2日目直前
現在の時刻は8時。
会場時刻は10時で、実質店の開店時間もそれと同じだ。だが、門からのタイムラグがあるので、だいたい5分ズレくらいで客がやってくる。しかし、それが当たるかはわからない。
少しだけ外を見たが、考えるのが嫌なくらいの風景が広がっていた。
―――まだ、開場2時間前だぞ?本気で言ってんのか?
そして、俺と鐘梨は、これからの調理に備えて用意できるものは全部用意している。
特に卵液は異常なレベルに必要になることは目に見えているので、それを入れたボウルを昨日のうちに持ち込んだ冷蔵庫に入れておく。すでに4段ほどある中に、両手でしっかりと持たなければならないほどの大きさのボウルが16個入っている―――待って、これ業務用じゃね?よく見たら、すげえ奥行きあるじゃん。
「美織ー、これどこで買ったの?」
「知らないほうがいいわ!」
「そういうのいいからー」
「私の家にあったやつよ。翔一ならわかるでしょ?うちって、やることなすこと全部でかいのよ」
「あー、確かに美織一人にこのサイズはでけえかもな」
「でしょ?」
そう言いながら、気ままに作業をする俺たち。しかし、鐘梨は先ほどの俺と玲羅のやり取りが気になっているようで、頬を赤らめながらこちらをちらちらと見てくる。
「し、椎名さんは―――いつもの朝はあんな感じなの?」
「うーん……普段は人の目もないし、もう少し俺からも踏み込むから、もう少しイチャついてるよ」
「あ、あれより……」
「そんなに驚くことか?本気で好きな人だからこそ、そういう愛情表現は普通だと思うけどな。鐘梨もそのうちわかるさ。誰かを本気で愛する意味を」
「なんていうか……すごいね」
「はは、褒め言葉として受け取っておくよ」
そう言うと、鐘梨は「これがリア充の余裕……」とかぶつぶつ言いながら頬を赤らめる。
まあ、俺のこの気持ちは誰かにわかってもらおうという気持ちはない。だが、否定されるいわれはない。だからこそ、理解してくれるのなら、それが一番いい。
まあ、たいていのバカップルはこんなものだろうな。
―――ん?俺と玲羅がバカップルなことくらいわかってるぞ?
と、俺のほうの準備は順調だ。どちらかと言えば心配なのは―――
「天羽さんって、あんなに積極的なんだ―――私、ずっと天羽さんのことクールだと思ってたから、椎名君のことよく言っても、それまでだと思ってた」
「待って。クールキャラだから、普段はべったり甘えてるのかも!」
「それだ!」
「こ、殺してくれ……」
数人の女子に囲まれて、自身の顔を覆い隠すのは、まぎれもないメイドコスをした俺の恋人―――天羽玲羅だ。
彼女は、今朝俺にキスした件をずっとクラスメイトの女子たちにからかわれている。
それだけならまだしも、俺に髪を梳いてもらっていたのも大きな火種になっているようだ。
「天羽さんって、椎名君に毎朝髪を梳かしてもらってるの?」
「あ、ああ……悪いか!自分でするよりもずっといいんだ!」
「うわっ、開き直ったし……でも、気持ちいいのか―――私もやってもらおうかな?」
「あーそれな。天羽さんがうまいって言うくらいだもんな。私も興味あるかも」
「だ、ダメだ!」
クラスの女子たちが、俺に髪を梳かしてもらおうかと話していると、玲羅が話に割って入った。
「え、ダメって……」
「ダメなものはダメだ!」
「でも、椎名君は天羽さんの所有物じゃないし……」
「そうだよ。そんな縛り方はダメだよ」
「そ、それでもだ!翔一は、ものじゃない。そんなことはわかってる。でも―――でも!……翔一は私のものだ!」
クラス中に響く声で、玲羅はそう言った。めちゃくちゃ恥ずかしいが、ものすごく嬉しい。感情が、難しいことになっているが、まあいずれにしろ悪い気はしない。
「す、すごい迫力……」
「し、椎名君はどうなの?こんな縛られ方、嫌だよね?」
「俺に振るのか?」
唐突に振られたことで、少しだけ驚いたが、俺は彼女から少し離れた厨房スペースから言った。
「俺は別にかまわないよー」
「ほら、椎名君はいいって言ってるじゃん」
「そうだよ。天羽さんは、もう少し彼氏のこと信じたほうがいいんじゃないかな?」
「そ、それはもちろん信じてるが……それとこれとでは話が違うじゃないか」
「あー、二人とも言葉が悪かったな。そういう意味じゃない」
「「「へ?」」」
「俺が言ったのは、全然縛られても構わないってこと。二人は知らないかもしれないけど、玲羅は玲羅なりの愛情表現があるんだ。その子は、縛るというよりも、自分ひとりだけで大事なものを持っていたいタイプなんだよ。だから、縛ってるように見えるだけで、それは玲羅の可愛い愛情表現の一つだから」
先ほどの玲羅の大声に対抗するように、俺もクラス中に響く声で女子たちに言う。
釈然としない様子で首をかしげる女子軍だったが、中には納得するものや共感するも経ちもいた。
だが、俺に縛ることを愛情表現と言われてしまった玲羅は、もう唖然としながら頬を真っ赤に染めていた。
恥ずかしすぎて言葉が出てこないとはこの状況だろう。
しかしまあ、そんな姿もとてつもなくいとおしい。
これで、俺のことを独占したいと縛ろうとしてくるんだぞ。可愛くないわけがない。―――それに、彼女だって縛るだけというわけでもない。本気で自分だけのものにしたいのなら、俺と美織の関係も、結乃との関係も認めずに、俺が彼女の家に泊まるという選択肢を取ろうとしていたはずだ。
それをしない彼女は、まだ甘めのヤンデレというだけで、これから先の恋人生活―――略して恋活には、なんら影響はない。
それに重いならそれだけ良い。俺だって重いからな。
同性とのやり取りならいいが、彼女が異性とやり取りしていたら、むっとしてしまう。今は、彼女が男と話しているところを業務以外では見たことがない。というか、ずっと俺に張り付いてるからその心配を今する必要はない。
「天羽さん、ごめんね。椎名君がいいって言ってるのに、無理に縛らないように言っちゃって……」
「か、かまわないさ。だが、あんまり翔一にくっつかないでくれよ」
「それは……まあ、必要ないなら私も異性にくっついたりはしないから」
「本当か?」
「なんで私たちは疑われてるの?」
「翔一はかっこ良いからな。いつ何時、誰が惚れるのかわかったものじゃない」
「「え、惚気?」」
さあ、二日目の開始である。