幽覧浮術
結乃の手にした力―――いや、彼女に潜在的に眠っていて、剣に触れることによって完全に覚醒した力は、本来不可能とされている、なにも介さずに自分の体外に法力を放出する力だった。
この力によって念力じみたことをできるし、左右の手をもう1本ずつ増やしたような戦い方ができる。そして、これの厄介なところは目には一切見えないということ。一応、赤外線カメラとかならば感知はできそうだが、今のところは法力を持った人間が、他の法力を感知するというかなり高い技術を有していない限りは、どうにかできるものではない。
そう、美織も初めて見るもの。
本来不可能なことを可能にする剣。その力の真価は彼女でもまだ測りかねていた。
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九条京谷―――名前のではわからないが、こいつは二家の、それも武術宗家の椎名家の分家の人間だ。
私は翔一以上の天才はいないと思っているし、事実、こいつは翔一以上には強くない。だが、武術宗家の出身であることに変わりはない。私や結乃より強いし、20代ということで私たちより実践経験は豊富。
まさかここで出てくるとは思っていなかった。
二家の情報はいい意味でも悪い意味でも完全にシャットダウンされてる。
本来なら私が気付かないといけないことだったが、二家の人間である彼には私も感知できなかった。
「まずいわね……」
「みお姉、ここにいるってことはあいつもあや姉を……」
「そうね―――たぶんあいつもだわ」
「なら、殺す……」
「……!?待ちなさい、結乃!あいつは―――」
そんな美織の制止を聞かずに結乃は自身の法力を飛ばして相手になった九条を捕まえようとする。だが、その結乃の念力じみた手は、虚空を撫でるだけだった。
その代わり、結乃の背後に彼は現れる。
「またなんだか厄介な力を使ってるみたいだね」
「なっ!?いつの間に―――ゴフッ!?」
突然の出来事に慌てて後ろに振り向く結乃だが、振り向きざまに腹パンを入れられて嗚咽しながらも後退する。私も彼女のそばによって、必要なことを教える。
「な、なんなの?完璧にとらえたはずだったのに……」
「幽覧浮術。こういえばわかるかしら?」
「な、なにそれ……」
「簡潔に言えば、あいつはそこにいるようで存在しない。それだけ理解しておけばいいわ」
「それ、勝つの無理じゃない?そうね。対策はいくつか思いついたけど、やっぱり翔一ありきだわ」
「じゃあ、時間を稼ぐからお兄ちゃんを―――」
「そうしたいけど、逃れるのは無理よ。どこにいるかもわからない相手に対して逃げるという手段は取りたくないわ」
「じゃあ―――」
「もうじき翔一が来るはず。あなたが派手に暴れ始めた時点で、柊を翔一のもとに向かわせてる。飛んでくるはずよ。それにあいつは仕事は速いから、どうせもうあっちの首尾は済ませてるはず。その道時間はかからないはず―――今は、後ろの彼女たちに気を配りつつ戦うしかない」
「私もみお姉と戦っていいの?」
「やむを得ないわ。でも、帰ったら説教だからね」
そう言いながら私と結乃は九条に向かっていく。
この間出てきたと、翔一から聞いてる石動東矢とはわけが違う。技術宗家と武術宗家の圧倒的なポテンシャルの差が怖い。最悪死ぬかもしれない。
それだけ後者はめちゃくちゃということだ。
でも、結乃のこと翔一に任されてる。死んでも結乃のことは守らないと……
それにしても幽覧浮術を扱う奴が出てくるとは思わなかった。
武術宗家には私のいる側の人間とは違って、法力に形のようなものが生まれる。そして、それは分家によって継がれるもの、個人で形を変えるもの。様々だ。それが技術宗家と武術宗家を隔てる壁。
翔一の場合は、言ってしまえば変幻自在。自身の体に内包する法力を100%で回せる。さらに、体表、わずかながら自身の体の関係ない場所も法力を通せる。そして、目の前の九条はというと―――
法力の隠蔽に長けている。
この一言に収まる。
言葉にすると簡単だが、法力の通った皮膚や内臓を見えなくしてしまう。しかも、これの厄介なところは法力の残滓性だ。隠す少し前の存在が、その場に残り続ける。
その場にいないのに、ゆらゆらと幽霊のように存在する。だから幽覧浮術。今も、見てくれだけなら目の前に立っているが、本当はどこにいるのかわからない。背後かもしれないし、目と鼻の先にいるかも。もしかしたら趣味悪く、下を覗き込んできてるかもしれないし、それはブラフで何もせずに今見えてるところにいるのかもしれない。
クソッ!動けない!
