05 冬の海
冬休み。
私は一人で海を見ていた。
厳密には一人じゃないけど。
あの日から私は、クラスの中で元のポジションに戻っていった。
グループの女子から、「どうしてカラオケ来なかったのよ。真白の歌、聞きたかったのに」そう言われたが、苦笑いしてやり過ごした。
て言うかあんた、楽しそうに私の悪口言ってたじゃない。
そんなことを考えていく内に、前の生活の方がよかったと思うようになってきた。
少しずつ少しずつ、前の自分へと戻していく。
自分からは決して話しかけない。
話しかけられても、適当に相槌を打ってやり過ごす。
誘われても、理由をつけてやんわり断る。
そうしている内に、私の周りには人が来なくなっていった。
クラスで浮いた存在の私。
そこにいるのに、誰からも認識されないような存在。
でもなぜたろう。
全然辛くなかった。寂しいとも思わなかった。
ほっとした。
周囲の空気に振り回されて、自分を抑えて立ち振る舞う。
その結果、確かに私の周りには人が集まってきた。
人付き合いは、人生の貴重な財産。
でもその陰で、人は他人に嫉妬し、不信感を持ち、猜疑心に侵される。
全てがまやかし。
そのことに気付いた私は、「寂しい人」に戻ることに決めた。
期末試験が終わり、クラスメイトは冬休みの予定で盛り上がっていた。
私を除いて。
でも、寂しくはなかった。
だって私には、小石さんがいたから。
冬の海は、思ってたようなロマンチックな物じゃなかった。
海から吹く風は、冷たくて激しい。
岩盤に波がぶつかり、水しぶきが舞っている。
と言うか、とにかく寒い。
身を震わせ、コートのポケットに手を入れる。
そこには小石さんがいた。
――随分と寒そうだが、大丈夫かい?――
ああ、この穏やかで優しい声。
いつ聞いてもほっとする。
「うん。寒いのは本当だけど、でも平気」
――それならいいのだが、長居はしない方がいいと思う。風邪でもひいたら大変だ――
「いいの、これぐらい平気だから。それよりどう?久しぶりの海は」
――確かに久しぶりだね。真白と出会ったのも海だった。そういう意味では、懐かしい気がするよ――
「ポケットの中でも、ちゃんと感じるんだ」
――ああ。私には目も耳もないからね――
「でも折角だし」
ポケットから小石さんを取り出し、海に向ける。
「どう?この方がもっと海を感じれるんじゃない?」
――真白、君は……ああ、そうだね。確かに少し、身近に感じるような気がするよ――
「気がするだけなんだ。まあでも、ふふっ……それでもいいか」
私は両手を広げ、海に向かって叫んだ。
「アホー!」
――アホ……なのかい?――
「うん、アホ。こういうのって普通、バカヤローって言うのが定番なんだけどね、ちょっと逆らいたくなったの」
――それでアホ、なのかい?――
「そんなに食いつくところじゃないから。いいのよ別に、意味は同じなんだから」
――そうなのか……すまない――
小石さんの反応がおかしくて、私は笑った。
「小石さん、言ったよね。私が望めば、ひとつになってくれるって」
――ああ――
「今でも変わらない?」
――私は真白の気持ちを尊重する、それだけだよ。君がそう望み、決断するのであれば従うだけだ――
「そうなんだ」
――私は君という存在に惹かれた。君とひとつになれるのなら、それは私にとっても嬉しいことだと思ってる――
「私……ね、あれからずっと考えてたんだ。そのことを」
――ああ、知っている――
「学校でもいつもの自分に戻って、誰とも関わらないようにしてきた。先生がね、折角明るくなったと思ってたのに、また一人になってしまって。どうした、いじめにでもあったのかって聞いて来てね」
――余程気になったんだろうね、元に戻ってしまった君が――
「だから言ったの。明るくなったって言いましたけど、それって暗いことが悪いみたいじゃないですかって」
――先生はどう答えたのかな――
「そんなことはない。ただどちらかと言えば、暗いより明るい方がいいと言われているって」
――玉虫色の返答だね――
「でしょ?悪いと思うならはっきりそう言えばいいのに」
――ちなみにそれは、悪いことなのかい?――
「どうだろう。人それぞれだと思うし、私はそれも個性だと思ってる。確かにこの世界、明るい人の方が多いし、何よりそういう人が中心になってみんなをまとめている。でも私は、暗いことが悪いとは思っていない。人付き合いが下手だから悪いとか、笑わないから駄目だとか、そういうのは違うと思うの。
暗いって、言ってみれば物静かで思慮深くて、言葉を選ぶ人なんだって思ってる。それって悪いことじゃないでしょ?悪いと思われてしまうのは、この世界を動かしている人、明るい人たちが無理矢理押し付けてきた勝手な決めつけなんだと思う」
――彼らにとって、暗い人たちが脅威なのかもしれないね――
「え?」
――そんな気がした。明るい彼らは、君たちのことを下に見ている。暗くてかわいそう、そう思ってる。でも本当はそうではなく、怖いのかも知れない――
「私たちが怖い……ふふっ、なるほどね」
――何か感じたようだね――
「うん……何て言ったらいいのかな。今の小石さんの言葉を聞いてね、あの人たちもみんな、実は怖がりなのかなって思ったら、おかしくなっちゃって」
――おかしいのかい?――
「だって、いつも元気で楽しそうで、私たちをかわいそうな人だと思ってるあの人たちが、本当は私たちのことを怖がってるだなんて、おかしいじゃない」
――二面性を感じた、と言うことだろうか――
「だーかーらー、すぐそうやって難しい言葉を出さないの。人ってね、もっと単純なものなんだから」
――難しいね――
「簡単よ、簡単。みんな怖がりで、何かに怯えて生きている。だから群れを作ろうとする。その中に入ろうとする。そう思ったらね、ちょっとだけあの人たちのこと、かわいそうだなって思ったの」
――そういう意味では真白、君は強いのかもしれないね――
「どうだろう、ふふっ……でも、そうだな。今の言葉で少しだけ勇気が出たかも」
――もう少し頑張ってみよう、そういうことかな――
「うん、そう。私はあの人たちのことを、ずっと怖い存在だと思ってた。私がどれだけ頑張っても、あの人たちと同じ世界に立つことは出来ない。あの人たちのいる場所は輝いている。自分はその陰で、息をひそめて生きるしかないんだ、そう思ってた。でももし小石さんが言うように、あの人たちが臆病なんだとしたら……もう少しだけ頑張って、この世界で生きてみようかなって思った」
――そうなんだね――
「それに私は、いつでもあなたと重なることが出来る。ねえ小石さん、これって逃げだと思う?ずるい考えだと思う?」
――私は真白の全てを肯定するよ。それだけだ――
「答えになってないんですけど。でも、ふふっ……いいわ、その答えで納得してあげる」
――すまない――
「もう少しだけ頑張って、それでも駄目なら諦めるよ。振り回して悪いんだけど、いいかな」
――引き受けよう。私の意思は君と共にある――
「ありがとう、小石さん。いつになるか分からないけど、よろしくね」
――こちらこそよろしく、真白――
小石さんをポケットにしまうと、私は立ち上がってもう一度海を見つめた。
そして叫んだ。
「アホー!」