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冒険令嬢は、首なし鮮血公爵に溺愛される(前日譚)

作者: 和泉鷹央

「聞いて欲しい。イズマイア嬢。婚約破棄をされるということはなにも、傷物になるというわけではないのだ」

「はい?」


 先ほど公衆の面前で殿下による婚約破棄をされた 私をなだめすがめるようにして、エンバス先生はそう言った。


「納得はできないかもしれない。 でも考えてみてほしい。貴族社会における婚約というものは 家同士のつながりを強めるために存在する。 そこに個人の意志は介在しない。違うかい?」

「いえ、それはどうでしょう‥‥‥ 両親によるかと思います」


 私はある事例を知っている。

 姉のマリアンヌだ。

 4歳年上の姉は、2年前に嫁に行った。

 相手は伯爵家で広大な荘園を所有する領主でもある。


 私は今でこそ実家を離れ学院の寮に入っている身だが、生まれは帝国の独立領であるアルスタイン伯国の第二王女だ。

 政治的な意味合いも含めて、父親は姉の結婚に心を砕いていた。


 荘園の一部を割譲され相続した今では義兄に当たるロキシオ伯爵エルウィンは、姉のマリアンヌとこの学院で同級生となり数年間交流を深めることで、愛を築いたと言ってもいい。

 二人の幸せな結婚生活は、私の憧れだった。


「君は 例外を知っているということか?」

「例外かどうかは分かりませんが、姉は恋人と結婚しました。両家の父親たちが何を望むかにもよると思います」

「ふむ」


 黒髪に白髪の混じった50代の教師は、顎髭を撫でながらそんなこともあるのか、とつぶやいた。

 彼はさらに数度、顎髭を撫でながら、そんなに広くない私たちに与えられた個室の床を、革靴でカツカツと鳴らしながら神経質に歩き回る。

 どうやら私の処遇について悩んでいるらしかった。


「ここだけの話だが、ナスル殿下のなされたことについては、個人的に遺憾に思う」

「先生のお気持ちを知れて嬉しいです」

「しかし、君の味方であることは極めてむずかしい。それは学院を含めてだ」

「相手がこの国の第4皇子だから、という理由ですね」


 その通りだ、と先生はうなづく。

 学院は帝立だ。つまり、皇帝家の所有物といってもいい。

 皇族だから好き勝手してもまかり通る、というわけでもないが治外法権は存在する。

 学院には学院の法律が確立されていて、外部の権力が介入することはなかなかに難しい。


「君はアルスタイン伯国の王女でもある。属州とはいえ、ある意味で独立国家の王族に対し、宗主国の皇族が非礼を働いたことは、誰しもが好い顔をしないだろう。伯国の出身者ならなおさらだ」

