからよ。
だから、押すなって……。
ああ、もう~、しょうがねえなあ。いっぺんにいくか!?
押せーーーー!! とか言っちゃって♥ ダーッハハハ!
どうにも、妄想が止まらなくなって、俺はめまいがしてきた。
『山村さん……、一応言っておくけど、今の妄想、全部アタシにダダ漏れよ』
吉野さんのため息まじりの声が聞こえてきた。
「ハハハ……って──、えっ?」
……っていうか、ええ? ええええええ!!!???
胸がバクンと跳ねて、呼吸が止まった。
血の気がザーーッと引いて、頭が真っ白になった。
スキルで、俺の考えてることが……
吉野さんに、全 部
ダダ 漏 れ
……だと?
「ちょ、ナンで!? マジ? ……総理とかベテラン探索者とか、ホストで金のガウン着てるのまで!?」
終わった……。なんか……社会的、っていうか……精神的に?
見られていると思っていない、無防備な自分が白日のもとにさらされた瞬間──
俺の黒歴史に、新たなページが追加された。
頭の中で、シャンパンタワーがガラガラと崩れていく……
よりによって、ホストやってる俺の姿って……。ぜっっったい似合わないってわかってるから! 何も言うな!! もう!!
羞恥の極みだ。顔から火が吹く。
今すぐ灰になって消し飛びたい。
『いやあ、なかなかイイ飲みっぷりだったわよ。シャンパン追加でいいですか~? ナンバーワンホストの山村さん♥』
吉野さんのからかうような声が俺の心をえぐる。
「うわあーーーーーー、やめろおおおおおお!!!」
俺はソファに突っ伏し、クッションで顔を覆った。
『でも、ホストって顔だけじゃないと思うんだよね。経験からくる自信とか、包容力? 雰囲気までコピーできるのかしら……。まあ、世の中には変わった好みの人もいるから、ある程度の贔屓はつく…かも?』
「クッソ、誰か俺を殺してくれーーーーーー!!!」
なおも続く吉野さんの攻撃。
俺は顔を隠したまま、その場に崩れ落ちた。
『それに、山村さんったら、イケないんだ。奥さんがいるのにー。美女に囲まれたいとか……あ、離婚するからいいのか、別に』
「おまっ──、それを言うなよ! まだ離婚してないし!! だいたい、こんなの、プ、プライバシーの侵害だろ!!!」
俺は、天井のほうを見つめながら叫んだ。
……っていうか、この場合、どこを見て喋ればいいんだよ。
『そんなことアタシに言われても~。これって、山村さんのスキルの効果でしょ? それに、他人をコピーできるって言っても、誰にでもなれるわけじゃないし』
「え……、そ、そうなの?」
吉野さんの予想外の言葉に、思わず聞き返した。
『スキルは、ダンジョンの中みたいに魔力が満ちてる環境じゃないと、本来の力を発揮できないでしょ? 地上には魔力がないから、擬態みたいな大掛かりなスキルは使えないんじゃないかなー。だって、人間をまるごとコピーするなんて、片手で火や風を飛ばすのとは、ワケが違うでしょ』
「あ……そ、そうか……。その可能性があるのか」
体から熱が引いたような気がした。
『たとえば、総理大臣とかをコピーしたくても、その人たちがダンジョンに入ることって、まずないでしょ? だから、擬態するチャンスすらないと思うよ』
「なんだ……そうか、結局コピーできるのは探索者だけか」
夢が広がっていた分、選択肢の狭さに余計ガッカリした。
『まあ、色んな使い道がありそうなスキルだよね。でも……山村さんがタワマン買って、すっごい広ーいリビングにいても、結局、その真ん中にちょこんとコタツを置いて生活してるイメージしかないけど』
「うっ……、ま、まあな。所詮は庶民のちっさい夢だよ……。もういいから、そこには触れないでおいて。お願い」
俺は土下座のようなポーズで、床にひれ伏した。
『ハイハイ、ゴメン。私も悪ノリしすぎたわ』
吉野さんは素直に謝った。
「んで──、俺が吉野さんをコピーして、何だって?」
妄想を振り払って、吉野さんに話の先を促した。
『それで、アタシ自身は、山村さんにスキルでコピーされた時点で、本体の吉野美玲とは切り離された存在になるでしょ?』
「まあ、コピーなんだし、オリジナルっていうか吉野さん本人じゃないんだから、そりゃ別モンになるか」
『そうそう。だから、アタシは、吉野美玲の記憶がありつつ、山村さんの記憶も覗ける、──限りなく吉野美玲に近い別人格みたいなもの、なのかなあって思うんだけど』
は?
「──おい、ちょっと待て、今聞き捨てならないことを聞いたぞ。……そ、そっちから、俺の記憶も見られるの?」
聞き間違いであってほしいと願いつつ──俺は、震える声で訊き返した。
自分の記憶が……恥部が、他人に丸見えって……そんな、バカな……
『山村さんだって、アタシの記憶が見られるでしょ』
吉野さんは当然という口調でそう言った。
「ぐっ! マジか!!」
想像してみてほしい。36歳の男の頭の中に何があるか。
今この瞬間だけでなく、己の心の奥底に隠しておいた黒歴史の数々が、他人に見える状態にあるということを。
例えるなら、ネットの検索履歴を、家族に見られたとき。
いや、会社のネットワーク管理者がそっと寄ってきて「山村さん、業務外のものを見ないでください」って、囁くように言われたとき。
どうだ、──死にたくなるだろう?
