2025年5月24日(土)午前10時、マンション見学会
午前10時、真司の運転で家を出て、途中の駅で奥田くんと吉野さんを拾う。
まずは吉野さんの大学に一番近い、グランセキュール保土ヶ谷の見学に向かう。
テレビで見たことはあるけれど、中に入るのはみんな初めてだ。
「大きいなあ……。何階建てなんだろう?」
奥田くんは建物を見上げる。
「防壁もスッゴイ分厚いよ。スタンピード対策のために作られたってだけのことはあるねー」
「“要塞マンション”って別名は伊達じゃないな」
「そういえば山村さん、今日はアタシと双子ってことにしておくから、営業の人にオジサン臭い言葉遣いしないでよね」
吉野さんが俺に釘を刺す。
「あー、そういえば……。でも、ずっと“吉野さんっぽく”しゃべるのは難しいな。ちょっとボーイッシュで口の悪い双子のお姉ちゃんって設定でいいんじゃない?」
「んー、性格の違う双子ねえ……」
今日の吉野さんは、パステルピンクのシアーブラウスに白のフレアスカート。小さなパールのピアスに、韓国アイドルを意識したようなメイクになっている。
俺のほうは、白いドレスシャツに紺のマーメイドスカート。メイクは控えめ。ゆるく巻いた髪をハーフアップにして後れ毛を少しだけ残し、より柔らかく女性らしい雰囲気を演出中。
「……なんか山村さん、アタシよりかわいい感じがするのは気のせい?」
「俺のことは鏡だと思え。俺がかわいいなら、今日の吉野さんもかわいいってことだ」
「そ……そうなのかしら?」
吉野さんは自分の好きなファッションだけに意識が向くが、俺は吉野さんに似合い(脳内吉野さんのアドバイスをもらい)、なおかつ“自分の彼女だったらこういう服を着てほしい”という願望に基づいて服を選ぶ。
なので、同じ顔をしていても、まったくオシャレの方向性が違う。
「やっぱり、なんか納得いかないんだけど……」
吉野さんは、なおもブツブツ言いながらついてくる。
悶々とする吉野さんに構わず、玄関ホールへ向かう。
エントランスで、不動産屋の担当者が待っていた。
スラッとした背の高い女性で、髪は少し明るめにカラーリングしたショートボブ。
シルクのブラウスにベージュのタイトスカートを合わせ、ヒールで立つ姿はモデルのようだ。
引き締まった脚や姿勢の良さから、普段から体を鍛えているのがわかる。
(……俺の知ってる不動産屋の営業マンとは、別次元の生き物だな)
頭の中でコッソリと呟く。
『いかにも“高級マンション売ってます”って感じの人よね。あのブラウス、ブランド物だけど使い捨てなんだよ』
(はあ!? クリーニングに出さないの?)
『洗えないのよ。クリーニング店に持っていっても断られるし。いったい、いくらお給料もらってるのかしら?』
(す、住む世界が違いすぎる……)
「お待ちしておりました。本日担当させていただいます、江口です。ここでは、吉野様のお部屋ということ承っておりますが……」
江口さんは、俺と吉野さんの顔を見比べる。
「は、はい、アタシのほうです。──よ、よろしくお願いします」
おっかなびっくりといった様子で、吉野さんが前に出る。
「さっそくお部屋までご案内します。設備の説明もいたしますので、こちらへどうぞ」
全員で江口さんのあとに続く。
「まず、エレベーターに乗る際ですが、不審者と乗り合わせないで済むように配慮されています。例えば、エレベーターに乗るとき、周囲に動きがあると警告灯が光ります」
「ほう」
真司が重々しく頷く。
「降りたときに鉢合わせしないよう、エレベーター内から降り口周辺が見えるモニターもあります」
「なるほど」
「また、こちらにあるカードリーダーに部屋のカギをかざすと、どの階で乗り降りしたかわからないように、現在地を示す明かりが消えます」
「はあー、細かい配慮がされてるんですね」
感心して息を漏らす。
「部屋からエレベーターの予約も出来るんですよ。それで、ホールでエレベーターを待つ時間を減らせます」
「そんなことすると、朝とか通勤時間が被って、待ち時間が増えたりしません?」
俺は思いついた疑問を口にする。
「こちらのマンションは50階建てで、低層階から高層階までを3つに分け、20基のエレベーターで住人を運びます。15秒もあれば、どれかしら戻って来ますね」
「一番上の階まで行くのにどのくらいかかるの?」
「通常のエレベーターより高速で動きますので、直通なら10秒で着きます」
「「「「早っ!!」」」」
全員で驚く。
秒速何メートルだよ。世界最速じゃね?