「……伯国と魔王領は地続きですが、父がこれを機に帝国に叛旗をひるがえるようなことは決してありません」

「いや、そうではない。この帝都リドリスにいる労働者の多くが、隣接している伯国の領民であることを、わたしたちは危惧している」

「ああ、なるほど」


 先生の考えている不安の原因がようやく理解できた。

 帝都リドリスは大陸交通の要衝にある。

 東には魔王領があり、西には獣人の王国バルバッコアが勢力を保っている。


 魔王国グレイスケーフとは大アーネッシュ山脈を隔てて近接しており、我が国はいつも帝国と魔王国のはざまで、大陸の弾薬庫として騒乱の歴史にさらされてきた。

 リドリス帝国に故郷が帰属したのは、半世紀前のこと。


 地下に広大なダンジョンを持つ我が国は、魔王国だけでなく地下から現れてくる魔獣にいつも悩まされていた。

 列強諸国との交渉もなかなかうまく進まず、故郷の土地は荒れ放題だった。


 そんな中、六大陸に支部を持つ総合ギルドの仲介により、東大陸エベルングの第二支局として伯国に総合ギルドの支店が置かれ、伯国は帝国の属領となった。


 我が国の主要産業は地下のダンジョンに埋蔵されている貴金属の鉱脈であったり、魔石の採掘であったり、魔獣討伐であったりする。


 もちろんダンジョン攻略も、冒険者産業という1つの経済の柱として成り立っている。

 そこでおじい様が考案したのが、総合ギルド第2支部に所属する人間は、公的な立場として伯国の国籍を与える、というものだった。


 冒険者という職業はとても不安定で、公務員のように生涯を通じて収入が安定することがない。

 国籍を与えたことにより国の産業として、また身分の安定しない彼らを雇用することにより、国内に吹き荒れていた治安の悪さを一気に払拭しようとしたのだ。


 この政策は効果を奏し、半世紀たった今、伯国は帝国領のなかでも、一、二を争う経済国家となっている。


「伯国の領民はその全てがダンジョンに潜っているわけではない」


 困ったように先生はくぐもった声を出した。

 そうだ。国民たちは常にダンジョンを目指すわけにはいかない。


 ダンジョンには別世界がある。

 地下にもう一つの地上があると言ってもいい。

 でもそこはあまり開拓がなされていない場所でもある。

 魔獣が闊歩し、平穏というものが訪れるにはなかなか難しい場所だ。


 半世紀で地下35階層までが開拓されているが、人が安心して住めるのは地表から数えて地下10階層まで。

 1つの階層にある土地は、大陸ほど広いところもあれば、島程度のところもある。


 繁栄する場所では人も増えるし移民だってやってくる。

 彼らのすべてを受け入れることができるほど、故郷は広くない。

 また定住できない最大の理由が、伯国は北国であるというところにある。


 冬の季節、厳しい極寒の中で住民は2択を迫られる。

 すなわち常夏のダンジョンに潜り危険と隣り合わせで生活をするか。

 伯国より比較的温暖な土地である、近くの都会。


 帝都リドリスで冬を過ごすか。

 今はちょうど真冬で、故郷の国民の多くは帝都に戻っている時期だった。


「みんな、賢い者たちです。帝国に対して問題行動を起こすような人間はいないと思います」

「ダンジョンに潜って魔獣を狩るような連中だ。冒険者とは言ってしまえば、雇われない兵士だ。そんな人間たちが身を寄り添うようにして、この帝都にやってきている。自分たちの国のお姫様が侮辱されたと知れば、彼らの怒りは凄まじいものになるだろう」