「みお姉、あと、後ろの人たち―――伏せて」
「伏せてって、なにするつもりなのよ」
「どこにいるかわからないのなら、全部ぶっ飛ばす!」
「ちょっ!?」
そう言った結乃に、私はあわてて反応する。急いで新島と中野の頭をもって無理やり伏せさせる。
少しだけ痛そうだが我慢してほしい。
結乃は私たちのことを確認することもなく法力を全方位に放出する。
確かに場所がわからないなら、全部吹き飛ばせばいい。脳筋じみてはいるが、中々効果的かもしれない。
すべてが吹き飛んだあと、どうなったのかと周りを見渡すが、相手の姿は見あたらない。
すると―――
「ぐっ……!?」
結乃の体が急に持ち上がった。
彼女は苦しそうに首を庇うが、そこには何もいない。だが、彼女はなにかを掴もうとしている。何かに触れている?
まるで彼女の手には何かが当たっているようだった。
「そこか!」
私は気づいてから間髪入れずに石を投げる。しかし、それは空中で静止する。
「結乃!そこよ!」
「ぐぎぎ……んにゃあああ!」
奇声をあげながら法力を飛ばす。しかし、結乃は苦しそうに浮いたまま。
まさか、法力が効いていない?―――いや、法力だけ当たらない?まさか、そういうことなの?
「結乃!剣よ!剣を使いなさい!」
「はぁっ……」
私の言葉を聞いて結乃は思いっきり抜刀してその勢いで前を斬りつける。
おそらく剣は空を斬っただけだろうが、それでも危険を察知したのか見えない九条は後退し、結乃に対して行っていた拘束を解いた。
法力の透過性―――そんなものは幽覧浮術にはそんな特徴はない。というより、そんな記録はない。だが、おそらく言わなかったのではなく、この力を使う九条分家すら知りえない事実だったのだ。
術発動中は目で見えなくなるが、同時に法力も完全に透過するようになるのだ。
今までは法力を纏った拳などを相手取ってくることしかなく、初めて現れた結乃のように法力のみを飛ばす攻撃によって、初めてその性質に気付いたのだろう。だから彼はあんなにもわかりやすく場所を示すような攻撃を仕掛けてきたのだ。
その一瞬で気付くのも、やはり遠縁とはいえ翔一と血がつながっているだけはあるみたい。
剣の攻撃によって、いったん隠れる意味がないと考えたのか、再度九条が姿を現す。
「いやぁ……まさかこんな性質があるとは思わなかったよ。まあ、もっとも使う機会は今日以降ないだろうけどね」
「うるっさい!死ねえ!」
「結乃、早まっちゃダメ!」
術を使っていない今ならと攻撃するが、結乃の攻撃は当たらない。代わりに、彼女のお腹を捉えた一撃がさらに飛んでくる。
こいつ、執拗に結乃のお腹ばかり……赤ちゃん身籠れなくなったらどうするのよ。
そう思いながら後ろの二人を確認すると―――
「あれ?……いない!」
「あーあ、こっちにかまけてばかりだからこうなるんだよ。頭はいいのに、今は回り切ってないみたいだね」
「うるさい。あなたのそれに頭使ってるから、こっちに回らなかったのよ」
「ははっ、そんな無駄なことはしなくていいよ。どうせ対処法なんて思いつかないんだからさ」
―――頼むわ、翔一。たぶん私たちより、あなたのほうが今は必要かも。