「また、電車通勤の方には、地上に出ずに電車に乗ることが出来ます。マンションの地下に専用の自動改札がありますので、直接駅に出られますよ」
「す、すごい……駅に専用の出入り口を作っちゃうんだ」
「駅の構内に出入り口があったら、かえって不審者が入ってきません?」
「部屋のカギがないと、出入り口は開きません。芸能人や各界の著名人も入居しているので、部外者が入りこまないように、入口のチェックにはかなり神経を使ってるんですよ」
「芸能人と同じマンション……誰か知ってるアイドルが住んでたりするのかしら?」
吉野さんが呟く。
「でも、例えばファンがここの部屋を買ったら、ストーカー行為をされる可能性はあるんじゃない?」
「集合ポストは設けておらず、ドアに表札もありません。ゴミは部屋のダストシュートから捨てますので、誰がどの部屋に住んでいるか知るすべはありません」
「じゃあ、郵便とか宅急便はどうやって受け取るの?」
「荷物は受付で一括管理し、コンシェルジュが居住者専用ボックスにお届けします。宅配業者が建物内を歩き回ることもありません」
「へー、業者のふりをして潜り込む余地もないってことか」
「はい。通路に設置したカメラで常時、入館者の顔認証をしています。認証エラーが出たら、すぐに警備員が駆けつけます」
「自分の部屋に客を招くときはどうしたらいい?」
真司が尋ねる。
「受付でゲスト登録をしていただきます」
「ということは、隠れて不倫相手を部屋に呼んだりしたら……」
俺は、ついポロっと思ったことを口に出す。
「それは──すぐに配偶者の知るところになりますよ」
江口さんは、微笑みを浮かべたままそう答えた。
「いいじゃん。アタシ、ここにする!」
吉野さんは突然両手を叩き、嬉しそうな顔でそう言った。
「お、おい、まだ中を見てないぞ……わよ?」
俺は少し慌てる。
「もう決めたの。だって、こんなにいい物件、他にないでしょ?」
「気に入っていただけて何よりです。お部屋のほうも案内いたしますよ」
江口さんは優雅に微笑んだ。
「一応間取りとか見ておかないと。手持ちの荷物が入らない……なんてことはないか」
「150平米ありますので、お一人で住むならゆとりがあると思います。お客様の中には、リビングにソファセットとグランドピアノを向かい合わせで2台置いている方もいらっしゃいます」
「広すぎでしょ。家の中でキャンプできそう」
「実際にキャンプしているかどうかは存じ上げませんが……地下フロアを購入された方は、車で乗り付けて、そのまま部屋まで入れる専用出入り口があります」
「なにそれ。秘密基地みたいでちょっと欲しいかも」
「それはオレも見てみたいな」
「出来ればボクも……」
地下の部屋に関しては、現在見学出来る空き部屋がないということで、とりあえずカタログだけもらった。
SNSの専用チャンネルで中の様子を見られるというので、あとで見てみよう。
吉野さんの部屋は15階になる。部屋の中も案内してもらったが、モデルルームのようにあらかじめ家具が入っていて、即日入居可ということだった。
「こちらにある家具をそのままお使いいただいてもいいですし、必要なければ処分して空き家の状態で引き渡すことも可能です」
「ウィークリーマンションみたいな感じか」
「そうですね。入居してすぐに生活出来るようになっています。寝具は肌触りにこだわった素材を使っているので、ここを退居するときに持って行く方も多いですよ」
触らせてもらったが、触った瞬間このまま布団に埋もれて眠りたい衝動に駆られた。
「すごい肌触りだな。ベッドから出られなくなりそう」
「うーん、だったら家具はここのやつを使って、服とか身の回りのものだけ持ってこようかな」
「それでいいんじゃない? 学校の教科書も忘れないようにね」
「わかってますよ」
長くなったので、一旦切ります。