そういえば、高校の授業参観で、担任がパワポを閉じた瞬間、デスクトップにエロいアイコンがズラッと並んでたことがあった。
教室が一瞬で静まり返ったときの、あのいたたまれない空気──
アレだよ、アレ。
隠していたつもりが、全世界に向かってワ~イドオープン♥
なんという恥辱。
世界の全人口の半分以上は同意してくれるに違いない。彗星が地球に接近したとき、核ミサイルなんかで破壊しないで、そのまま人類は滅亡するべきだったと──
「はーーーー、これは幻聴だ。夢か? 夢だな、きっと。俺は疲れてるんだ。そういえば、俺ってスライムに殺された? もう死んでるんだよな。もしかして、ここは地獄なのか? そうだ、俺はこのまま地獄の業火に焼かれながら、他人に記憶を覗かれ続けるという精神的苦痛を永遠に味わわされるんだ。なんたる苦行!!」
俺は顔を歪めながら、心臓のあたりをおさえた。
『ちょっと、現実逃避してどうすんの。しっかりしてよ』
「もうダメだ。俺は死んだ。アデュー」
俺はそのまま床に倒れた。
──1分後。
俺は静かに涙を流していた。
「色々考えてみたけどさ……ダメだ、やっぱり。……俺、もう死ぬわ。いや……、死ぬべきだ」
『……は?』
「会社をクビになって、嫁に逃げられて、ダンジョン最弱のスライムに殺されて──。そんな俺に生きる価値なんてあるのか?」
今朝起きたとき、俺はダンジョンに夢と希望を抱いていた。
もしかして、ヒーローになれたりしちゃうんじゃないか──って。
それなのに今の俺は、絶望と羞恥に押し潰され、女子大生の格好で床に転がっている。
「このまま吉野さんと頭の中で同居するってことは、俺が死ぬまで俺の記憶が見られるってことだろ? そんなの、俺には耐えられない。……ゴメン、短い間だったけど、一緒にいれて楽しかったよ」
『ちょっ、ちょっと!? なに本気で闇落ちしようとしてんのよ!』
「最期の晩餐が、カップ麺か……、まあ俺らしいや」
『っていうか、わざわざ死ぬことないわよ。──たぶん、山村さんが自分の意識を放棄すれば、私が体を乗っ取ることもできると思うんだよね。それでよくない?』
ナニ、ソノ物騒な情報。マジでやめて。
『正直、山村さんの頭の中なんてどうでもいいけど……アタシがこの体を使う以上、衣食住は整えておかないと。そうね──、まずは掃除かな。この家、ハッキリ言って悪いけど、相当汚いよ』
「……そうかな。一人暮らしの男の家なんて、こんなもんだろ?」
俺はどうでもよさそうに呟いた。
『イヤイヤイヤ、お風呂とかトイレのマット、カビ生えてるじゃん。じっとしてると、病気になりそう。ちゃんと人間の住める家にしなくちゃ。それに、カーテンを変えたら、だいぶ雰囲気違うと思うんだよね。なんなの、このクソダサカーテン。誰の趣味よ』
今まで何の問題もなく住んでましたよ。
あ、でも、カビは……。そういえば咳が増えたっけ。
『山村さん聞いてるの? 死ぬんだったら、アタシが必要ないものは、どんどん捨てるから。断捨離よ。押し入れに入ってる山村さんの秘蔵コレクションみたいなDVD……』
「どわああああっ!!! 見るな!!! 絶対捨てるな!!!! 何と恐ろしいことを言うんだ、オマエは!!」
俺は瞬時に飛び起きて、意識を乗っ取られないように頭を押さえた。
いや、頭を押さえたってダメだと思うんだけど、何かを押さえずにいられない感じがしたので何となく。
「オッ、オマエ! 俺の秘蔵コレクション──じゃなくて。こ、これはな、オマエが考えてるようなやましいヤツじゃないぞ。これは……ダンジョン災害で死んだ俺の叔父が残した大事な──か、形見なんだ」
『へえー』
「映画監督志望の叔父が、命懸けで残した……そう、ロマンなんだ! わかるか? 俺はこれを、どうにか世に出せるものにしなくてはならない。俺は叔父と約束したんだ」
『ふーん』
「いいか、絶対に手を出すな! それに、これ以上俺の頭の中を漁ったら──名誉毀損で訴え……いや、そんなもんじゃダメだ。──そうだな、この姿で男子トイレを徘徊したり、オマエの通ってる大学前で痴女行為をして、オマエの評判を落としまくってやるからな!!」
『ちょっとー、それはひどくない? っていうかさ……』
吉野さんの口調が、少しだけ低くなった。
『ちょっとだけ感動的な話に見せかけてるけど、ホントは山村さんだって、ろくでもない荷物を抱えて、扱いに困ってるってだけなんじゃないの? 叔父さんって、特殊な人? そんなものを大事に持ってたなんて、サイテーじゃない?』
「とっ、特殊とは何だ! フツーだろ、このくらい。フツーーーーだ! 特殊っていうのはな、他人のクソを喜んで食うとか、そういうレベルのことを言うんだ!」
俺は猛烈な勢いで抗議した。
『──それは、ちょっと特殊過ぎない?』
吉野さんがかなり引いた気配がした。
「バカ言え、世の中にはいろんなヤツがいるんだ。そもそも人の性癖なんてものはな、大っぴらにするもんじゃねえんだよ」
『山村さんだって、ヘンな本を隠し持ってるクセに……』
「だ・か・ら! 人の頭の中を勝手に盗み見てんじゃねえよ!!」
低レベルな言い争いを続けるうちに、いつの間にか──死ぬ気なんてどこかに吹き飛んでいた。
っていうか、今、絶対に死ねない。
少なくとも、コレを片付けるまでは。