「先生。おっしゃりたいことは分かります。私から国民たちを煽るようなことはしたくありません。いいえ、そのようなことはいたしません。ここで誓ってもいい」

「君が誓いを立ててくれたとしても、周りがそうするとは限らない。それに君は今、学院の寮生だ。国民たちと直接触れ合うことはなかなか難しいと思うがな?」


 それもその通りだ。

 私から我が国の国民に対して、何かを指示することは難しいだろう。

 噂が広まるのはその限りではない。

 どこのどんなモノを介して、人々がこの事件を耳にするかは分からないのだ。


「人の口に戸を立てるのは難しいと申します」

「分かってくれているならありがたい。そこでだ我々は速やかに穏便に事を片付けたいと考えている」


 我々、ときた。

 これは困ったことになった。

 どうやら学院は生徒である私よりも、所有者である皇帝の顔を立てることに傾いてる。


 △


 事件。

 ‥‥‥と、言っていいのかどうか悩ましいところだけれど。

 私がいわれもなき誹謗中傷にさらされたのは、今から4時間ほど前の正午のこと。

 事件は学院に併設されている昼食時のレストランで、起こった。


「アルスタイン伯爵令嬢イズマイア! お前を婚約破棄する!」


 混雑時の食堂代わりとなっているレストランで、出会い頭にそう言ったのはナスル殿下だった。

 帝国の第4皇子。

 金髪碧眼のイケメン。

 長身で、全身を鍛え上げている騎士の卵であり、どんな生徒からも慕われる爽やかな風貌は、上級生下級生を問わず女子の憧れの的だ。


 帝室と伯国の取り決めにより、12歳で学院に入学した時から私たちは婚約者となった。

 それから4年。

 16歳になったいま、愛のない発言はどこまでも痛々しい。


「ご機嫌麗しく、殿下。夏休みに旅行に行って以来、三ヵ月ぶりですね‥‥‥」

「そ、そんなに時間が空いていたか」

「ええ、イズマイアは寂しゅうございました」


 スカートの裾をつまんで略式ながらも淑女の礼をする。

 私たちの周囲にいた令嬢たちも同様に。

 令息たちは胸に手を当て、片膝を引いて腰を折る。


 その場にいた一同が、彼に対して一斉に身を屈めていた。

 学院の制服は膝丈の黒のワンピースだから、夜会の時に着るドレスと違い今一つ様にやらないと我ながら思う。


「お前の気持ちなどどうでもいい」

「だって私たちは婚約者じゃありませんか」


 姿勢を戻すと、彼に歩み寄り、私は手を差し出した。

 曲がりなりにも私は他国の王族なのだ。

 求められれば、皇族といえども礼をしなかければならない。

 ナスルは嫌そうに頬を歪めながら、私の手の甲に軽くキスをした。


「その婚約を破棄したいと今この場で申し入れている。受けてもらわなければ困るな」

「殿下‥‥‥そちらの令嬢と、なにか関連がございますか?」


 家同士の取り決めに、当人同士で?

 しかも女の身分である私が、はいそうだですか、分かりました。なんて返事ができるはずがない。

 承諾を避け、愚鈍な失策であるこの提案を申し出た原因は何かと私は、周囲を見渡した。


 すると目に入ったのは、1学年年下の聖女様。

 帝国には全部で8人の聖女がいる。


 それぞれに信奉する神が異なり、彼女は水の精霊女王アリア様の神殿から学びの園に転入してきた、精霊の愛し仔。

 聖女エリオ。


 水の聖女に相応しい黒髪は深く黒よりも青に見える。

 深い湖の底のような碧の瞳は、どこまでも美しく見る者を無意識に引き付けてしまう。

 身長は140cmほどしかなく、小柄で、女子の中では比較的身長の高い165cmの私と並ぶのを嫌がっていた。


 聖女なのに泣き虫で小心者で臆病でいたいけな美少女。

 男女問わず彼女は庇護欲をそそり、誰からも愛される存在。

 会話の水をそちらに向けると、殿下は嫌そうな顔をした。

 生ゴミを見るような目で、私を睨みつけてくる。


「俺は知らなかったが、君と離れていたこの数ヶ月で、見るべきものが見えていなかったとよくわかった」

「それはつまりどういう意味でしょうか」

「イズマイア! お前、伯国の王族だという身分をかさに着てエリオ嬢を‥‥‥っ。いじめ抜いていただろう!」

「それは事実無根です!」


 いじめ?

 彼女が転入してきてから約1年間、私たちの間に会話らしい会話は何一つない。

 身に覚えがない発言に、思わず拒絶がほとばしる。


「往生際の悪いやつだな‥‥‥。お前が彼女をいじめ抜いてきたことは調べがついている。この1年の間、友人たちを使ったり、使用人に命令をしたり、教師には賄賂を送ってエリオの成績を改ざんしたりとやりたい放題じゃないか。さすが野蛮な国の王族は違うな!」

「……」


 ショックだった。

 学院に入学してから数年間というもの、殿下と顔を合わさない日はほとんどなく、ここ数ヶ月の間、同級生ということもあり毎日どこかしこで姿を見かけることはあっても、以前のように親しく話しかけられることもなく、その理由を問いただすこともなんだか怖くて、いつしか彼は忙しいから今は自分の相手をするのが無理なんだと、自分自身に言い聞かせるようになっていたからだ。


