06 さようなら、ありがとう
私は今、病室のベッドに横たわっている。
あれからどれだけの年月が流れたんだろう。
私を優しくみつめて微笑む、愛する夫。
愛すべき子供に孫、かわいいひ孫たち。
みんなが私を囲み、穏やかに微笑んでいる。
幸せな人生だった。
私はこんなにたくさんの、大切な宝物に囲まれている。
「みんな、今までありがとう……私は本当に、幸せだったわ」
私がそう言うと、夫は静かにうなずいてくれた。
子供や孫たちは、うつむき肩を震わせている。
ひ孫たちは……まだよく分かっていないんだね。ニコニコ笑いながら「ばあば、ばあば」と言ってくれる。
「もうすぐみんなともお別れね。でもその前に……ごめんなさい、少しだけ一人にしてもらえないかしら」
私がそう言うと、夫は一瞬驚いた顔をした。
でもその後で微笑むと、「じゃあ少しだけ、外に出ているね」そう言って、私の額にキスしてくれた。
夫にうながされ、みんなが病室を出て行く。
扉が閉まると、病室がやけに広く感じた。
「ふふっ……」
私は苦笑した。私にとって、一番大切だった一人の空間。でもそれが、今ではほんの少し寂しく感じる。
「……ねえ、私の人生、どうだったかな」
枕元の小石さんに語り掛ける。
――ああ、素晴らしい人生だったよ――
「そっかぁ……ありがとう。全部あなたのおかげよ」
――何もしなかったと思うよ――
「だからよ。あなたは私に対して、何も望まなかった。干渉しなかった。ただ私を見守ってくれた。だから頑張れた」
――君は間もなく死ぬ――
「そうね」
――この世界から消えてしまう。だからその前に、かつて君が聞いたことを、今度は私が聞こうと思う。私と存在を重ねる気持ちはあるかな――
「……」
――私と一つになれば、君はかつて憧れた、新しい存在として生まれ変わることが出来る。誰にも干渉されない、誰にも侵されることのない本当の自由だ――
「そうね……その通りね……」
――選択するのは君だ、真白。君の答えを聞かせてほしい――
「私はこのまま、土に還ろうと思う」
――それでいいんだね――
「ええ……ごめんなさい」
――謝ることはない。私はただ、真白の意思を尊重するだけだ。君がそう望むのなら、それでいいと思う――
「でもね、小石さん……身勝手な言葉なんだけど、私はあなたのこと、愛していたわ」
――ああ、分かってる――
「分かってたんだ……そうよね、ふふっ……でも私は、あなた以外の人を愛し、人生を共に過ごした」
――私には、君たちのような概念は存在しない。君が誰を愛そうと、それが私への不義だなんて思わない――
「そうよね……何て言ったらいいのかしら……あなたって本当、神様みたいね」
――神はもっと、偉大な存在だよ――
「そうなんだけど……ふふっ、あなたって本当、面白い……私の何気ない言葉を、いつも真摯に受け止めて答えてくれる」
――誉め言葉として受け取るとしよう。真白、そろそろ時間だ。君の命の火が尽きようとしている。彼らと最後のお別れを――
「お別れは済んだわ、さっきね」
――済んだ……よく分からない――
「夫を見て思わなかった?あの人はそれを分かっていたわ。だから私に、最後のキスをしてくれた」
――そうなのかい?――
「ええ、そう。そして夫は、あなたに譲ってくれたのよ。私との最後の時間を」
――彼は気付いていたのかい?――
「私は何も言ってない。でも……そんな気がするの」
――そうなのか……やはり人間は面白いね――
「ふふっ……私たちからすれば、あなたの方が面白いけどね」
――それもそうだね――
「じゃあ……お別れよ」
――ああ――
「今までありがとう、小石さん……私は幸せだったわ」
――ゆっくりおやすみ、真白……そしてまた、輪廻の中で巡り合えることを、楽しみに待ってるよ――
「ええ……おやすみなさい、小石さん……」
私は目を閉じた。
それは私の人生の終わり。
でも不思議と、寂しさはなかった。恐怖もなかった。
穏やかで温かい気持ちが、私の胸いっぱいに広がっていた。
ありがとう、私の大好きな小石さん。
あなたに出会えて、本当によかった。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
作品に対する感想・ご意見等いただければ嬉しいです。
今後とも、よろしくお願い致します。
栗須帳拝