たった四文字の愛を君に
皆さまどうも。一次創作「海へ (仮)」の連載スピードがおそらくニシオンデンザメ並みに遅くなると思うので、少し前に書いた短編を置いておきます。あらすじにも書きましたが、作者のLINEVOOMで身内限定公開しているものなので、もしかすると読んだことがある方がいらっしゃるかもしれません。
登場人物
・夏目 涼
本好き根暗ド陰キャ。引っ込み思案で気が弱く、人と深くかかわることを恐れている。
・冬崎 奏
物静かな読書少年。クラスでは目立つタイプではなく、ひっそりと生きている。
「好きだよ」の四文字に、その少女はどれだけ救われただろうか。
別に、夢だとか妄想だとか、そんな風に思っていたわけではないけれど、やっぱりまだ現実らしさを感じられない。付き合って一年、高校二年生の夏。今年の夏ももう終わる。
少女「夏目 涼」は、冷房の効いた図書室で放課後を過ごしていた。図書室や図書館は物心ついたころから好きだった。昼休みや放課後は図書室で過ごすことが多い。読書という現実逃避の方法があるおかげで、涼は今日もなんとか学校で生きていけた。人間関係を構築するのがとてつもなく苦手な涼は、まわりと必要最低限の関わりしか持ってこなかった。高校一年の、あの夏までは。
それは七月十日のことだった。今でも鮮明に覚えている。小、中学校と同じく、友達はおろか、少し話す程度の知り合いすらまともにできなかった涼は、図書室に籠りきりになっていた。静寂をそのまま表したかのようなその環境は涼にとって決して嫌なものではなくて、むしろ心地の良いものだった。そんな涼の聖域ともいえるその日の図書室には、涼と同じような常連客がいた。名前は確か、「冬崎 奏」、だったか。涼のクラスメイトの、眼鏡をかけた、年にしては小柄な少年だ。身長は涼と同じか、少し高いくらいか。同じ図書室の常連だからといって、会話をするわけでも、目が合うわけでもない。話したことすらない。けれど、涼は視界の端でなんとなく彼を追っていた。
きっかけは、涼が新しい本を取ろうとしたときのことだった。涼が立っていた脚立が倒れたのだ。たまたま近くに居た奏が涼を受け止めようとしたが、奏の筋肉の「き」の字もない腕と体では涼を支えきれず、どさり、と二人諸共倒れこんでしまった。涼が奏を押し倒すような形になり、両者はともにフリーズした。それから数十秒後、ようやく奏の脳が動き出す。
「……あの」
奏が声をかけると涼も我に返ったようで、ものすごい勢いで後ろに飛びのいた。
「へ、は、あ、っ、ご、ご、ごごめん、なさい、わたしっ、の、ふ、ふ、不注意で……」
同年代の人間と話すのがあまりに久しぶりで、声は裏返り、滑舌は死んでいる。涼はこの数秒でかなり死にたいと願った。
「いえ……。僕のほうこそ、受け止めきれず、すみません。あいにく、こんなひ弱な身体なもので。怪我とか、してないですか?」
「ぇ、う、は、はい。だ、大丈夫です」
差し伸べられた手を取ると、自分の手とは違う仄かな温かみに、涼の涙腺が熱を持った。こんなに、にんげんって、あたたかいっけ。こんなに、やさしいおんどだったっけ。
「ぅ、く、っ……」
優しい温かみに何故だかほっとしてしまい、じわりと視界がぼやけた。初めて話した人の前で泣くなんて、きっと引かれてしまうことだろう。「やばいやつ」だと思われるだろう。普段はそんなこと気にも留めないのに、何故だか今日は、視界が滲んでやまなかった。奏がどんな顔をしているのか見るのが怖くて、ぎゅっと瞳を閉じた拍子に、ぽろり、ぽろり、と雫が零れ落ちる。嗚咽が静かな図書室に響く。
不意に、温かい何かが涼の瞼に触れた。奏の華奢な指で、自分の涙が掬われていることに気が付いた涼は、掠れた声でごめんなさいと言おうとした。言おうとしてはみたが、声にはならなかった。奏は涼が泣きじゃくっている間、何も言わずに、時折涙を掬いながら、ただただ、涼の側にいた。
涙が枯れた後、涼を襲ったのは羞恥心だった。今日初めて話した男の子の前で大泣きしてしまうなんて、なんて子供らしいのだろう。子供どころか、これではまるで幼児。消え入りそうな声でごめんなさい、と謝罪を述べる。すると、奏からは予想外の返しが返ってきた。
「話してみませんか」
「……え」
「辛いことがあったのなら、僕に話してみませんか。辛いことって、人に話すと少し楽になるそうですよ」
涼はその言葉に、話していいものか少し迷いこそしたが、ゆっくり、ぽつり、ぽつり、と話し始めた。彼女の物語を。人とかかわるのが苦手な、彼女のこれまでの物語を。ただ聞いてほしかった。自分がいけないんだと自己否定を繰り返しながら、心のどこかで、そんなことはない、君は悪くない、と否定してほしかったから。誰か一人でいい、話し相手がほしかったから。
すべてを語り終えたとき、奏はこう言った。
「それなら、僕があなたの話し相手になりましょう」
それからというもの、二人は放課後の誰もいない図書室で、他愛もない話をするようになった。趣味や好きなもの、嫌いなもの、今日の授業の話。時には一緒に宿題をしたりもした。涼は、この時間が好きだった。毎日数時間の逢瀬が、ずっと続いてほしかった。奏もまた、この時間が好きだった。いつしかそれは、二人に淡い感情を抱かせていった。
そのうち、お互い敬語を使わなくなり、二人は「奏くん」、「涼」と呼び合うようになった。学校行事でもともに過ごすようなったが、クラスや学年のカップルなどのように噂されたりはしない。誰も、二人のことを気に留めもしないのだから。
夏休み前のある日、奏は涼に、想いを伝えた。
「君と一緒にいることが心地いい。いつまでも君と支えあっていたい。ずっと一緒に生きていたい」
と、プロポーズまがいなことを、らしくもない真っ赤な顔で口にしながら、奏は、最終的に「付き合ってほしい」旨を伝えた。涼は戸惑った。わたしみたいな人間が、人並みの幸せを手に入れていいのかと。こんな根暗ド陰キャが相手でいいのかと。それらを伝えても、奏の意思は変わらなかった。むしろ想いは強くなる一方だった。最後には涼も告白を受け入れ、二人は恋人となった。
恋人になって、何が変わったかといわれれば、ほとんど何も変わっていない。強いていうなら、休みの日に市の図書館に二人で出かけるようになったこと、毎日別れ際に必ず耳元で「好きだよ」とささやかれること。あとは、特に変わっていない。他愛もない話をして、一緒に本を読んで。そんなお付き合いだ。
それからだいたい一年。二人は高校二年生になった。二年生でも、同じクラス。相変わらず、二人はクラスでいないものとされるくらいの薄い存在感だった。けれど、それでよかった。誰にも知られないまま、二人だけの時間を過ごしていた。それはずっとずっと、続いていった。
涼は未だ信じられないでいる。こんなに優しくて素敵な人が、自分の恋人だということが。どうして自分なんかと一緒にいてくれるのだろう。そういう迷いを感じるたび、奏はそれを感じ取って涼に言う。
「涼、君だからいいんだよ。むしろ、こんな冴えない僕と一緒にいてくれてありがとう。涼さえよければ、これからも一緒にいてほしい」
そしてやっぱり、耳元で小さな囁きを一つ。
「涼、好きだよ」
陰キャ同士リア充はいいぞ。推せる。