「今度は言い返す言葉もないのか? 先ほどの否定は虚実だったと認めることになるな?」

「いえ、いいえ。違う、違います‥‥‥そんなこと! 神に誓って私は誰に対しても謀略など企てたことはありません‥‥‥」


 言葉が途切れ途切れになって口の端から漏れ出ていく。

 力のないそれは誰も説得することができない。


 周囲にはいつしか大勢の生徒が集まっていて、私たちの成り行きを見守っている。

 野次馬たちがありもしないことをひそひそと言葉にしていた。


「あの方がそんなことをなさるなんて」

「いやーまさかな。だがあの冒険者の国の姫君だ。ありえない話じゃない」

「夏頃からお二人の関係がなんだか怪しいと思っていたけれど」

「やっぱり破局なのかな?」


 みんなの声が聞こえる。

 耳朶を打つ。

 ありもしない虚言に踊らされて、入学以来、私が必死で守り抜いてきた伯国のプライドがズタズタに引き裂かれていくのを見ると、目頭がツンと熱くなった。


「でも知ってた? イズマイア様が聖女様をいじめてたなんて初めて聞いたんだけど」


 誰かが言ったその一言が、はっと私を正気に戻らせる。

 そうだ。


 そんな事実はない。

 そんな憶測がどこから生まれてきたのか、確認しなければならない。

 このままでは――罪人に落とされてしまう。


「殿下に申し上げます!」

「発言を制限した覚えはない。言いたいことがあるならはっきりと口にすればいい。今のままでは、君は罪人だ」

「そのことについて申し上げたいことがございます。私は身に覚えがありません。先ほど口にされた罪状の数々が、紛れもない事実であるということを証明していただきたいと思います」

「事実の証明か」


 ふと、彼は顎に手をやって何かを考え込む。

 数秒経ってから、思いついたように顔をあげた。


「俺は皇族だ。その発言が全てだよ」

「な‥‥‥っ」

「この国の頂点にして、帝国の全てを統べる者。その一族の端くれに連なる俺が発言をしているのだから。それは事実に他ならない」

「――っ??」


 ここは帝室の管理する学院だ。

 帝国の法は適用されず、学院独自の法律がある。

 いわば治外法権。


 どんなものであっても、皇族の誰かが白であると言えば、黒に乗り換えられてしまう社会。

 理不尽だ。

 もしここから無事に抜け出すことができて、故郷に戻ることができたなら。


 私はこんな理不尽を絶対に許さない。

 そんな社会を作ろうと思ったほど、理不尽な発言だった。


「例えば、君は王族だが。彼女は神に選ばれた聖女だ。地上における神の代理人が嘘を言うはずがない。それはある意味で、俺の発言よりも重たい真実だ」

「嘘、でしょ‥‥‥そんなの」


 手元がブルブルと震えた。

 知らぬ間にスカートの裾をきつくつかんでいた。

 左手にある窓ガラスに映る自分が目に入った。


 眉毛をきつく寄せ、お父様譲りの切れ長の目は、高くつり上がって、いてまるで魔女のよう。

 これほどの侮辱を受けて、我慢できるはずがない。


 身分や立場を抜きにしても、人としての尊厳を踏みにじられて黙っていられるはずがない。

 伯国人の象徴である腰まである黒髪が、なんとなくうねっているのがわかった。


 怒りがあまりにも激しくなると、髪が浮き上がるというのは本当らしい。

 自分で気に入っている鳶色の瞳には、絶対に負けを認めないという強い意志が感じられた。

 私は、無意識のうちに腹を立てているのだ。


「先ほど列挙した事実は綿密な調査によって裏取りの取れているものばかりだよ、イズマイア。エリオが入学してきた翌日から君のいじめは始まった」

「そんなこと――ない!」

「いいや事実だ。全ての生徒は寮に入っている。寮から学院への移動は外履きだが、学院内は土足が厳禁なのは承知しているだろう。誰もが玄関脇の靴箱で上履きに履き替えなければならない。君は下級生に指示をして、エリオの上履きを食堂裏にある生ゴミ置き場へと放り込んだ」

「そうです! 幸いなことにそれは私の浄化魔法により、改めて使うことができるようになりました」


 と、ここで初めて、エリオが口を挟んだ。

 当時のことを思い出したのか、全身で悲しみを表現しながら、碧眼の両目にいっぱいの涙をためて、私を告発する。


 今彼女が履いている上履きは、発言通り浄化魔法の効果が奏したのか、汚れ一つ見当たらなかった。


「その下級生たちは夏休みが終わったあと、新学期が始まった時点で退学を言い渡している。他の事案に関わった者たちも全て学院から追放した。君という巨悪へと迫るまで随分と時間がかかってしまったよ」

