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2011年11月16日(日)ベーカー博士(53歳)、広田和夫(76歳)

「何だ、この光は……」


 2011年11月16日、米国のベーカー博士は、自身のホームグラウンドのアリゾナから約1万4500キロ離れたマレーシアにいた。

 たまたま覗いた望遠鏡で捉えた、信じがたい光景。

 見慣れた恒星のそばに、突如として現れた輝く天体。


 博士は息を呑み──その喉から、呻くようなかすれ声が漏れた。




 長らく研究続きだったベーカー博士は、休暇を楽しむためクアラ・クブ・バルを訪れていた。

 そんな折に、ネットで知り合った地元の天体観測クラブのメンバーに誘われ、話の流れでリーダー主催のホームパーティーに参加することになった。


 雨季のマレーシアとはいえ、一日中雨が降るということはない。サっとスコールが通り過ぎたあとは、満天の星空が広がった。食事を終えたパーティーの主催者が望遠鏡を担ぎだし、庭先でささやかな観測会が始まった。


 クラブメンバーの子どもたちが、我先にと望遠鏡の周囲に群がる。母親たちは、子どもたちに順番を守るように言い含めると、テーブルの片隅に集まっておしゃべりを始めた。

 ベーカー博士も、ワインを片手に、ただ星を眺めるだけの時間を楽しむつもりだったのだが……


 アリゾナでいつも観測していた恒星が、緯度の異なるマレーシアから見るとどう見えるのか気になり、軽い気持ちで望遠鏡をそちらに向けてみた。


 望遠鏡を覗いた彼の目に飛び込んできたものは──

 アルデバランの左上に現れたまばゆい一点の光。



 一瞬、目を疑った。

 だが、目を離して空を見上げると、そこにも同じ光があった。


 一度気づいてしまえば、誰にでも分かる強烈な輝き。望遠鏡を覗くまでもない。

 まるで、今この瞬間に小さな太陽が生まれたかのようだ。



「あれは、超新星か──いや、しかし……」



 博士は、急遽ホストのPCを借りて、クラウドに保存してある全天撮影デートと見比べてみた。



 ──ない。



 先週、アリゾナで撮影したときには、こんな星は存在しなかった。



 他のメンバーたちも、次第に異変に気づき始め、空を見上げた。

 ざわめきが、波のように博士の周囲に広がっていく。


「お母さん、見て、あの星大きいよ。急に明るくなったんだ!」

 望遠鏡を覗いていた子どもが、母親に駆け寄って叫んだ。


「──それでね、うちの義母がまた……え、何が大きいって?」


 おしゃべりに夢中だった母親は、目線を上げることなく、子どもの頭を撫でてやる。


「そう……落っこちてこないといいわねぇ。でね、義母がまた同じこと言うのよ……」




 博士は、胸騒ぎを覚えながら、もう一度望遠鏡を覗き込んだ。



 ありえない。超新星爆発なら、通常は数時間から数日かけて増光する。

 だが、これは違う。まるで、一瞬にして違う次元から飛び出してきたかのようだ。

 重力レンズ効果か? 観測データを見ればわかるだろうが……。あるいは、超新星の初期増光を発見したのか。いや、それとも──



 ベーカー博士は、迷う間もなくポケットからスマホを取り出し、画面をスワイプするのももどかしく、知り合いの天文学者に次々とメッセージを送った。



「今すぐ空を見ろ!」




 同時刻、日本で同じ天体を観測した広田和夫は、大急ぎで国立天文台に連絡した。

 即座に複数の研究者やアマチュア天文家に情報共有が行われ、過去の全天撮影データとの照合が始まった。

 二時間半後には、複数の天文台で分光観測が始まり、この天体は”超新星である”と正式に認定された。



 しかし──



 この天体の明るさは、発見時に絶対等級-20だった。

 それ自体は、過去にも例はあったが──、異常なのは、そのあとだ。


 通常の超新星なら、数週間で暗くなるはずだった。

