2025年5月26日(月)悩める子ヒツジ
新章スタートです。
今まで引いてた伏線をだんだん回収していきます。
出だしは、悩める真司から。
真司と朝食を食べながら、昨日の出来事を報告し合う。
メニューはもちろん、中華街の小籠包だ。
名だたる老舗の一品を、電子レンジではなく、ちゃんと蒸籠で蒸していただく。
「オレは、朝からこんなに食えないぞ」
小籠包の山を見て、真司がゲンナリした顔になる。
「心配するな。俺が全部食う」
蒸籠が小さいので、蒸し上がった順に皿に取って食べる。
「それで、太極拳はどうなったんだ? 気の流れとやらは見えるようになったのか?」
そう言いながら、真司がエビ小籠包を箸で取る。
「バッチリよ。パット・モリタみたいな年寄りに稽古をつけられたからな。今日はその成果を確認したい」
「ふむ。うまくいけば、いちいち死ななくてもスマホが作れるかも──ってわけか」
「そうそう。それにカンフーも試してみたいんだよなー。ナンブってまだ混み合ってんだよな? どっか近くに手頃なダンジョンないか?」
「大黒埠頭のそばにあるダンジョンが一番近いが……」
「あそこは極浅ダンジョンだろ。たしか3層しかなかったんじゃないか? しかも、ドライブデートのついでに、軽くダンジョンしてみたい~って、ニヤけたカップルばっかりでさ」
俺はオエっと言わんばかりに顔をしかめる。
「だったら池袋はどうかな……いや、ちょっと人が多過ぎるか」
「じゃあ、箱根はどうだ? いいじゃん、箱根にしようぜ。帰りに温泉に入る……のはさすがにムリか?」
「オマエが完全に意識を失ってるときならともかく、倫理的にやめておけ」
「デスヨネー」
俺は急須に入れた烏龍茶を湯呑みにつぐ。
「──んで、ナンブの盗聴器のほうはどうなったんだ?」
「昨日は二人捕まえた。一人は内部の人間だったが、もう一件が出入りの業者だったんで、大騒ぎになったんだ。そいつの荷物を調べたら、魔石が詰め込まれてた」
「へー、窃盗──っていうか、その場合は横領になるのか?」
「横領だ。魔石はナンブで売るより、外で売ったほうが儲かる。ネットで頼まれて、軽い気持ちで引き受けただけって、言ってたよ。悪意は感じられなかったな」
「悪意があろうがなかろうが、犯罪なのは変わらないだろ? 小遣い稼ぎのつもりが、犯罪者の仲間入りでブタ箱行きとは、バカだねえー」
「……そうだな」
俺が何の気なしに言った言葉に、真司は顔を曇らせた。
「どうした?」
「いや……スキルで犯罪者を捕まえることは出来るなら──そもそも犯罪をさせないで済ませることも出来たんじゃないかな」
「どうやって?」
「それはまだわからないが……。でも、人間が社会的なルールを破るのは、単純な悪意だけじゃないだろ? 今回の犯人は、たまたま金が目的だったけど、食うに困るほど切羽詰まっていたわけでもない。スキルで動機になり得るものを追ってみたが、昇給も評価もない職場で長年誰にも認められずにくすぶってた、ただその一点なんだ」
そう言って、真司は小籠包をつまもうとした手を止める。
「ふむ。極悪人ってわけじゃなく、どこにでもいるフツーのやつだったワケか」
「そうだ。そんなときに、ネットで『助けてください』って投稿を見つけて、ちょっと手を貸したらもの凄く感謝された。おそらく、“誰かに必要とされた”って感覚に、舞い上がったんだろうな……」
真司の声には、同情の色がにじんでいた。
スキルで触れた、犯人の孤独や葛藤に影響されているのだろう。
鑑定スキルがどんなに優秀でも、他人の負の感情の扱い方なんてわかるわけがない。
「ネットじゃ相手の素性なんてわからないからな。その困ってたってヤツが詐欺師なら、“いやあ、引っかかってくれてありがとう”って、いくらでも感謝するだろうよ」
「いいことをしたつもりが、詐欺師の投げた釣り針に引っかかっただけなんて、浮かばれないだろ?」
「悪人がいかにも悪人ですって顔で出てくるのは、ドラマだけだぜ。──っていうか、鑑定スキルだけでそこまでわかるのか!?」
俺は思わず問い返す。
「ネットにつながってる情報なら何でも見えるからな。会社の業績、口座の入出金、SNSでの活動。どんな人物の背景だろうが、推測は出来る」
真司は、なんでもないことのように言うが、今の世の中でネットワークにつながっていない人間なんているか?
SNSだけじゃない。銀行の振込履歴、クレジットの明細、役所の申請書類、通販の購入履歴──あらゆる情報がネットにつながっている。
それどころか、個人の位置情報や、匿名アカウントで交わされる裏取引の痕跡まで、全部ネットに残る。
真司にとって、誰かを破滅させるのに必要な情報は、簡単に揃ってしまうのだ。
『──ちょっと、それってスゴイことじゃない?』
頭の中で、吉野さんも驚いたように口を出す。
(鑑定スキルを舐めてたな。スキルの対象にされた人間のことが丸わかりじゃないか)
『でも……、真司さんにとっては苦痛なんじゃない? スキルで見るだけで、相手の情報が集まってきちゃうんでしょ?』
(スキルは優秀でも、メンタルは普通の人間だからなあ)
『犯人がどんな人物なのかわからなければバッサリ断罪できても、わかってしまえば見逃したくなる場面も出てくるわよね……』
(まさにそれ。根はいいヤツだから、犯人に肩入れしちまうんだろうな……。今後も同じようなトラブルは出てくるだろうけど、それをどう乗り越えるか──)
「真司のスキルを使えば、SNSでの不穏な投稿内容、経済的に行き詰まってるヤツをリストアップするだけで、未来の犯罪は防げるかも知れない。だが、それは犯罪を防ぐ手段であって、本人は救われないぞ」
俺は淡々と事実を口にする。
「それはわかってる。……『鑑定』を取得したときは、まるで神の視点でも持ったような気がしたよ。未来まで見通せるんじゃないか……って。だが、今オレが実際にやっているのは、人が誰かに騙されて転落していくのを、ただ見ているだけだ。介入は出来ない」
「そりゃ気が滅入るな……神の祝福のように見えたスキルが、実は呪いだった──みたいな感じか」
「呪い……か。スキルなんてものは、そもそも人間の手にはあまるものなのかもしれないな……」
真司は、そのまま何かを考え込むように押し黙った。
神の祝福か、それとも呪いか──。
本物の神様だったら、地上で人間が愚かな行為をしても、ただ見ているだけ、あるいは「なんてバカなことをしてるんだ」と高笑いをしているのかもしれない。
だが、人間は神と同じにはなれない。見てしまえば、平静ではいられなくなる。
真司の反応は、悩める子ヒツジとしては当たり前なのかもしれない。
人間はみんな孤独だ。
だから、誰かと寄り添おうとしてぶつかったり、余計な痛みを背負ったりする。
それが欠陥なのか、あるいは“人として”当然の反応なのかわからない。
俺は真司の話を聞いても、それほど犯人に入れ込んだりしなかった。
所詮他人事と思っているからなのか、元々の性分なのか。
あるいは、体だけでなく、心まで人外の存在となったんだろうか──。
そんなことを考えながら、俺は小籠包をひとつ箸でつまんだ。
破れた皮の隙間から肉汁が溢れ、ふんわりと湯気が立ちのぼった。