「この、二ヶ月をあなたはそんなことに費やしてきたというの? 6月から8月までの夏休みを、私たちは一つの部で暮らしたのよ!」


 えええっ、と食堂全体にどよめきが走った。

 しまった。これは表に出してはいけない秘密だった。

 私と彼とは‥‥‥その――あれ、だ。


 結婚するまで許してはいけない貞淑を、私はすでに彼に捧げたのだった。

 夏は人を浮かれさせる。

 一夜を共にした後、数日間はそのことを激しく後悔したが、それでも彼の優しさは何一つ変わらなかった。

 そのはずなのに。


「旅行には行ったが、一つ屋根の下という表現は迷惑だな、イズマイア。厳格で知られる我が家のルールを君は知らないとでも? 私は貞節を守り、君だけを愛してきた。結婚するまで一線を踏み越えたことはないよ」

「あ、あなた――そんな言い逃れが通用するとでも‥‥‥!」

「証拠は、ないだろう?」


 ナスルは平然としてそう言い放った。

 自分はまだ清い身だ、と強く押し出して、周囲もその態度の強さから納得をしたように静まり返る。

 さすが、皇族だ。

 自分の政治的生命を守るためなら、どんな嘘でも平然と押し通してしまう。


 感心してしまうほどに、彼は天性の嘘つき。

 忘れていた。

 特権階級の頂点にある家系は、再考の詐欺師の家系だということを。


「私には――」

「やめたまえ、イズマイア。伯国の威信にかかわる」


 家名が汚れる。

 貴族にとって名誉はなにに変えても、重んじられるもの。

 私の発言は、一国の王家を滅ぼしかねない。

 そんな危険を孕んでいる。


「っ‥‥‥。卑怯です!」

「卑怯のそしりを受けた覚えはない。君が虚言を連発しているだけだ。俺は事実を告発している。悪を糾弾して何が悪い」

「一体何が! 何があなたをそこまでさせるのですか、殿下!」

「帝国にとってより良いものを選ぶだけだ」


 つまり、私よりも聖女様を取ることにより、帝国は裏で神殿と強く結びつくことができる。

 冒険者産業で潤う我が国を、帝国が苦々しく思っていることは以前から知っていた。


 独立領の地下にあるものを、直轄地として経営しようという動きがあることも。

 でもそれは阻まれてきた。

 世界中に支部を持つ総合ギルドという後ろ盾があってこその、我が伯国。


 精霊王の神殿と手を組むことでそれを覆そうとしている。

 大きな大きな力が裏で糸を引いて蠢いているのかわかった。

 これは、私だけの力ではどうしようもない――。


「誰か、誰か助けて‥‥‥」


 自力で名誉回復することは難しいと気づいた結果、私は周囲に佇む帝国内の有力貴族の子弟子女へと、目を向けていた。

 帝国に伯国とおなじ扱いを受ける独立領は12州ある。


 そのうちの、6州の伯国の関係者が、学院にいることを見越しての、願い建てだった。

 一人また一人と、有力な貴族の関係者が目をそらす。

 根回しは万全だと、殿下は鼻を鳴らして、余裕をかましていた。


「僕はこのやり方が正しくないと思うな」

「リアルフレイ‥‥‥。大公家の御曹司が何の用だ」

「ナスル、君らしくないよ。こんな場所で、愛する婚約者を糾弾するなんて。賢い君のやり方とは思えない」


 名乗り出たのは、王位継承権を持つ現皇帝の弟を父にもつ、リアルフレイ大公家の公子、アッサムだった。

 私とナスルと、アッサム。

 同じ学年で、同じ学舎で入学当初から机を並べ互いに研鑽を磨いてきた、学友の一人。


 彼が一歩踏み出したことで、周囲の流れが変わった。


「私もこのやり方は好きではありませんわ」

「俺も正しくないと思うねー」

「他家の伯国とはいえ、親戚を侮辱されることは、我が家にとっても同様ですよ」


 3人の男女が、同じく歩み出る。