 なのに、減光が始まってから“数ヶ月”にわたって、肉眼でも見えるほどの明るさを保ち続けたのだ。

 金星に匹敵する-4等星の輝きが、夜空に“居座る”ように見える現象は、過去のどの超新星にも見られなかった。



「これはおかしい」

 世界中の天文学者たちが首をひねった。


 崩壊した恒星の残骸が、なぜこんなにも光を放ち続けるのか。

 放射性元素の崩壊が異常に遅い? それとも、未知のエネルギー源があるのだろうか。



 更に数ヶ月が過ぎると、新たな事実が報告された。


 この光点は動いている、と。



「そんなバカな」

 天文学者たちはざわめいた。


 超新星爆発で生じる残骸は膨張するが、こんな速度での変化はあり得ない。

 追加の観測が行われるたびに、奇妙な事実が積み重なっていく。



 やがて、世の天文学者たちは認めざるを得なくなった。


「まさか……、これは彗星なのか?」



 彗星とは、氷と塵の塊が太陽の熱で蒸発し、尾を引く天体だ。超新星のように自己発光する彗星など、前代未聞。まるで、銀河の彼方から飛んできた“何か”が、自分を見つけてくれとでも言わんばかりだ。


 もしかしたら、直径30kmを超える超巨大彗星かもしれない。

 そんなものが地球に近づいたら、どんな影響が起こるのか。



 そして、天文学者たちは言った。

 「地球に最も接近するのは、2020年12月頃だろう」


 ──と。




 当初、珍しい天体の発見に沸いていた世の中は、各地で天体観測会を催し、ちょっとしたお祭りのような雰囲気だった。テレビでは“史上最も明るい彗星”として特集が組まれ、SNSには観測スポットの情報が次々と投稿されていった。



 しかし……、マスコミは次第に報道のトーンを変え始めた。

 “この彗星は、地球に接近しすぎではないか”という見出しがニュース番組を飾るようになった。


 天文学者たちはメディアに呼び出され、連日コメントを求められた。

 ある学者は「まだ影響は判断できない」と言い、また別の学者は「最悪の場合、潮汐異常を引き起こす可能性がある」と警鐘を鳴らした。


 議論が分かれる中、世の中では“彗星の重力が地球の軌道に影響を与えるかもしれない”、あるいは“過去の隕石衝突と関連があるのでは”といった憶測が飛び交った。

 人々の間にじわじわと不安が広がっていった。


 いつの間にか、スーパーでは保存食や水が売り切れるようになった。

 “磁場の乱れで大停電が起こる”というフェイクニュースがSNSで拡散され、発電機やソーラーパネルが品薄になった。


 金融市場が不安定になり、一部の投資家は資産の整理を始めた。

 この事態を重く見た政府の強力な後押しがあり、市場は持ち直して大恐慌が起きる寸前で何とか踏みとどまった。



 つい数ヶ月前まで、誰もが夜空を見上げ、輝く彗星に夢中になっていた。

 しかし、人々の視線はもはや頭上の彗星ではなく、揺れ始めた自分たちの足元のほうへと向かっていた。



 その一方──



 彗星の正体をめぐる議論が長引いたため、この彗星の正式な命名は大幅に遅れた。

 発見から3年後、発見者二人の名前を取ってようやくヒロタ・ベーカー彗星と名付けられたが、その間に発見者の一人、ベーカー博士は交通事故により他界した。


 ベーカー博士は、事故現場から病院へ搬送されたときには、まだ意識があった。

 一報を聞いて集まった家族を前に、彼が呟いた最後の言葉は


 “私の彗星を見に行かなければ”


 ──だった。



 2015年9月、ベーカー博士の友人だった大手企業のCEOが、探査機を打ち上げて彗星に直接接触することは出来ないかと言いだした。

 そして……、可能であるなら博士の遺骨を彗星に届けてやりたいと。


 実際、ヨーロッパ宇宙機構では、2014年11月に短周期のチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に探査機ロゼッタを着陸させるプロジェクトが動いていた。

