結乃のお気持ち
好きな人―――
その感情を初めて知ったのは、おそらく小学2年生の頃だった。
その時まで誰かのことを好きになったという自覚がなかったのかなんなのか―――私には考えすらなかったもの。
それを知るきっかけは、クラスメイトの何気ない一言だった。
『好きな人って言うのは、どんな所作も立ち振る舞いもカッコよく見えるものですわ!』
少しだけませた自分のクラスメイト―――育ちがよく、純粋なその言葉は、その時には誰もピンと来ていない様子。まあ、小2で恋をしろと言われても、土台無理な話だろう。
だが、私にはそれに該当する人物がいた。―――そう、ただ一人だけ。
「わ、私にいるかも……?」
「へー、あなたは誰をカッコいいと思いますの?やっぱりイケメンの鈴木君ですの?」
「ううん、違うよ。所作も立ち振る舞いも全部カッコいいと思う人はね―――」
少しだけためてみんなを焦らす。当時の私はこの回答は、変なものではないと思っていた。
その勘違いは長らく続くことも、この時はまだ知らない。
「―――お兄ちゃんだよ」
「お、お兄さん……と言うと、椎名翔一様ですの?」
「うん!家でも、どこでもカッコいいし、イケメンって言ったら、お兄ちゃんでしょ?」
「そ、そうですけど―――家族でそういう感情は……」
「ダメなの?」
「い、いや……愛は人それぞれと言いますわ!」
この時のお嬢様の発言を想えば、殴ってやりたくなるのも無理はない。私の勘違いを加速させる発言だったからだ。
そのせいで私は、はたから見れば立派なブラコンの誕生であった。
それからは年を重ねるごとに、私はお兄ちゃんのことが大好きになっていた。彼に婚約者がいたこともお構いなしだった。家族ならと免罪符を使い続ける私だったが、さすがに小5ほどになれば、程度は考えるようになったが、それでも秘めたる禁断の想いは一切断ち切ることはできなかった。だって、本当に強くてカッコいいという存在が、兄しか存在しなかったから。
かなわない恋なのはわかっていた。どうしようもない感情なのもわかっていた。だからこそ、私は彼が婚約者を失って壊れかけていた時に、傍にいることしかできなかった。家を出るといった彼についていくことに対して反対しようとかいう感情は芽生えなかった。
まあ、私の両親を殺した人がいる家にいて正気でいられるほど、私は聖人君子じゃないし、ちょうどよかったというのもある。
だが、それが私の気持ちの転機となった。
お兄ちゃんが転校してからしばらくして連れてきた友人たちの中に運命の相手がいた。
その人は、3人の中で圧倒的にか弱そうで、幸薄そうに見えた。聞いた話によると、その人は不良に絡まれていたところに、お兄ちゃんともう一人が助けてくれたらしい。まさか、お兄ちゃん大好きな私が一目惚れなんてするとは思ってなかった。
あの時のお嬢様をもう一度殴りたいと思ったのはこの時。
人を好きになるって、必ずしも相手がカッコいいからってわけじゃないじゃん。
むしろ私は、守られ続けたせいで、誰かを守りたいと思てしまっていたのだろう。誰かを好きになる。それは、守りたいと思うことも同義なんじゃないか。
この気持ちをどうすればいいのか、恋愛経験がブラコンしかない私はどうしようもなくてお兄ちゃんに相談した。
「え?あいつのことが好きだ?」
「だ、ダメ……?お兄ちゃんの友達を好きになっちゃ……」
「……いいんじゃないか。そういうしおらしいところもあるなら、お前は男子にモテるだろうしな。知らないやつより、あいつのほうが任せられる」
「もう、私はいつか誰かのお嫁さんになるんだよ?」
「まあ、腐っても家族だからな。知らないクズより、知っている優しい男のほうがいいに決まってる」
「あの人はどんな人なの?」
「うーん、端的に言うなら、弱いけど芯はあって、結乃があいつを好きって言うなら、それを応援しても構わないと思えるくらいの男かな」
「そう、なんだ……」
「そうかー、結乃もようやく兄離れか……」
そう言うお兄ちゃんはどこか遠いところを見ている気がした。もしかして、私の気持ちが枷になっているのでは?本当は私のことを見放せなくて、好きな人を作れないとか……
「俺、好きな人できた」
「へ?」
「もうさ、立ち直るべきだと思うんだ。まあ、お互いに一目ぼれしたのは、家族って感じだよな」
お兄ちゃんの言葉に少し驚いた。ワンチャン、お兄ちゃんは恋なんてしないと思っていたから。
本当に恋の傷は恋でしか癒せない。それを目の前で見た気がする。
でも兄が連れてきたのは、ボロボロになった女の子だった。雨でびしゃびしゃに濡れて、本当に悲壮な表情を浮かべていたが、段々と表情豊かになる様を見るのは、こっちが嬉しくなる感覚だった。いつの間にか、私もその人のことが大好きになってた。その時に気付いたかな。
私のお兄ちゃんへの好きは―――家族としての好き。お兄ちゃんは本当に大好きだけど、家族以上の感情は芽生えない。初恋でもかなうはずない。だって、異性の好きじゃなかったから。
だからこそ、私は口で冗談を言いながらも、お兄ちゃんと義姉さんの恋を見届けられる。
もしかしたら、悲劇があるかもしれないけど、私は信じてる。義姉さんがお兄ちゃんを幸せにできるって。
お兄ちゃんと同じくらい大好きな人が、お兄ちゃんのことを大好きなんだから。
そう考えると、私も少しくらいは前に進まなくちゃと思う。
私もいつか、告白しないと誰かに取られちゃいそうだからなあ……先輩、可愛いからほかの女子に取られちゃうかもしれないし。
嫌だなあ……先輩がほかの女子と歩いてたら。
そんなことを考えながらも、私は兄の体育祭に来ている。
兄の奇行、兄の活躍、義姉の活躍。そして、その二人の絡み合い。借り物競争には度肝を抜かれたが、さすがとも思った。私もあれくらい積極的になりたい。そう思う気持ちに偽りはない。
つくづく思う。なんで兄はあんなに彼女を虐めて、喜ばせることができるのだろう。義姉さんが天性のマゾなのかは知らないが、いくらんでも義姉さんが喜びすぎ。
口ではイヤイヤ言っても、目にハートマークが浮かんでるのではないかと思うくらいにデレデレだ。
すっごくかわいい。私も男だったら、あんな女の子に惚れてるのかな?
「にしても、お兄ちゃんは今日もかっこいいなあ……」