不安な心
コンコン
俺は妹の部屋の扉を軽くノックする。
すると、中からガサガサとなにかを急いでしまうような音がしてくる。だが、俺は焦らずに扉をいきなり開け放つことはしない。
「は、入っていいよ」
代わりに、彼女の返答をしっかりと待ってから扉を開けた。
彼女がなにを隠しているのか、玲羅から聞いていた結乃の異変からなんとなく察している。
「結乃……」
「お兄ちゃん、なんの用かな?」
「前置きもすっとぼけるのもいらない―――いつから知ってた?」
「―――ずっと前。お兄ちゃんたちがこれを計画し始めたときから」
「はぁ……結乃、お前は関わるな」
「……っ!なんで!私も、私だって、あや姉を奪われて苦しんだんだよ!」
「それでもだ」
俺の言葉に彼女は憤慨するが、だからといって彼女の同行を認めるわけにはいかない。
それは前にも言ったが、妹―――彼女が家族だからだ。
家族に暴力を振るえとも、殺せとも言えない。それが、それだけが理由。兄としては当然の想いだと思うのだが、彼女にとってはそうでもないようだった。
「なんで!私がお兄ちゃんの妹だから?それとも、私には才能がない落ちこぼれだから?」
「違う!結乃に才能がないなんて……!」
「じゃあ、なにがあるの!私にはどんな才能があるの!わっかんないよ!いつもお兄ちゃんに守られて、みお姉にお守りされて……私だってあや姉の仇討ちがしたい!」
「違う!結乃に才能がないから剣を握らせなかったりしたわけじゃない。だったら、あの時俺は結乃に玲羅を守ってほしいなんて言わなかった!」
別に結乃に人を殴ってほしいわけじゃない。でも、彼女にも守れるものは守ってほしかった。
玲羅が危機に瀕して、どうしても俺が行けないときに頼れる存在。そういうものになってほしかった。
だからこそ、俺たちみたいに復讐にとらわれてほしくなかった。
たぶん結乃はその気持ちを自制する手段がない。現に彼女は人を殴ったときの記憶を失う。一種の暴走状態になって、話を聞かなくなる。
それに復讐という負の感情が加わったとき、ろくなことにならないのは目に見えていた。
だから、純粋な守るという気持ちだけでいられる今に固執してほしかった。
段々と心を疲弊して壊していくのは俺たちで十分だから。
しかし、そんな俺の考えなど結乃には無意味。
「うるさいうるさいうるさい!私もやるの!あや姉のために!」
もはや周りが見えていなかった。
自分の一番大事にするべきものはなんなのか、それすらも忘れている。
「それは綾乃のためにならないのは考えればすぐにわかるはずだ。お前は綾乃を言い訳に俺たちの行く道を付いて来ようとしているだけだ」
「全然違う!私は私の意思で戦う!もう、あんな屈辱的な思いはしたくない!あや姉のために、私のために戦うの!」
全然話を聞いてくれない。
このままでは結乃は間違いなくギャング集団か体育教師のほうに突っ込んでいく。それだけは何としてでも阻止しなくちゃならない。
だが、彼女はその俺の考えを読んだのだろう。
結乃はなんの迷いもなく部屋の窓に手をかけて開けると、そのまま勢いよく部屋から飛び出した。
こうなることを想定していたのか、すでに靴が用意されていて、彼女はそれをもって外に飛び出していった。
「結乃!」
「お兄ちゃんのわからずや!―――最初からこのつもりだったし、証拠も集めたし。私一人で行く!」
「バカ!二家に関与してる奴らだぞ!島のやつが護衛にいないとも限らないんだぞ!」
その俺の必死の訴えは結乃に一切届くことはなく、結局開け放たれた窓から外の風が入ってくるだけだった。
行く先はわからない。
別に俺はこの町に来て長いわけじゃないから、結乃のよく行く場所も穴場も知らない。
俺たちのことを知ってるなら、彼女はなるべく家の屋根伝いに―――防カメにも写らないルートで走って、俺たちの追跡を振り切るはず。
ならここは結乃になにか起こる前にこちらでことを早急に進めなくてはならない。
コンコン
俺がこれからのことを思案していると、扉が鳴った。
そういえばこの家には玲羅もいた。完全にやらかした。こんな大きな声では彼女にも聞こえてしまう。だが、そんな俺の考えとは裏腹に玲羅は部屋に入ってきて質問してきた。
「もう、大丈夫か?」
「あ、ああ……もう、うるさくはならないはずだ」
「結乃はどうした?」
「どっかに逃げた。こうなると、俺達でも追いきれない」
「そうか……」
俺の言葉を聞いて玲羅は俯いた。
だが、すぐに彼女が顔をあげると、俺の背中に腕を回してきた。
「れ、玲羅?」
「少し、苦しそうだ。結乃が心配なんだな?」
「あいつは強いから、すぐに死ぬなんてことは……」
「心配なんだろ?」
「……っ!」
俺は心を見透かされて、少し驚いた。
正直心配だ。結乃は強い。それでも、俺や美織ほどじゃないし、それだけの相手が現れれば、彼女はなにもできずに負けてしまうだろう。そんな可能性は万が一というレベルに低い。
それでもその万が一が怖くなるのは、家族として当然のことだ。
「見つからないなら、その時まで待つしかない。それまでに不安な気持ちに駆られるのなら私を頼ってくれ」
「なにするかは聞かないのか?」
「お前が私にとって危害を加えるなんてありえないだろ?それに、翔一がしようとしているのは過去への決着のための一歩だ。それは私が邪魔することじゃない」
「ごめん……」
「なにを謝るんだ。私は誰になんと言われようと、翔一のことは胸を張って世界一の彼氏だって言える自信があるからな?」
「玲羅だって、世界一の彼女だよ」
「ふふっ、だから翔一のしたいようにすればいい。私はお前の帰りを待っている。でも、あんまり時間をかけるなよ?こう見えても、私は寂しがり屋なんだ」
「わかってる。絶対にさっさと終わらせて抱きしめに帰ってくる」
そう言うと、俺は玲羅を放していつもの俺に戻った。
もう不安はない。俺が結乃を助ければいいだけのこと。すまないな美織。計画を大幅に早めるぞ。
玲羅も部屋の扉を開けると俺に言う。
「さ、晩御飯にしよう」
「あ、でも俺作って……」
「最近お前は忙しそうだったからな。作っておいたぞ」
「さすが玲羅。嫁力が高い」
「嫁力言うな」
ずっと幸せなこの時が続けばいいのに。
そう思ったのもつかの間。
その日の週末、アーカーシャの剣がなくなった。