 それを踏まえれば、“ヒロタ・ベーカー彗星に、博士の遺骨を乗せるプロジェクト”は、決して荒唐無稽な話ではなく、十分実現可能な計画だと思われた。


 ベーカー博士は、いわゆる“研究室にこもりきりの科学者”のイメージとは真逆の人物だった。明るく社交的で人脈も広く、テレビ番組や講演会にもたびたび登壇していた。その人懐っこい笑顔を思い出した著名人たちが旗を振り、クラウドファンディングによってすぐに資金が集まった。


 各国の政府や科学者たちも、このプロジェクトに賛同した。

 太陽系に回帰しない巨大彗星に探査機を乗せることが出来れば、宇宙の進化の過程を知る上で、重要な手がかりを得ることが出来る。

 それに、もし万が一、彗星が地球に影響を及ぼす可能性があるのなら、早期に探査機を送っておくことは、地球防衛の観点からも十分に価値があると考えられた。


 こうして、世界中の人々が見守る中、彗星をめぐる一大プロジェクトが動き出した。




 彗星のもう一人の発見者、広田和夫は、山梨県の八ヶ岳にある自宅に巨大な天体観測ドームを作って天体観測に明け暮れる、キャリア60年のアマチュア天文家だ。


 市街地から離れた自宅の周囲に民家は一軒もない。近隣のスキー場へ向かう客を迎えるロッジが、ぽつりぽつりと建っているだけ。深夜ともなれば、星以外の光はほとんど目に入らない。


 そんな場所で、彼は、今の時代にそぐわない隠者のような生活をしていた。


 こうなる以前は、彼にも家族がいた。

 だが、彼は仕事のストレスで常に苛立ち、やがて家族との生活を煩わしく感じるようになった。

 彼が星以外に関心を示さなくなると、妻は子どもを連れて出ていった。



 一人きりの生活。

 この暮らしを選んだのは、広田自身だ。


 今さら顔を出す資格はないと思い、娘の結婚式にも出なかった。

 それなのに、時折娘から届くメールには、すくすく育つ孫の写真が添えられている。


 まるで、曇り空の合間から、ふいに顔をのぞかせる流れ星のようだ。

 広田は、そう思った。


 遠く離れているけれど、どこかに自分のことを思い出してくれる存在がいる。

 それだけで、彼の孤独な心に一瞬だけ明かりが差す。



 写真や動画がSNSで簡単に送れる時代だが、それを受け取った相手がどう反応するかが気になるのも人情というもの。反応がなくても、既読が付けばメッセージを読んだことが伝わる。


 だが、広田と娘は、そういう気安さを交わせる仲ではない。

 娘は、ただメールを送ってくるだけ。広田が、それに対して返事をしてもしなくても気にしない。


 自分の家族とは、そのくらいのつながりで丁度いい。

 彼はそう思っていた。



 家族が去ったあと、広田はますます天体観測に没頭するようになった。

 それは逃避だったのか、あるいは残された唯一の情熱だったのか、彼自身にもわからなかった。



 そうしてのめり込んだ天体観測だったが。



 今までに、何度か超新星や小惑星を発見した実績はあるものの、彗星には縁がなく、数回巡ってきた彗星発見のチャンスにも、タッチの差で発見者に名を連ねることが出来なかった。


 今回、ようやく彗星に自分の名前を付けるという長年の夢を果たした広田は、彗星が地球に最接近する2020年には84歳になる。

 永遠とも思える星の営みに比べれば、数年の待ち時間など星が瞬く程度に過ぎない。


 だが、還暦を過ぎてから病気で入退院を繰り返している彼の健康状態は、決して良好とはいえなかった。



 人生は永遠に続くわけではない。


 ベーカー博士の訃報は、広田にとって他人事ではなかった。



 世間では、彗星に関して不穏な空気が流れている。

 それでも、自分の名が付いた彗星が美しくたなびく姿を、生きている間にこの目で見届けたい。



 せめて、一目だけでも──



 ただその思いだけを、広田は星に願った。

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