 それぞれ、属州の王家に縁を持つ、王族関係者だった。


「あなたたち!」


 思わず淡い期待がこもる。

 彼らの友情に熱い物を感じてしまった。


「……この場は皇帝家が裁定を下す場だ。無関係の王家は黙っていてもらおうか。リアルフレイ大公家も同じく」

「いやーでもね。家柄どうこうという前に友達を傷つけられたら黙ってられないでしょ?」

「傷つけられたのは、俺じゃない。皇帝家の名誉と精霊王様の面子だ」


 ナスルがそう言い、聖女エリオの細腰をぎゅっと抱き寄せる。

 皇帝家の名誉と神の御名のもとに、発足した友情同盟はあっさりと瓦解した。


「なるほどね。皇帝陛下の名誉がかかっているという話なら、僕たちにできることは何もないね」

「え、リアルフレイ? どういうこと?」


 思わず非難の声が喉をつく。

 つい今しがた、見過ごすわけには行かないと名乗り出てくれたはずなのに。

 すんなりと引くのはどういうこと?


「すまない、イズマイア。君には気の毒だけど、僕たちはみんな帝国の臣民なんだ。皇帝陛下の名誉を出されたら、これ以上強くは出れないよ」

「そんな!」


 まるで示し合わせたかのよう。

 私を陥れるべく、事前に打ち合わせをして、助けたと見せかけそれ以上の権力を持ち出して黙らせる。


 そうすれば、彼らはよく言う騎士道に基づいて乙女を助けようとしたが、主君への義理を通さざるを得なくなり、やむなく引いたことになる。


 私以外の四方八方が丸く収まるやり口。

 自分の愚かさを呪った。


 こんなことがたった数ヶ月で成立するはずがない。

 殿下は、周辺諸国は、その関係者たちは‥‥‥何年もかけて、この舞台を築き上げたんだ。


 そう悟ったら、いまここで足掻くのは悪手に感じた。

 損失を最大限に納め撤退しよう。

 冒険者ならそうする。


「わかり――ました‥‥‥」

「ほう? 何がわかったと言うんだい、イズマイア? 自分の罪を認めるとでも?」

「いいえ。私はなにひとつ、罪を犯していません。でもあなたが、あなたが皇帝陛下に代わって婚約破棄を命ずると言うなら、預かることにいたします。返事は我が父王より、皇帝陛下に直接、申し出ることになるでしょうから」


 用意周到に張り巡らされた罠から抜け出さなくてはならない。

 一言一句を間違えたら、この場で処刑されかねないこの状況で。

 一番利用しやすくて、一番効率的な返事がそれだった。


 でもこれだけじゃ足りない。

 家を代表して返事をしろと言われたらそれで即終わる。


「いやちょっと待て――」

「リアルフレイ!」

「え、僕?」


 とっくの昔にかやの外に出ていたと思ったのだろう。

 名前を呼ばれ、幼馴染はきょとんとした顔をした。


「アルスタイン伯国の第二王女イズマイアの名において、伯国は大公家にこの場の一時的に判断を預けます」

「あ、えっと。それは困るんだけど‥‥‥」


 どうする? と公子は殿下を斜めに見る。

 家同士の話だというならば、ここは公平な裁定人を設けるのが、筋だというものだ。

 王家と皇帝家の話し合いに釣り合うのは、いまこの場で大公家のみ。


「くそっ。どうしてそんなこと思いつくんだよ‥‥‥」


 これは予想外だったのか、ナスルは意表を突かれた顔をして、片手で髪をぐしゃり、とやった。

 一方的な糾弾は、この場において最大の悪手だと彼もようやく気付いたらしい。


 皇帝陛下の名を出せば、ありとあらゆるものが自らの意思に従うことがないと、理解した瞬間のようだった。


「仕方ないね。裁定人を求められたんじゃ、我が家としては名誉だ。この名誉をを放棄することができないよ、殿下」

「勝手にしろ! お前との婚約をこの場で破棄した! その事実は変わらない」


 罪を糾弾し清算を迫ることはしないのね?

