2025年5月26日(月)死なずに作るスマホ
ダンジョンに入ると、下の階層に続く通路のあちこちに自衛隊の隊員が待機していた。
「何をしてるんだ、あれは? 不審者の見張りかな」
俺は親指で隊員を指差す。
「それもあるかもしれないが、通信システムの代わりなんじゃないか? 電波が通じないんだから、何かあったら人力で上に知らせるしかないだろ?」
「なるほど。バケツリレーみたいなもんか」
「それに、ナンブとは全然環境が違うな。これだけ自衛隊員がいるなら、暴力団に魔水を独占されるってこともないんじゃないか?」
「確かに。箱根に関しては、そういう噂は聞かないな。だが、魔水を採りやすいという話も聞かないぞ?」
「自衛隊がメインで攻略しているだけあって、箱根の情報はあまりネットに出てこないんだ。広すぎて見つけにくいのか、あるいは異生物が頻繁に襲ってくるせいで探すのが大変なのか……。どっちにしても簡単じゃないだろ?」
「そりゃそうだ」
3層まで来てみたが、異生物の種類はナンブと大差ない。
だが、5、6体で固まっていることが多く、大きな音を出せば、遠くから異生物が集まってくる。
普通の探索者なら、それなりの人数を揃えたパーティーで来ない限り、早々に退場するハメになるだろう。
「スマホの着信音を切っておいたほうがいいな。いきなり音が鳴ったらヤバい状況になることもあるかもしれん」
「便利になった反面、気をつけないといけないことが増えたな」
「だな」
ポケットからスマホを取り出し、バイブレーションだけにしておく。
「そういや、警察犬とか、訓練した犬に魔水を探させたらどうなるんだろ?」
「魔水は無味無臭だから、さすがに犬でもムリだろ。それに、どっかの政府機関がそういう実験をしたが、ダンジョンに犬を連れてきても、恐怖心でまったく動かなかったって話だ。実際、犬を連れた探索者がいないんだから、そういうことなんだろう」
「ふーん、まあ、殺気を飛ばしてくる異生物があちこちにいるんだから、そりゃ犬も尻尾巻いて逃げるわな」
そんな話をしながら、俺たちは人気のない場所へ移動した。
「誰もいないよな?」
「今のところ人の気配はないな」
真司はあたりを見回す。
「んじゃあ、始めよう」
俺は意識を集中させ、自分に流れ込んでくる魔力に身を委ねる。
息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く。
『なるべく丁寧に魔力を使うように意識してみて。持っている物が、全部繊細なガラス細工でできてるみたいに』
頭の中で吉野さんがアドバイスをくれる。
(了解。持ち物を全部、なるべく丁寧にね……)
図鑑スキルを呼び出す。
いつものように、ポンっと吉野から桐ヶ谷さんにスイッチするのではなく、眠っている子どもを起こさないように、そうっと人格を入れ替える。
体の輪郭が揺らぎ、光が全身をなでるようにまとわりつく。
息を吸うたび、肩から腰へと流れるようなラインが形を取り、キャットスーツがそれを包み込んでいく。
ふわりと浮いた髪が長く伸び、艶やかな赤に染まり──少々艶っぽい吐息がもれた。
「お……、今回はやけにスムーズに変身したぞ。っていうか、変身終わりの表情がセクシー過ぎて……ちょっと……その……目のやり場に困るんだが……」
端で見ていた真司が、複雑そうな表情で顔を赤らめる。
「そうか? でも、俺に惚れんなよ。まあ、確かに前はもっと雑に変身してたな」
俺は、頬にかかった赤い髪を、指先でそっと後ろへ撫でつける。
「桐ヶ谷さんと同じ顔だから……ち、ちょっと想像しただけだ! オマエに惚れてるわけじゃない」
真司が真っ赤な顔で抗議する。
「おや、想像しちゃった? あとで俺をネタにすんなよ? でも、わざわざ中華街まで行って、特訓したかいがあったな」
「それはそうだが……とりあえず、人前で変身するのはやめておけ」
真司は首を振って、目に焼き付いた光景を追い払うように顔をバシバシと叩いた。
「そこまでか? モザイクでも掛けておいたほうがいいかな。いや、それだと吉野さんに下品だって怒られそうだし」
「そうなのか?」
「話せば長くなるんだが……彼女には、ちょっとしたトラウマだ。まあいい。──さて、肝心のスマホはできたかな?」
俺は、いそいそとリュックからスマホを取り出した。
持ってきたスマホは20台。そのうちの5台に、アンテナが立っていた。
「これは……成功と言えるのか?」
俺と真司はじっとスマホを見つめる。
「成功なんじゃないのか? 全部はムリだったが、死なないでもスマホが出来たんだから」
「回数を重ねているうちに、成功率も上がってくるかな」
「そうなるだろう」
「だったら、もう少しやってみよう」
再び変身シーンなので、真司は後ろを向いて俺を視界から外す。
2回挑戦してみたが、次が7台、その次が8台で、余りのスマホが無くなって終了。
「最後はけっこうイケたと思ったんだが……20台しかないと検証のしようがないな」
再び桐ヶ谷さんの姿になった俺は、少々ガッカリしながらスマホをリュックにしまう。
「続きはまた次回にしよう。──さて、せっかく箱根に来たんだから、奥まで行ってみるか? 次のオークションに向けて、スマホの性能がわかるような映像を撮ってもいいし」
「それなら、吉野さんに戻ったほうが派手な映像が撮れるかなー。でも、桐ヶ谷さんの体でカンフーを使ってみたいし、どっちにしよう……」
「ちょっと待て──今変身するな。近くで話し声がする」
耳を澄ますと、誰かが話しながら歩いてくる気配があった。




