コブ
「はああ……終わったああああ」
「だらしないぞ、綾乃」
「だってようやく定期テストが終わったんだよ?」
「だからってため息でかすぎだよ」
「うぅ……いいじゃん、羽伸ばしてもさ……」
「別にいいけどさ」
俺の家で、思いっきり羽を伸ばしているのは、婚約者である綾乃だ。
ついさっき、学校の定期考査が終わり、俺たちはあと夏休みを迎えるだけとなっていた。
そんな中、俺と、しれっといる美織は、まだ勉強をしていた。
「ショウ君たちはなんで勉強してるの?」
「「英検1級の勉強」」
「……中1なのに?」
「なに言ってるのよ綾乃。高校は1級持ってたらほとんどの学校は英語免除か、推薦取れるわ」
「うちの学校ってエスカレーターじゃなかった?」
「綾乃、そうやって選択肢を狭めるのは良くないぞ」
「えぇ……みおちゃんは私と違う学校に行っちゃうの?」
「う……そんなことはないけど……」
綾乃に上目遣いをされた美織は、少し狼狽え、言葉を詰まらせた。だが、俺たちは別に綾乃とは違う学校に行こうとは思っていない。
ただ、事態に備えて、家から離れた学校に進めるようにしておくのだ。
まあ、1級取れるくらいなら、一般でも普通に合格できると思うけどな。
「ショウ君、今回のテストどうだった?」
「ん?疑いようのない100点だよ」
「え?」
「私もね。失敗する要素がないわ」
「ええ!?」
「どうした?」
「2人とも頭いいなあ……私なんか、xyの式でつまずいてるのに……」
そう言ってうなだれる綾乃。
確かに彼女は勉強が得意というわけではない。だが、彼女も前回の定期テストでは、全教科8割とれている。十分できていると思う。
「別に綾乃は勉強ができないわけじゃないでしょ?」
「ううん、せめて9割とらないとお母さんに小言言われちゃうの。『姉のほうが出来がいいわ』って」
「ああ、綾乃の姉貴か。正直、いい印象ないんだけど」
「わかるわ。なんでしょうね、あの尻が軽そうな雰囲気は」
「みんな、一応私の姉なんだけど?」
「実際そうだろ?姉貴さん、結構ビッチだろ?」
「確かに、1週間に三回くらい違う男連れてくるけど……」
「うわ、ひでえな」
今の話に出てきたように、綾乃は実家で多少の冷遇を受けている。
ビッチな姉。それを優秀という母親という地獄絵図の中で、彼女は生きている。一応、父親が彼女の味方、そして次の家の会社の社長にしようとしているのだが、それがまた冷遇に拍車をかける。
仕事で父が忙しく、綾乃のことを見てやれないことをいいことに、家で彼女のことを悪くいったり、ひどいときはお腹に痣ができるほどの暴力を振るっている。
今すぐに俺が制裁を下したいが、そういうわけにもいかない。金持ちも一筋縄じゃないということだ。
だからこそ、彼女は俺の家に長くいる。
口にこそ出さないが、家にいるのが辛いのだ。だが、婚約関係とはいえ、よその家庭の事情だ。勝手に口出しは出来ない。
そんなことを考えていると、綾乃がこちらに来た。
「あんまり同情はしないで」
「でもなあ……」
「じゃあ、頭撫でて」
「え?」
「頭撫でて……そうすれば、ショウ君を感じられるから」
「……わかった」
差し出された綾乃の頭に優しく手を添えて、撫でまわした。
女の子らしいさらさらした髪の毛に、短く切りそろえられて耳がよく見える彼女の頭。俺より頭一つ分くらい身長が低く、とても撫でやすい位置にある彼女の頭。
そして、なにより撫でられるたびに、目を閉じてなされるがままな彼女がとにかく愛おしい。
だが、その時に異変に気付いた。
「なあ、綾乃」
「ん?」
「ここにコブがある」
「!?」
彼女は、サッと俺が指摘した位置を手で覆って隠した。そんなことしても無駄だというのに
「なにがあった?」
「べ、別に何もないよ」
「綾乃、ほらしゃべるんだ」
「うひゃあ!?」
俺はたまらず、綾乃を抱きしめた。大事な人が傷ついてる姿など見たくない。
なにを庇おうとしているのか、なにを隠そうとしているのか。そのすべてはわからない。だが、彼女が本音を吐露するには、俺が全力で甘やかすのが一番早いのは俺が知っている。
綾乃を抱きしめた俺は、彼女の耳元で囁いた。
「綾乃、俺と秘密、どっちが大事なの?」
「そ、それは……」
「答えて」
「し、ショウ君……」
「なら、教えて」
「お、お姉ちゃんの彼氏に……」
「ぶたれたの?」
「うん……」
その回答を聞いたからと、俺は綾乃を放すことはしなかった。
それどころか、さらに抱きしめる力を強くしてコブがあるところを優しく撫でてあげた。
時間が経っているのか、あまり痛そうにはしていない。
「痛かった?」
「うん……」
「優しくしてほしい?」
「うん……」
「じゃあ、うちに泊まりな。着替えは結乃の使えばいいよ」
「うん……」
「翔一は、女の子をベットに連れ込むのうまいわね」
「美織……お前最悪だよ」
最後は美織にぶち壊されたが、綾乃をうちに泊めることに成功した。
彼女も俺を思ってくれてるはずだから、暴力を振るう家族と俺。どちらと一緒にいたいかと聞かれたら、後者を選ぶはずだ。
それに、連絡せずとも問題はない。綾乃がいつも俺の家に来ているのは、綾乃パパが知っている。
「じゃあ、私は帰るわね。さすがに、今日は2人っきりにしたほうがよさそうだもの」
「ああ、また明日な美織」
「そうね」
そう言うと、美織は家に帰っていった。ちなみに結乃は、友人の家に泊まっている。
家に残された俺は、リビングで一人くつろいでいる綾乃に料理を出した。あまり2人でする料理じゃないかもしれないが、こんばんは鍋だ。
「わあ、おいしそう……」
「俺の料理は本当においしいからな。そう見えるのは当たり前だ」
「ふふ、楽しみだなあ。いただきます」
「じゃあ、俺も食べるか。好きなもの取っていいからな?遠慮すんなよ」
「わかってるよ。それにしてもショウ君は料理が本当においしいね。結婚したら毎日作ってほしいくらいだよ」
「じゃあ、毎朝味噌汁作ってあげようか?」
「あはは、ショウ君、それじゃあプロポーズだよ」
「そのつもりだよ」
「ふえ?」
「これからも一緒にいような」
「……う、うん」
「な、なんで泣くんだよ!?」
一緒に鍋を食べて、俺が告白をすると突然綾乃が泣き始めた。俺は全然意味が分からず、困惑した。
「ご、ごめんね。私、本当は婚約が決まった時嫌だったの。でもね、ショウ君と一緒にいるうちに、家族の誰よりも愛してくれて……だから……だから、本当にそれがうれしくて」
「綾乃」
「ぐす……なあに?」
「大好きだよ」
「えへへ」
涙と鼻水で少しだけ顔がぐちゃぐちゃになっていたけど、そこには俺の守るべき笑顔が確かにあった。