 悪辣なやり方にそんな嫌味をぶつけてやりたくなる。

 でもここは黙ることが正しい。


「じゃあそういうことだから‥‥‥。とりあえず、我が家としてはどうしようか」


 と、リアルフレイは心底困ったように私を眺めていた。


「学院内の揉め事は、本来であれば、学院の査察部が判断を下すはず。よね、リアルフレイ」

「……それが正しいやり方だね。認めたくないけれど、ここは君が正しい」

「感謝します。認めてくれなくても、あなたが引き受けてくれたことで、我が家の名誉は一時的に守られましたから」


 捨て台詞を残し、聖女エリオの手を握って人混みを分け、殿下は去ってしまった。

 後に残されたのは、私と裁定人を引き受けた公子と、根回しを全くされていなかった下級貴族の友人たち。


 その他の生徒たちは、トラブルに足を突っ込みたくなかったのか。

 我関せずという顔して、食事をしに散ってしまう。

 騒ぎを聞きつけた学院の教師たちが駆けつけたのは、このすぐ後のことだった。


 △

 

 そして教師たちの手により私は別室へと案内され、査察部に籍を置くエンバス先生と二人で、今後について話し合うことになったのだった。


「私はあくまでこれは私個人の意見だが」

「はい、先生」

「君は今夜のうちに学院を去るべきだ」

「リアルフレイ大公家に裁定を依頼しました。それを受けることなく去ることは、私に向けられた疑いを認めることになってしまいます」

「それは君個人に向けられたものだ。伯国そのものの評判を落としかねない問題ではあるが、すぐにどうこうなるということでもない。国元に戻り、代理人を立てて裁判を起こすことが賢いのではないかと、私は思う。よくも悪くもこの学院は、皇帝陛下の預かり物だからだ」


 その言葉は純粋に、一教師が心配し、一生徒への思いやりとして話しているように聞こえた。

 そうでなければ私はこれまでになく反発していただろう。

 もしかしたらナスルと同程度に酷い言葉で、先生を罵ったかもしれない。

 そうならなくてよかったと思う。


「逃げろと‥‥‥おっしゃいますか」

「逃げろとは言わない。だが死に急ぐことはない。公衆の面前であれだけやってしまったのだから、帝室侮辱罪を適用されてもおかしくない。そうなれば待っているのは死のみ」


 果たしてそれが君の望むことかね? とエンバス先生はおっしゃった。

 私の望みはなんだろう。

 生き残ること? 名誉回復すること? それとも――?


 考えたらじんわりと目頭が熱くなる。

 ずっとため込んできたものが、涙の形をなしてポロポロと頬をつたい床に落ちていく。


「……悔しい、です。愛していると思った! 大好きだったのに‥‥‥利用、され、て!」

「君の3倍以上生きている経験から言えることはただ一つ。生き残っていれば必ず、正義をなす時が来る」


 だから今は生き残りなさいと、先生はおっしゃった。

 逃げなさいと。

 この寮から今すぐにでも立ち去るべきだと。


 でもどうすればいいのだろう。

 生まれてこの方、誰かの助けを借りてしか、私は旅をしたことがない。

 冒険者の国の王女なのに、冒険をしたこともなければ、王宮から出たことすらない。


 魔法と剣技と武闘と政治学と、淑女のたしなみは習ってきたし、一通り基礎となるものは身につけたつもりだけれど、果たしてそれが窮地を救ってくれるかどうかは怪しいものだ。


「帝都から母国まで馬車でも二ヵ月はかかる距離です。生きてたどり着けるかどうかも怪しい‥‥‥わかりません」


 生き方が分かりません。

 窮してそう叫んだ。

 先生は「考えがある」と一言そういうと、学院の地下へと私を案内した。


 そこに何があるかは学院の生徒なら誰でも知っている。

 世界各国にある門と通じる転移門の出入口だ。

 門さえ設置されていれば、任意の場所に行くことができる。


 夏休み、殿下とともに帝国の辺境にある避暑地へと赴いたのも、思えばこの門からだった。


「本来なら上級職員の使用許可が必要なのだが‥‥‥。査察部の職員には緊急時につき移動の自由が認められていてね」

「つまり今がその――」

「1人の生徒が命を奪われようとしている。まさしく緊急時だろう? 違うかね?」

「でも――。使用したことがもしバレたら、その時は先生が!」

「教師は学院に雇われているがあくまで雇用されているだけでその身分は帝国の法律によって守られている。いかに皇帝陛下といえど、我々、公務員を私的に裁くことはできないよ」

「……」


 思いっきりの良さに絶句した。

 彼の恩情を無下にして、意地を張り、ここに残ることもできた。


 でもそれは何かが違う。

 貴族の娘としてならば正しい行動はここに残ることだ。


 命をかけてでも己の本懐を貫くことだろう。

 私は間違っていない。犯罪などを犯していない。それを立証するまでたとえ投獄されたとしても、無実を訴え続けることが、正しい行動なのだと。


 本当は理解している。

 だけど逃げろと言われれば、その道を選んでしまうほどに、私のこころは弱い。

 半ば勧められるままに転移門をくぐり、抜けた先にあるのは伯国の王宮にある転移門だった。


 懐かしい光景、冬の時期独特の底冷えする寒さが、軽装の私を襲う。

 門から出てきた私の顔を見て驚いた門番が伝令に走り、通された懐かしの広間で国王である父親にありのままの事実を告げる。


 殿下に貶められたこと、聖女と帝国が怪しい動きを始めたこと、私がもう清らかな身ではなくなったこと――。


 父は元婚約者の振る舞いに怒り、帝室のやり方に憤慨し、直ちに名誉を回復するための訴訟を起こすと明言し、私を不憫な娘だと言って抱きしめてくれた。


 最愛の人に裏切られ家族にまで拒絶されたら、私はその夜のうちに王宮の隣を流れるシェス大河に身を投じたことだろう。


 西の大陸イゼアを支配するエルムド帝国の中興の祖、ユニス女王が初めての夜会で受けた恥辱を晴らすために、その身を同じくシェス大河の支流に身を投じ、赤き大鷲の異名を取る皇太子グレンに助けられたように。


 彼女はそのことが縁で皇太子妃となり、女帝となるわけだけど、生憎と私にグレン殿下のような男性はもう、存在しない。


 幻のように、淡雪のように、理想の婚約者だったナスルは消えてしまった。

 あとにのこったのは禍根のみ。


 離宮に移された私は、連日のように考えた。

 汚名をどのように雪ぐべきか。

 復讐という薄ら昏い動機だけが、私を生き長らえさせた。


 戻ったあの日から、今度は家族が私の元を訪問する回数が減った。

 兄も弟も、母すらも父から離宮へと通うことは禁じられているのだと、近習の一人が教えてくれた。

 それから半年が過ぎ、季節が春から夏へと移り変わろうとしていたころ。


 ある日突然、父が離宮を訪れた。


「お前の嫁ぎ先が決まった」

「伺います」


 驚きがなかった。

 悲しみもなかった。

 伯国として帝国から問題視される女をいつまでも国内に置いておくことができないくらい、国際情勢を鑑みれば理解できることだった。


 私の決意をその一言に見て取ったのか、父は深く頷くと、相手がどこの誰だ、と口にする。


「ダンジョンの最下層が更新された。今度は、36階層まで深く潜ることができるようになる。そこには強大な魔力を誇る国があってな‥‥‥我が伯国と、同盟を結びたいそうだ」

「では、そちらの国のどちら様と?」

「うん」


 それがな、と言いかけて、父は言葉に詰まる。

 強力な魔力を誇る国。


 地下にありながら地上の国と同盟を結ぶということは、別大陸にある地下の魔界との勢力が関係しているのだろう。


 地上は地上で、地下は地下でそれぞれ密接に繋がっている。

 一体どんな国のどんな男性と婚儀を結ぶことになるのか、一抹の不安が心をよぎった。


 相手は――もしかして、魔族?

 こっちは思い直したのか、実は、と言い直す。


「相手はトリスタン魔公国という国だ。その国主、シェード・トリスタン大公との婚儀になる」


 また、大公家か。

 そんな思いがよぎった。でもよかったとも思った。

 軽く聞いたのみだが、相手はどうやら普通の環境下にある国らしい――と、安心したのは早かった。


「シェード大公は、東大陸における地下世界全体の魔族の中でも、地上の魔王に次ぐ実力者だと言われている」

「魔王様に次ぐ‥‥‥ということは、どのような魔族なのですか?」

「言いづらいのだが――。彼はデュラハン。地下世界では首なしの鮮血公爵の異名で通っているとのことだ。行ってくれるな?」

「……伯国の為ならば」


 そう答えた瞬間、私の中で保っていた何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちた気がした。



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